金曜日, 12月 28, 2007

備忘録(2007.12.28)






地元の図書館は今年は今日まで開館ということで、今日は年休をとって図書館へ。

本日借りたもの
1)『徒然草』(角川ソフィア文庫、2002年1月刊/ビギナーズ・クラシックス)
2)『図説・日本の近代遺産』(河出書房新社、2007年9月刊)
3)(NHK-DVD)『古典落語名作選』その3(三遊亭金馬「薮入り」、三遊亭〓遊「浮世床」、林家正蔵「中村仲蔵」、桂歌丸「お化け長屋」
4)同上その4(三遊亭〓生「火事息子」、雷門助六(八代目)「長短」、春風亭柳朝(五代目)「宿屋のあだ討ち」、山笑亭夢楽「反省魂」)

日曜日, 12月 23, 2007

備忘録(2007.12.23)

昨日公共図書館で借りた本





1)松岡正剛『知の編集工学』(朝日新聞社、1996年8月刊)
2)アラン・S.ミラー他『女が男を厳しく選ぶ理由』(阪急コミュニケーshジョン、2007年8月刊)
3)沢村貞子『私の浅草』(埼玉福祉会、昭和58年/大型活字本)
・底本=暮らしの手帖社刊『私の浅草』
・大きな写真追加した「豪華・大型本」と勘違いして借りたところ、弱視者用の「大型活字本」であった。
・本書は、第25回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作であり、『貝のうた』とともにNHK朝の連続テレビ小説「おていちゃん」の原作となったとのこと。
4)藤井旭『(一日一話の星空案内)星空を見上げて365日』(誠文堂新光社、2007年10月)

★沢村貞子『私の浅草』(装画=花森安治)
・浅草界隈に暮らす庶民の日常生活を活き活きと書き記した自伝的随筆約70篇(例:あたりみかん、銭湯、初詣、駄菓子屋騒動、たかが亭主の浮気、物売り、浅草娘、お花見役者、化粧、三社祭、ほおずき市、ヘチマの水、五黄の寅、萬盛庵物語、宮戸座、花屋敷のあたり、役者ばか、・・・)。当時の下町の(春夏秋冬、各月の行事や風習など)1年の暮らしぶりや風情を垣間見ることができる。
(p.76)観音さま附近、伝法院の庭、花屋敷の前の茶畑など、あっちこっちに空地があったのは、しあわせだった。
(p.90)浅草では、堅気の女はほとんど化粧をしかなった。土地柄で、水商売の女と毎日顔を突き合わせて暮らしているけれど、その濃化粧をうらやむもしないし軽蔑もしない。厚すぎる白粉も、赤すぎる口紅も、商売上のこと、と知っているからだった。だから、色を売らずにすむ女は、ヘチマの水で叩くぐらいがちょうどいいとこ、それ以上のお化粧は、味噌汁が白粉くさくなる、といやがった。
(p.97)(母は)「寝るほど楽があるなかに、浮世のバカが起きて働く・・・」とつぶやくくせに、夜が明ければもう、さっさとタスキをかけて、台所に立っていた。なぜそんなに働くのか、と聞けば、「こんにちさまに申し訳がないからさ」と、いとも答えた。
(p.237)この原稿を書き続けている間、何度も浅草へ出かけました。昔、お世話になった方たちや、幼馴染にもおおぜいお逢いして、遠い日の思い出を語り合い、時間を忘れる楽しいひとときをすごすことが出来ました。





★2008.01.06追記
アラン・S.ミラー他『女が男を厳しく選ぶ理由』
・(ダーウィニズムを基礎とし、発展しつつある)「進化心理学」によって、人間の本性(人間性)を解明しようとする意欲的な試み。進化心理学の啓蒙書あるいは入門書となることを目指して本書は執筆されている。遺伝子レベルにおける人間の繁殖行動が基本的動因となって、人間や社会の営みがなされているという基本的な考え方のもと、いろいろな人間や社会の現象を説明しようとしている。この考え方でかなりのものがそれなりに(合理的に)説明できるが、あくまでも仮説であり、大きな錯誤がないとは断言できない。本書においては、社会科学的な説明は、一応すべて排除し、進化心理学で可能な限り説明しようとしている。学問においては、それは正当な方法ではあるが、危険もいっぱい存在している。下記の引用にあるように、(事実を語っているだけで価値判断を下しているわけではないと主張しながら)強いもの(国家でいえばアメリカ、社会で言えばマネー・ゲームの勝者)が世界を支配するのは「自然なこと」であるということを暗に主張することにもなりかねない。
 以下、備忘録的にいくつか引用しておく。
(p.10)人間の行動を決定するのは、生まれ持った本性、それに各人の個人的な体験と育ってきた環境である。いずれも私たちの考え、感情、行動を大きく左右する。この本では、体験と環境の影響はほとんど無視して、人間の本性を重点的に扱う。これには理由がある。
(p.13)・・・。学者、とりわけ社会科学者にはリベラルな左派が多く、進化心理学の学問的な議論では自然主義的な誤謬おりも、道徳主義的な誤謬のほうが大きな問題となる。大半の学者は自然主義的な誤謬をおかすことはまずないが、道徳主義的な誤謬にはしばしば足をすくわれる。(自然主義的な誤謬とは、「~である」から「~であるべきだ」へと論理的な飛躍をすることであり、道徳主義的な誤謬とは、「~であるべきだ」から「~である」へと論理的な飛躍をすること)
(p.21)標準社会科学モデルの原則4:・・・、まっさらな書字板に文字が書かれるように、人間の本性は誕生後に形づくられることになる。標準社会科学モデルは、この人間形成を生涯にわたって続く社会化のプロセスとみなす。
(p.27)進化心理学の原則1:人間は動物である。/原則2:脳は特別な器官ではない。進化心理学にとって、脳は、手や膵臓と同じように人間の体の一部にすぎない。
(p.31)・・・。私たちの脳は、祖先の環境になかったものや状況を理解できず、私たちはそのうした状況に必ずしもうまく対処できない(←過去1万年の間に人間は急速に進化したために、あるいは環境を激変させてしまったために・・・)。
(p.33)私たちの脳は、食べ物がなかなか手に入らず、いつ手に入るか予測できない狩猟採集生活を今も続けているともりでいる(←裕福なアメリカ人などがなぜ健康に悪いような肥満になるかというと・・・)。
(p.145)子どもが生き残り、性的に成熟するには、父親ではなく母親が長生きして、子どもを物質的に支えることが重要になる。女が男と比べてリスクを回避する傾向が強いのはこのためだと、キャンベルはいう。
(p.159)男は20代初めまではライバルと競争し、勝とうとするが、子どもの誕生をきっかけに、そうした衝動は衰える。結婚し子どもができると、男性科学者は昼夜を問わず実験室にこもりたい気分ではなくなるし、男性の犯罪者は大きな危険を冒してまで違法行為をしようとは思わなくなる。・・・。進化心理学で言えば、目的は繁殖の成功(結婚と子どもの誕生)である。男がすることは、犯罪であれ科学研究であれ、すべてこの究極の目的を達成するための手段なのだ。
(p.193)そのため、一夫多妻制の下では、男同士の競争が激化する。とくに地位の低い若い男は、地位の高い年長の男が多くの妻めとっていれば、繁殖機会をもてない可能性がたかくなるため、死に物狂いの競争に灰sる。・・・。一夫多妻の社会では殺人やレイプなど暴力犯罪の発生率が高いことがわかっている。このように、イスラム社会では、一夫多妻であることが、自爆テロ犯を生み出す一つの誘引になっている。・・・。(p.194)一夫多妻に加えて、若い男を自爆テロに駆り立てる重要な要因は、コーランに書かれた約束である。殉教者は天国で72人の処女妻に迎えられるというものだ。これは、地上で繁殖機会を奪われた若いイスラム教徒の男にとって、自爆テロに走る強い動機付けとなる。

日曜日, 12月 16, 2007

備忘録(2007.12.16)

昨日公共図書館で借りたもの




1)四方田犬彦『人間を守る読書』(文藝春秋、2007年9月)
・四方田氏によれば、「人間を守る読書」というのは、ジョージ・スタイナーが言っていた言葉であり、「アウシュヴィッツの絶滅収容所の所長が夕べにはリルケの詩を鑑賞し、朝になるとガス室へ出勤していた」という事実を前に、人間は文化を再定義しなければならないとのスタイナーの思いに由来するとのこと。本書は、第1章「生のもの」(最近のもの)、第2章「火を通したもの(時間が経過してある程度評価が定まったもの)」、第3章「発酵したもの」(評価が定まって古典になったもの)、第4章「読むことのマニアのための100冊」の4章構成となっている。他人に対し不寛容になってきている現代日本。書物を読むということは、他人の声に耳を傾けることであり、今こそ必要だと著者は主張する。
(p.11)わたしにとって書物を読むということは、実際にその場所に足を踏み入れることと平行した、対等な行為なのであって両方とも不可欠なのです。(即ち、四方田氏は、旅行に行く前と行った後にその土地に関する本をたくさん読んでいるとのこと)
2)『(NHK)古典落語名作選(DVD)』其の一(NHKソフトウェア、c2002)
・古今亭志ん生(五代目)「風呂敷」、古今亭今輔(五代目)「もう半分」、桂文治(十代目)「源平盛衰記(パロディ版)」、三遊亭〓弥(えんや)「七段目」
3)(ビデオ)「(新)男はつらいよ」第4作(原作=山田洋次、監督=小林俊一/マドンナ=栗原小巻/ロケ地=とウイキョウ葛飾柴又/封切日=昭和45年2月27日)

土曜日, 12月 08, 2007

備忘録(2007.12.08)

本日公共図書館で借りたもの
1)テオニ・パパス(著)、ピーター・フランクル(監修)『ねこでもわかる数学-ペンローズの不思議な冒険』(PHP、2003年8月刊)
2)『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか-親日家8人からのメッセージ』(明石出版、2006年2月刊)
3)早稲田大学理工学部(編)『理工文化のすすめ-早稲田大学理工学部自主挑戦科目「理工文化論」講義』(東洋経済新報社、2002年2月)
4)桂文珍対談集『世界万華鏡はいかが?』(潮出版社、1993年6月刊)
5)「男はつらいよ(フ-テンの寅)」v.3(マドンナ=新珠三千代/ロケ地=三重県四日市市、湯ノ山温泉/封切日=昭和45年1月15日)

(2007.12.09追記)




★『世界万華鏡はいかが?』
・桂文珍が日本人びいきの外国人13人と対談した記録を本にしたもので、最初の対談者がピーター・フランクル
(p.24)一度、僕は中曽根総理の教育に関する演説を聞いて、すごいショックを受けたことがあるんです。中曽根さんは、「難しいことなんか教えなくていい。先輩や両親を尊敬する程度でいい。」といっていた。たしかに、それで十年や二十年は困らないでしょうが、五十年先、百年先のことを考えたら、今よりずっと教育を優秀にして、国民の能力をあげなければいけない。でないと、これから出てくる機械はもう自分で使いこなせなくなりますよ。

★『理工文化のすすめ』
・オウム真理教徒のなかに理工系の人間が多かったことやバブルが崩壊して日本の発展が10年以上止まったことなどを契機に、理工系の人気がかなり下がってしまった(学生の応募も減ってしまった)。しかし、今後日本が延びていくためには、理工系の文化を普及させることが大事だとして、早稲田大学理工学部は本書を編集した。10人の講義録が収録されているが、ピータ・フランクルの講義「生活の中の数学・英語の数学的勉強法」は本書の最初にあげられている。
(p.3-4)第二次世界大戦中に米国で300万人の召集兵に対し梅毒検査をおこなわなければならなかったが、ひとり検査するのに約1ドルもかかった(当時の物価では1ドルでコーラ20本が買えた)ので、工夫してかなり経費を削減できた(方法:300万人を10ずつのグループにわけ、それぞれ10人の血液を混合し、梅毒検査をし、ひっかかったグループに対してだけ、全員の検査を行った→実際の検査は1/10ですんだ。)
(p.6)・・・。僕がいろんな国で自由に活躍できたのは、世界各国どこへ行っても同じ数学を自分の専門として選んだからなのです。だから(両親の職業と一緒の医者にならずに)数学者になって本当によかったと思います。

『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか-親日家8人からのメッセージ』

ピーター・フランクル「日本人はそろそろ「足る」を知るべきだ」
・日本及び日本人は、近年自信をなくし、マイナス思考に陥っており、いい目を見ている人間の足を引っ張ることばかりやっている。
(p.100)日本人は、アメリカ人には劣等感を抱き、その裏返しでアジア人に優越感を抱いている-今の日本人は、ぼくの目にはそう映る。これはとにかくナショナリズム(やあやまった愛国心)が悪い。
(p.111)かつての一億中流も、いまでは「勝ち組」「負け組み」というアメリカ的な思想に完全に変わっていった。それはとても残念だ。
(p.113)アメリカでは、一人勝ちしたら家を売り払って別の土地に引っ越して暮らすという構図だから、人間関係で悩む必要はない。新しい引越し先でさらにお金を稼いだら、さらに別の土地に引っ越すし、失敗したら元の場所の戻ったりする。アメリカの場合、人間関係は消耗品だ。だから大事ではない。大事なのは自分自身であり、自分と神の関係だ。なぜならアメリカ人はけっこう信仰心が篤いから。逆に、信仰が篤いから他の人間との関係はそんなに必要としない。だから同じ宗教、同じ教えの団体における人間関係は、直接の人間関係ではなく、同じ神を同じように崇拝するという人間関係になる。・・・。日本人はそうではなく、幼馴染や同窓会、郷土愛がある文化。だから一割か二割成功し、残りの九割や八割はどんどん生活がきつくなるといった環境はこのましくないのだ。




(p.115)そうした社会環境を変える方法は、求めることだと思う。日本とアメリカが対象的であることの一つに、何を重んじるのかということがある。つまり、結果を重んじるのか、それとも過程を重んじるのか。/アメリカの考え方では、いくら苦労してもどんな手段を講じてもいいから、とにかく勝つべきである。だからヒロシマ、ナガサキに原爆を落としたことに関してアメリカ人は罪の意識をもっていない。それによって戦争が早く終わったのだから、意味のあることをしたと思っている。原爆を投下されて多くの人が死んだり、苦しんだり、あるいはいまだに原爆症の後遺症に苦しんでいる人たちが大勢いるということは関係ない。結果だけが大事なのだ。/一方、日本人は本来、過程を重んじる文化である。そのことをぼくに最もわかりやすく説明してくれるのは茶道だ。結果だけを見ると、茶の湯のわずかの量の抹茶を飲んで、小さな和菓子をだべるだけで、たいしたことはないじゃないか。だが実際は、茶室に入り、・・・。そこにあるのはまさに過程であって、結果ではない。

土曜日, 12月 01, 2007

備忘録(2007.12.01)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『学力を伸ばす親力ー今すぐできる家庭教育の34のヒント』(実業之日本社、2005年9月刊)
2)小森健太朗(作)『駒場の七つの迷宮』(カッパノベルス、2000年8月刊)
・東大駒場寮は最近取り壊され、コミニケーションプラザやキャンパスプラザなどが新しく建設されたので、昔の面影はない。
3)(ビデオ)『男はつらいよ』v.2(マドンナ=佐藤オリエ;ロケ地=京都及び三重県拓殖/封切日:昭和44年11月15日)


★2007.12.02追記




昨日と本日の2日で読了(カッパブックス上下2段組で312ページの長編)
・私自身は比較的面白く読むことができた。しかし、東大関係者(特に駒場関係者)には興味深くよめるであろうが、学外者にはどうであろうか?(東大に強い関心をもっている人であれば別であろうが・・・。) アマゾンの書評(一つだけ書評が掲載されているがコメントする人は今のところゼロ)には、「本格トリックの醍醐味を十分に堪能できる傑作。特に女子高校生の自殺事件の真相はこの作者でなければなしえないトリック。目から鱗が落ちるという表現がこれほどぴったりくるのも珍しい。 」と手放しの賛辞をしているが、東大の某学生は、以下のように酷評している。
 http://nyaiki2.blog16.fc2.com/blog-entry-429.html
フィクションであるからどのような奇抜なストーリーでもかまわないわけであるが、探偵小説の場合は、事実としてありそうもないことはやはりしっくりいかない。(まずい例:たとえば、皆川博子のある小説で、1970年にJALのジャンボジェットに搭乗したと書いてあるが、1970年にはまだ日本の空をジャンボは飛んでいなかった。) この小説でも3ケ所ほど違和感がある記述があった。1つだけ例に挙げれば、下記のような記述。20年以上前の1984年の頃は、個人情報に対する考えが甘かったとはいえ、大学の公的なデータベースに「学生個人の信じている宗教や犯罪歴などのデータが入力されていることはありえないはずである。
[引用:・・・。こないだたまたまね、セキュリティシステムを一つ破って、一段奥の情報網にアクセスできたのよ。・・・。親族の犯罪歴の有無、入信している宗教の情報、・・・。]

(2007.12.04 追記)




★『学力を伸ばす親力(オヤヂカラ)ー今すぐできる家庭教育の34のヒント』
・ますます日本人以上に日本のことに詳しくなりつつあるピーター・フランクル。本書で彼は、子供の教育や躾において、日本人の親は、何をどうすればよいか、様々な提案をしている。
 子供の教育を考えるにあたって、今後の日本がどうなっていくかの見通しは重要。今後日本は、次のようになっていくとピーターは言います。
(p.18)どちらかというと、ほとんどの人が40歳ぐらいになると生産性が上がらなくなるので、給料は下がるのではないかと思います。つまり、中高年の人の可処分所得はどんどん減る時代になるのです。
(p.20)では、これからはどんな時代なのでしょうか。ぼくは、何かを新しく構築する時代ではなく、メンテナンスしながら活用する時代だと思います。
(p.21)資源、それによって消費できる物が限られてくる21世紀には、もっと内面的な消費、知的な消費を通して幸せになるべきです。
(p.186)繰り返しますが、外国語を上達するためには、どうしても自分で読み書きする必要があります。ぼく自身も近年、日本語が急速に上達したきっかけは自分で文章を書くようになったからです。最初はとても苦労しました。400字詰原稿用紙を一枚書くのに2時間もかかったのです。漢字を一つ一つ調べたり、自分の考えをうまく表現する言葉を探したり、大変な苦労が必要でした。しかし、この段階を踏まなければ、外国語の学習は決して先には進めません。このように、外国語の学習では一人で行う作業がとても大事なのです。(英会話学校にいってもあまり進歩しないことがあるのはそのせいです。)
 そのような日本及び日本人にとっては、勤勉だけでなく、もっと個性を大事にして、自由に生きることを学ばなくてはならない。たとえば、以下のようなことは参考になる。
(p.23)父が母と結婚したのは40歳を過ぎてからであり、ぼくが生まれた時には45歳でした。父は結婚するまで、ハンガリーの首都ブタペストに住んでいました。・・・。でも、母と結婚して家庭をもうけようとした時に、家族と過ごす時間を最優先させるため、ぼくが生まれた人口5万人の田舎町、カポシュバールに引っ越したのです。勤務先の病院は、家から歩いて10分もかからなかったし、ぼくの通った小学校、中学校、高等学校は、どれも歩いて5分のところにありました。
(p.25)どんなに親が忙しくても、週末だけでも、あるいは毎朝のわずかな時間だけでも、子どもと一緒に過ごす時間を作ることができるはずです。そしてその時間は、積極的にわが子と会話をすべきです。すると、親子の絆が強くなるのはもちろんのこと、子どものさまざまなことを伝えられて、必ずよい影響を与えることができるでしょう。
(p.43)時間はおそらく人間にとってもっとも重要な資源です。そして貧富の差はありません。総理大臣でも国王でも庶民でも、一日は24時間で、一時間は60分で、一分は60秒です。子どもの人生は、大人よりもとても長いのです。だから、その資源を子どもたちがどれだけ有効に利用できるかによって、将来の人生は大きく左右されます。この大切な資源の有効活用を、子どもにもっと強く伝えるべきです。
 それから、日本人に対し、次のようにもっと広い視野をもてと提言します
(p.52)もうそろそろ、国語を日本語と読んでいい時代ではないでしょうか。
(p.54)ただ、日本のすべての子どもに「富士山が日本一美しい」という考えを押し付けてほしくありません。自分の地域の里山が一番美しいと思っている子どもの気持ちを奪ってほしくないのです。
(p.55)また、地元で採れる野菜や魚、その地方の名物に親しむべきなのです。全国チェーンの店が広がって、均一的な料理を子どもが一番おいしいと思っていることは、とても残念なことだと思います。

金曜日, 11月 23, 2007

備忘録(2007.11.23)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『よい日本、だめな日本』(扶桑社、1998年2月刊)
・本書は、産経新聞の「異文化フォーラム」、東京新聞「言いたい放題」、週刊読売「ピーター・フランクルの週刊ジパング情報」に連載されたものから抜粋し、加筆・修正して編集したもの。
2)同上『美しくて面白い日本語』(宝島社、2002年2月刊)
3)左近司祥子『ソクラテスになった猫』(勉誠出版、2005年10月刊)
4)『詳解HTML&XHTML&CSS辞典』(秀和システム、2005年2月)


(同日追記)
★『よい日本、だめな日本』
・この前読んだ『ぼくが地球であった愉快な人たち』だったか、何篇かは重複している。新聞に掲載されたものであるため、どれも2ページほどの短いエッセイであり、気楽に読める。
(p.18)日本の問題はその間、つまり6歳と60歳の間の年齢層である。その時まで楽しく学習してきた子供は、小学生になると突然勉強がつまらなくなる。原因はもちろん、日本の集団生活を重んじる学校制度にある。ランドセルや通学路をはじめ、すべてがきめ細かく決められ、しかも学校で過ごす時間も欧米より永井。子供の個性と一緒に、その興味や好奇心も撃ち殺されていく。明治時代の遺産であるこの軍隊主義教育の結果、高校卒業の時は既に、型にははまった人間ができあがっている。このような、命令に逆らわない人材は確かに企業にとっては扱い易い。
(p.42)人間は独りでいて孤独に耐え、自分のこと、人生、世界のことをじっくり考えるのが、精神的に成長するために非常に大切である。しかし、子供の時から学校や塾で過ごす時間の極めて長い日本人は、独りでいることが苦手である。一例をあげると、フランス人は基本的に喫茶店で待ち合わせをする。先に着いたほうは、他の客を見たり外の景色をみながらあれこれ考えながら時間をつぶす。しかし、日本人の場合、外で待ち合わせをすることが多い。たった5分の時間をもてあまし、飛びつくように携帯電話か公衆電話からだれかに電話をかける。
(p.93)・・・。だから学校で正しい歴史観を教えてもらいたい。そのためにも日本史と世界史を分けないほうがよい。
(p.171)(思考も感情も)ストレートの国、アメリカにも住んでみた。スポーツをたくさんしているせいか、健康にあふれた、立派な体の持ち主である女性が多かった。でも、友達になってからも、男女対立が続く。表面的な討論は、すぐ喧嘩になり、男女間の壁がなくなるはずのベッドも、レスリング・マッチになってしまう。一緒にいる間は、リラックスできなくて疲れるのだ。

(2007.11.26追記)
★『美しくて面白い日本語』

・世界的な数学者にして世界を放浪する大道芸人(12ケ国語を話せる国際人・自由人)であるピーター・フランクルは、日本が気に入り定住するようになった。日本が気に入り、日本語を楽しみながら集中的に勉強するうちに、『美しくて面白い日本語』のような達意の日本語が書けるようになるとは驚きである。

(p.10)・・・。そんなことから、もう日本語を勉強する必要はないと考えるようになった。知らない単語が出てきたら、その都度、覚えれば充分だと思うようになっていた。そんな時期に、僕の人生を大きく変える出来事が起こった。それが『たけし・逸見の平成教育委員会』というテレビ番組への出演だった。
(p.177)当時から僕は渋谷に住んでいたけれども、賃貸アパートで、土地やマンションはとても変えなかった。近年は地価も大分下がり、三年前に(注:この本の出版が2002年であるので1999年のことか?)、バブル期の約七分の一の値段で土地を買って事務所を建てたが、決して投資目的ではない。税金が高くなるだけなので、地価が上がることを決して望まない。
(p.184)僕の子供の頃は、父に勉強を教えてもらったり、母と一緒に料理を作ったりした。とにかく、愛している人たちと一緒に長い休暇を過ごすということが大事なのだ。そのようが、精神的に裕福ではないだろうか。
(p.210)数学者であり大道芸人である僕が、考えてみればこの二つを除いて一番たくさんの時間をかけて勉強したのが日本語である。他にもいろいろ言語を勉強したけれども、ここまで徹底的に学んだものはなかった。

土曜日, 11月 17, 2007

備忘録(2007.11.17)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『ぼくが地球であった愉快な人たち』(講談社、1997年1月刊)
・本書は、増進会出版社(いわゆるZ会)の会員向け情報誌『Azest』に連載されたものに加筆し、書き下ろしたものを加えて1冊にしたものとのこと
2)『図説・古事記と日本の神々』(学習研究社、2007年7月刊)
3)[Video]『男はつらいよ』(原作・監督=山田洋次/マドンナ=光本幸子/ロケ地:京都、奈良/映画封切日:昭和44年8月27日/松竹ホームビデオ)
・中学の時に(父親と大喧嘩して)家出し、テキヤ家業(露天商)で20年放浪した後(両親と兄は死に、親戚の世話になっているたった一人の妹にあうために)故郷・柴又にもどってくる(寅さん)という不自然な設定。ビデオのジャケットには、「(この映画が放映されるや)寅さん旋風が起こり、以後シリーズ化、国民的ヒーローとして数知れないファンを魅了し続ける記念すべきシリーズ第1作」と書かれているが、40年近く経過した今から見ると、時代の経過による人々の考え方や感性の違いが実感される。寅さんのような人間は身近にいてもらいたくないが、それでも郷愁を感じるところもあり、くだらない映画と一刀両断に切り捨てる気にはなれない、といったところか。


★2007.11.18 追記
『ぼくが地球であった愉快な人たち』
・母国を含め15ケ国(東ドイツ、ポーランド、ソ連、スウェーデン、西ドイツ、バンングラデシュ、台湾、タイ、アメリカ、フランス、スペイン、ポルトガル、スイス、母国ハンガリー、日本)の放浪記。以下、引用
(p.21)ぼくがとくにロン(ロナルド・グラハム米国数学会会長にして、ジャグラー)から学んだのは、ものごとの習得法だった。それは、なんでも全体をいくつかの部分に分けて考えるとうまくいくということだ。こまかい部分の証明を積み重ね、最終的に全体を証明するという数学的で論理的な手法は、いろいろなことに応用できる。
(p.47)第一次大戦後、ハンガリーでも反ユダヤ主義が高まったとき、ユダヤ人はオール5でないと大学に進学してはならないという法律ができた。父の弟は高校時代にたった一つだけ4の科目があったため、進学できなくなった。
(p.49)(ハンガリーが)共産主義時代はみんなあんまり一生懸命に働かなかったから、ニ週間とか三週間の休暇をとることも可能だったが、資本主義経済のもと、働いただけお金になるようになると、みんな休暇もあまりとらなくなった。それにつれて、心にゆとりもなくなった
(p.149)多くの日本人は、一人でいることがすごく苦手のようだ。仕事や家庭環境の問題などで、一人でいる時間がなかなか持てないという事情もあろうが、ぼくの目には、日本人は一人になる機会を意図的に避けようとする傾向があるように見受けられる。しかし、それでは自分で決すべきこと、たとえば大切な自分の進路についてまで、周囲の意見に流されてしまいやすい。日本人は自分の意見を正面切って主張しないといわれるのも、そんなところに原因があるのではないだろうか。
(p.157)日本では、旅先でもみんながテレビから目を離せないらしい。携帯用のゲーム機を持参して、それに熱中している若者もいる。耳からウォークマンなどのヘッドホンをはずせない者もいる。こうした場面は、ぼくらには実に奇妙な現象に映る。非日常な雰囲気の中での新しい出会い、未知の人との交流のほうがずっと楽しいと思うのだが・・・。

土曜日, 11月 10, 2007

備忘録(2007.11.10)

本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『ピーター・フランクルの諸国漫遊記』(増進会出版社、1998)
2)ピーター・フランクル『旅ゆけば日本』(世界文化社、1994)


(2007.11.11)追記
★『旅ゆけば日本』(世界文化社、1994)

・本書の内容は、1992年4月~1993年3月まで、NHKの『ミッドナイト・ジャーナル』で放送されたピータによる取材に基づいたものであり、ピータはこの取材により、日本の全ての県でいったことのないところはなくなったよし。ピータの観察眼はするどく、日本の最近のタレントによる表面的な取材などは顔色なし。
(p.8)・・・。ところが向こう(NHKの某ディレクター)の意図は、そんな僕の密かな願望とはだいぶ異なるものだった。ディレクター氏が考えていたのは、僕を日本全国のさまざまな地域に送り込んで、その場所とそこで暮らす人々についてレポートさせる、という内容なのだった。
(p.67)一般に日本人は、一人ひとりはサービス精神が旺盛なのに、企業やお役所など組織の一員になったとたん、まるで正反対にドケチで柔軟性の欠如した人間になったしまうようだ。何をするにも上司の判断を仰ぎ、規則に外れた行いを恐れ、事なかれ主義に徹する人がほとんどだ。
(p.196)故郷ハンガリーで、僕は大学卒業後、25歳のときに兵役についたことがある。普通より短い半年で除隊を許されたものの、そこでの思い出はあまり良いものではない。だから日本の学校や企業で普通にみかけられる、こういった「命令一下で動く人々」に出会うたび、かつての軍隊生活を思い出し、違和感を覚えるのだと思う。
(p.226)ほぼ1年かけて、こうして日本各地を訪ねた結果、僕が足を踏み入れたことのない都道府県はもはやなくなった。もちろん以前にもずいぶんあちこちと回ったけれども、こんなにいろいろな職業の人たちに出会えた旅は初めてだ。そのうえ、彼らの仕事をほんの少しだが自分も体験させてもらえたことは、どんなにお金を払っても手に入らない宝を授かったような気持ちだ。

★『ピーター・フランクルの諸国漫遊記』(増進会出版社、1998)
(p.7)僕が日本で東京以外に住みたい町は二つある。一つは福岡、そしてもう一つは札幌だ。いいまでもなく、冬は福岡、夏は札幌で過ごせたら最高だ。この二つの町は交通の便も良く、訪れてみてとても楽しかったからだ。
(p.36)・・・。番組も最後に毎回、諺をひねって教訓を作っているのだが、この時は「人の振りみてわが振りなおせ」を「蜂の振りみてわが振りなおせ」とした。とかく働きすぎの日本人。蜂を反面教師として、もう少しゆっくりと人生を楽しんでほしい。
(p.60)父は母よりも19歳年上で、長崎を訪れた時も78歳という高齢だったが、その好奇心の旺盛なことは僕にも母にも見劣りがしないものだった。「それは何?」「そこには何と書いてあるの?」と絶えず質問をしていた。父の口癖は、「自分の財産は心と頭だけ」というもので、これは僕の座右の銘にもなっている。医者として働いてきた父は、自分の財産を築こうなどということには無頓着で、家も建てずに、亡くなったのも賃貸住宅だった。
(p.210)この本はZ会で続いている連載の、ほぼ二年分のまとめである。ここ数年、僕は講演会で全国津々浦々回っていて非常に誇りにしていることは、全国47都道府県すべてを4回以上訪れていることである。おそらくこう言える日本人は、そう多くないだろう。

日曜日, 11月 04, 2007

備忘録(2007.11.04)


本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『新ニッポン見聞録2:ニッポンたてヨコ斜め』(WAVE出版、1994年)
・前回借りたものの続編。本書の裏表紙の折込内側カバーに「超多忙のなか、テレビ出演、全国各地での講演会と東奔西走しながら、地元渋谷を中心にジャグリングを(大道芸として)披露」と書かれている。
2)セシル・ベルジュ著『世界の名作シネマを読み直す』(いそっぷ社、2007年7月)
・カラフルかつ簡潔な記述で面白そう。

(2007.11.05 追記)
★ピーター・フランクル『新ニッポン見聞録2:ニッポンたてヨコ斜め』

・ピーター・フランクルの好奇心はつきない。ピーターは人間の創造性や自由を非常に大切にする。したがってピータは、(日本という国家ではなく)日本人を愛しているが、個人の創造性や自由を抑圧する日本の官僚主義や日本の教育のあり方に手厳しい批判を加える。良い方向に、日本人自らが努力して、直していってほしいと切実に思う。
以下少し引用する。
(p.8)・・・。高校、大学が一生を通してつきあえる友人を作る大切な場になるのだ。友人を作るためには一緒に過ごす多くの時間が必要だからだ。日本にとって不利な点は、日本の学校は遅い時間まで授業があって、その後には塾などあって、集団で過ごす時間が多い。僕の考えでは、友人と一緒にいる時間こそ多く必要なのだ。
(p.12)僕は大学時代に、その人が何回自分の家に呼んでくれたかどうかで、本当の友人なのかを計ったことがある。大学だけで話をしたり、映画とかを一緒に見に行ったりしても、家に呼んでくれない人は単なる仲間。
(p.14)ところが最近、日本人の時間にかなりルーズな点に気がついた。確かに、打ち合わせにも取材にもきちんと時間通りに来る。けれどもあらかじめ約束した時間にはなかなか帰らない。・・・。
(p.45)・・・。早く食べると太るし、胃腸にかかる負担も多くなる。日本人の場合、西洋人と比べると胃がんが非常に多いが、理由のひとつに、日本人が急いで食べることにあるのではないだろうか。急いでしかも熱いものをそのまま食べれば、口の中ではそうは感じないかもしれないけど、胃の中は熱いに決まっているのだ。
(p.46)・・・。宗教が違った、生まれた国が違う友人を作れば、それだけで国際人になれる。
(p.82)僕はときどきおもうのは、日本人は普通の国の人よりも風邪をひく人が多い。その理由のひとつは、もしかすると、部屋にあまりヒーティングをかけないからではなかろうかと思う。
(p.164)僕が驚くのは、小学生や中学生はまだしも、高校生や大学生も全然質問しないことだ。私立学校など、親はかなり高い授業料を収めている。つまり、間接的であれ、親は先生を雇っているわけだ。そうであれば、子どもだって親を通してお金を払っているのだから、質問の権利があるとおもう。
(p.202)・・・。しかし、違う場所で講演するからといって、同じことを話すのは嫌で、それぞれに何か新しいことを話したいというのが僕の気持ちである。講演先の希望を取り入れて、毎回内容を工夫して作ろうとすると、さきほど書いたようなテーマが集中する勉強や教育問題について、自らいろいろ考えることになった。

土曜日, 10月 27, 2007

備忘録(2007.10.27)


本日公共図書館で借りた本
1)パトリック・デ・リンク著『西洋名画の読み方』v.1(創元社、2007年6月)
・西洋の絵画を「読む」あるいは理解するためには、キリスト教と西洋古典の伝統に理解が必要があるが、本書はそれらの理解の手助けをしようとするもの
2)ピーター・フランクル『(新装版)新ニッポン見聞録』(WAVE出版、1992年初刷、1993年6月に新装版)
3)E.クイーン(著)、井上勇(訳)『チャイナ橙の謎』(創元推理文庫)
4)『四字熟語ひとくち話』(岩波新書別冊n.10、2007年4月)

ピーター・フランクル『(新装版)新ニッポン見聞録』
・200ページほどの分量なので、本日4時間ほどで読了。
 ピーター・フランクルは、日本を深く愛しているが、端々で手厳しい日本「社会」批判をしている。個々の日本人というより、日本社会のあり方を批判しており、いずれも的確な批判である。褒められているところは日本人として心地よいが、自分たちのためになるのはむしろ批判されている部分である。以下、少し引用してみよう。

(p.29)いずれにしても、日本に来て、ぼくは初めて「自分の国」というものを発見したような気がした。そして、生まれて初めて、国のために何かしたいという気持ちが芽生えたのだ。それまでは、実に勝手な話だが、国というものは自分のために利用するものでしかないと考えていた。「日本のために何かしたい」--この本を書こうと決心したのも、そのためである。ぼくは、日本人には、「自信」というものが一番欠けていると思う。・・・。ただ、「自信をもつ」ということと「自慢する」ということは違う。「日本社会は優れているのだ」と自慢するばかりではいけない。・・・。
(p.52)ぼくは、トイレでお湯が出ないことと、豊かな国日本に潜在的に残る貧乏意識は、密接に結びついているような気がする。・・・。冷たい水で手や顔を洗わなければならないのは、決して快適なことではない。とりわけ冬場は水が冷たすぎて、ついつい手を洗うのを省略したくなってしまう。
(p.75)いずれにしても、即位の礼の時の「警備体制」で不愉快な思いをしたのは、ぼく一人だけではないはずだ。都内のあちらこちらがひっくり返され、調べられ、駅構内の自動販売機やロッカー、公衆電話は使用できなくなった。・・・。国民にそこまで大規模な迷惑をかけて大丈夫なのかと、逆に心配してしまったほどである。個人の自由を侵害するくらいなら、儀式そのものの規模を縮小させたほうがよいのではないか、と考えたのはぼくだけではないだろう。
(p.102)民主主義は外国から日本に移植されたが、多くの国民は、いまだに民主主義というのが何であるのかわかっていないような気がする。総理大臣や政治家よりも、本当は国民のほうがはるかに偉い。国民は政治家を(税金で)「雇って」いるのだ。税金を通して国民一人ひとりが、閣僚、政治家を雇っている以上、国民には当然のこととしてすべてを知り、判断を下す権利が委ねられているはずだ。
(p.117)日本では、個人が判断して決められる範囲がとても狭い。「責任」を逃れようとするあまり、個々人は言われたこと、命令されたことしかしようとしないのだ。そのことが、数々の無駄や不合理、タレントや部下の人形扱い、子ども扱い、軍隊のような上下関係の根本にある。
(p.141)要するに、頭は使えば使うほどよくなるのだ。科学の水準を比較すると、言語形態が複雑なところほど科学のレベルも高い傾向がある。たとえば、アメリカで数学の博士号を取得した人の半数を占めるのが、もともと漢字を使っている国の人、すなわち中国人、日本人、韓国人なのだ。また、西洋諸国で使用されている諸言語の中で、ハンガリー語は最も複雑な文法をもつ言葉のひとつ。そのためか、ハンガリーにはノーベル賞の受賞者がすでに11名もいる。子どもを甘やかし、漢字をなくすことによって負担を軽くしようとする動きは、必ずや日本の将来に悪い影響を及ぼすことになるだろう。
(p.157)ぼくは日本が好きだ。日本人も大好きである。ただ、日本の社会の形態そのもの、特に政治家や一般的に支配者階級と呼ばれる人々はどうしても好きになれない。まず第一に、これまでも述べてきたように、日本の政治はあまりに企業優先主義的である。弱い個々人を保護するよりも、強い企業を保護する傾向が強すぎる
(p.195)強引に塾に通わせ、劣等感を覚えさせるよりも、母親が側についてあげて、「どんなに成績が悪くても、あなたは私の最愛の息子よ」「気にすることはないわよ、マイペースでいきましょう」と声をかけてあげたほうがよほど効果がある。
(p.203)・・・。現在の日本社会は、上部の人間がなるべく管理しやすいように形づくられていて、そこから生じる弊害の責任も、そうした上層部の負うところが大きい。・・・。ただし、この先何十年も現在の社会が維持されるなら、それは上(層)部のみの責任ではなく、維持を許した日本人全体の責任といわざるをえないだろうが。

日曜日, 10月 21, 2007

備忘録(2007.10.21)


昨日、公共図書館で下記の1冊のみ借用

本日は、E.クイーンの『シャム双子の謎』(井上清訳/創元推理文庫)を一気に読んでしまった。面白くはあったが、訳文は日本語になっているとは思えず、非常にフラストレーションを感じた。

1)ピーター・フランクル『僕が日本を選んだ理由(世界青春放浪記n.2)』(集英社文庫、2003年)
・書き下ろし。すぐに読みたかったが、上記の本が途中だったために、本日は読めず。

(2007.10.24追記)
『僕が日本を選んだ理由(世界青春放浪記n.2)』





・ハンガリーからフランスに亡命しフランス国籍を得た(ユダヤ人の)ピーター・フランクル。フランスを基点に、アメリカを始めとして世界中を(数学の講演方々)放浪した(している)が、結局は日本が一番心休まる国であることを発見し、フランスではなく日本を基点に世界を放浪することがしだいに多くなっていった。
・もちろん日本が好きだといっても、日本のいやなところや改善してほしいと思う点は多々ある。近年日本中を講演してまわっている(全県制覇!)が、日本人にない生き方や発想法のため、日本人は興味をもって耳を傾けてくれる。ピーター・フランクルが日本人に特に望むのは、余り杓子条規に考えないことと、日本人も人生をもっと楽しんでほしいという2点。以下、少し引用しておく。
(p.8)いつの頃からか、海外から日本に戻るとそんな風に感じるようになった。この国に惚れて、放浪生活に終止符を打ち、こうしてほっと心安らぐ自分の居場所をやっと見つけるまで、ずいぶん長いこと世界をさまよったような気がする。・・・。
(p.10)・・・。亡命後、数学者で本当によかったと心の底から思った。医者ならば、国が変るとまた資格を取り直さなければ仕事ができないが、数学は世界共通の学問であり、自分が書いた論文で評価を受ける実力の世界だ。すぐパリで定職を得て、研究員としていろいろな国をまわることもできた。
(p.171)自由を求めてフランスに亡命したぼくだが、決して親と縁を切ったわけではない。よく考えてみると亡命後でも、盆と正月だけ故郷の親元に帰省する日本人よりは、ぼくが両親と過ごした時間の方がずっと長いと思う。しょちゅう会っていたわけではないが、毎年、両親と共に一ケ月くらいの旅行をするようになったからだ。・・・。
(p.186)次に向かった京都では、目の覚めるような紅の色彩に迎えられた。事前に調べていったわけでもないのに、11月始めの京都は紅葉が一番きれいな時だったのだ。両親はこの光景に感嘆の声をあげた。実際それまでも、それからも、あんなに美しい紅葉をぼくは見たことがない。
(p.296)なぜ(彼女は)他の人種を差別するようになったのかというと、たぶん親の差別意識が伝わったからだと思う。それは一種、信仰のようにとても強く心に刻まれるようだ。つまり、その考えが正しいのか正しくないのか、自分の頭で判断しようともしない。キリスト教の敬虔な信者が、「もしかしたら仏教の考えが正しいのではないか」とは絶対に考えないのと同じである。親や周りの人が思っていることを、判断力のない幼い頃から聞き続けると、その考え方が刷り込まれて、宗教のように頭のなかに入ってしまうのだろう(フランクルは、恋人がはげしい反ユダヤ主義者であることを発見し、彼はその恋人と別れることになる。)
(p.310)もっとも馴染めなかったのは、価値観だ。「もしあなたに脳味噌があるなら、なぜお金がないのか?」という言い回しがあって、つまり、「金がない人はだめ」とういのが、アメリカ人の価値観だと感じた。
(p.315)ぼくから見た日本人には素晴らしいところがいろいろある。真面目で仕事を一所懸命にする。人との争いを好まない。優しい態度で人にのぞむ。ただ、あまり人生を楽しんでいないように見えることもある。だから、「今で通りきちんと仕事をしたうえで、その他の時間をもっと自由に社会の既成概念にとらわれずに、自分なりの判断をしてみましょう」と提案したいと思った。

土曜日, 10月 13, 2007

備忘録(2007.10.13)


本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『世界青春放浪記-僕が11ケ国語を話すわけ』(集英社文庫)
 ・目次をみたら面白そう。早く読みたい。
2)エラリー・クイーン『シャム双子の謎』(創元推理文庫)
3)エラリー・クイーン『間違いの悲劇』(創元推理文庫)
4)エラリー・クイーン『オランダ靴の謎』(『世界名作推理小説体系v.15』に収録されたもの)
 現在小森氏の『探偵小説の論理学-ラッセルの論理学とE.クイーン・・・』を読んでいる関係でクイーンの小説を読みたくなり借りたが、ピーター・フランクルの本を先に読みたくなったので、そちらを先に読むことにする。

(10月14日追記)
ピーター・フランクル『世界青春放浪記-僕が11ケ国語を話すわけ』
 これも今日1日で読んでしまった。
 ピーター・フランクルは、ハンガリー出身のユダヤ人で、若い時にフランスに亡命している数学者。NHKなどのTV番組にも時々出演しているので、日本人で彼を知っている人も多いことと思われる。大道芸人であることも知られているが、ユダヤ人であるがゆえに大変な苦労やいやな目にあっていることを知っている日本人は少ないかもしれない。
 彼の生い立ちはどのようなものか、彼はなぜ世界を放浪するようになったのか、なぜ無神論者になったのか、ハンガリーに残した両親との関係はどうなっているのかなど、詳しく率直に書き記している。若い頃の自己中心的な考え方や行動には少しいやな感じもするが、世界中の国々の市井の人々と接するうちに、知性も心も開かれ、名実ともの、コスモポリタンとなっていった。(私は真似ができないことが多いが)共感する点も多く、お薦めの書物である。以下、少し引用しておく。

(p.8)天気のいい休日、あるいは人々がほろ酔いかげんで歩く夜、色とりどりの大きな水玉のついた衣装にジュラルミンのトランクを持って、ぼくは街に出てゆく。トランクには芸道具一式が入っている。・・・。
(p.17)ユダヤ人の歴史は六千年におよぶ。最初の四千年は、ごく普通の農耕民族として現在のイスラエルに住んでいた。・・・。その後、イスラエルはローマ帝国に占領される。・・・。自分の国を持たずに二千年間も流浪をつづけた民族はユダヤ人の他にはない。・・・。ユダヤ民族はなぜ消滅しなかったのか。最大の理由は宗教である。このことは無神論者のぼくも認めるしかない。・・・。
(p.19)・・・。日本の被差別部落の人々が、人のいやがる仕事にたずさわったのと同様に、ヨーロッパでも、禁じられた職業にたずさわるのは被差別民族だった。金銭にかかわる商売をする人間は、ほとんどユダヤ人にかぎられていた。たとえば世界ではじめて銀行をつくったのはユダヤ人である。こうして一部のユダヤ人は大金持ちになった。
(p.35)この時期(1944年3月頃)になるとハンガリーのユダヤ人は、これまでの強制労働とは違ってもどるあてのない強制収容所に送られるようになる。からだの弱い人々はポーランドのアウシュヴィッツに送られ、そこで殺されていった。父の両親は早い時期に強制収容所に送られたが、このころはまだ生きていた。だがドイツの敗戦が決定的になると、ドイツの指導者たちは、ユダヤ人の大量虐殺を開始した。祖父と祖母はハンガリーが完全に解放されたあと、戦争が終わる1ケ月前にオーストリアで殺されてしまった。
(p.44)・・・。1953年3月26日、母は帝王切開で男の子を産んだ。それがぼくである。今度も父は亡くなった自分の父の名をつけたがったが、二人目は自分の番だと母が主張して、「ピーター」というハンガリー人の名前をつけてくれた。
(p.55)わが家にはいつも肉と卵があった。病気の治った患者さんが感謝の気持ちをこめて食料品を持ってきてくれたからだ。患者が医者にワイロを贈るのはハンガリーでもよくあることだが、父はけっして患者からお金を受け取ろうとはしなかった。
(p.63)ハンガリーでは戦後、ほとんどの人が教会に行かなくなった。教会に通っていることが会社に知れると、よい共産主義者でないと言われて出世が望めなくなる。・・・。戦争で両親を失った父は、もし本当に神さまがいるならこんな残酷な行為(=強制収容所での大量虐殺など)を許すはずがないと、どんな神も信じず、子どもたちも無神論者として育てた。「弱い者は宗教に頼る。強い者は自分に頼る」という父の教えを聞いて、ぼくも父のように強い人になりたいと思った。
(p.191)ほかの左翼の人々との出会いもあって、ぼくは共産主義を一つの宗教と考えるようになった。どんなに宗教の矛盾を指摘しても、信者は死ぬまで神さまを信じる。共産主義者も同じである。どんなに経済状態が悪くても信者は共産主義を信じつづけるのだ。(注:バートランド・ラッセルの指摘と同じ)
(p.306:あとがき)自分の生活や生き方が、人々に語るに値するとは思っていなかった。ぼくはただ心のおもむくままに日々を過ごしてきただけであって、自分の生活が他の人々とそれほど異なっているとは意識していなかったのだ。それが日本に来て、この国の人々と語りあううち、どうも自分の生活が彼らに驚きを与えるような一風変ったものであるらしいことに気づいた。・・・。(p.309)現在の日本が高い教育レベルを誇っているのは事実だ。しかし、生徒一人ひとりの可能性や才能の発掘に充分時間が割かれているとは思えない。・・・。より多くの「自由」を味わってほしい。この本がそのきっかけとして少しでも役立てば幸いに思う。

(2007.10.21追記)
『シャム双子の謎』よりも『間違いの悲劇』の方が面白かった。
『シャム双子の謎』の邦訳(井上勇訳)は、1960年に初刷、1999年に55刷がでておりかなり売れているといえるが、訳文が日本語になっているとはいえず、意味の取れない(意味が確定しない)ところがかなりあった。原文をみてないので断定できながい、誤訳も少なくないように思われた。逐語訳(直訳)になっているところが多く、文を2つか3つにわけないと誤解したり意味がとりにくいものも、長い一文になっているところが多く、読みにくかった。

土曜日, 10月 06, 2007

備忘録(2007.10.06)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『ピーター流わくわく旅行術』(岩波ジュニア新書)
 ・子供向けの本だが、多分面白いだろうと思い借用
2)ピーター・フランクル『日本人のための英語術』
 ・検索したらひっかかったので、1)のついでに借用
3)福田恆存『現代の悪魔』
( ・ふくだ・つねあり氏のバートランド・ラッセル批判の「自由と平和」「現代の悪魔」の2点を含む/若い時に読んだはずだが、忘れてしまったのでもう一度読むべく借用
4)『週刊朝日』2007年9月28日
 ・安倍首相関係記事を立ち読みしようとしたらすぐに書店から消えてしまったので、図書館で借用(新しい号が出ると、その前の号は貸出可能となるルール)

(2007.10.07 追記)ピーター・フランクルの Official site
『ピーター流わくわく旅行術』
・さすがに「ジュニア」新書ということで、わかりやすい(読みやすい)うえに、活字が大きいのであっという間に読了。ピータは基本的に無神論者で、国や宗教よりも一人ひとりの人間の自由と責任を大事に考える。ピーターの主張にはほとんど共感。他の著書も何冊か読んでみたいと思うようになった。少しだけ、本書から下記に引用。
(p.3)だからたとえば、道や公園で新しく出会った人と話をするのも旅の一種だと考えます。・・・。そう、「人との出会い」が「僕の旅」と言いかえられそうです。そして、頭を柔らかくして心を開き、他人の話を寛容的に受け入れること(開眼開心 open mind and open heart)が旅の条件です。
(p.11)人は皆、洗脳がいかに恐ろしいものかを知っていても、自分が洗脳されていることには「外に」でなければ気づきません。自由の国に住んでいると思っているアメリカ人も、自国で2001年に起こったテロとその後の戦争について、マスコミが皆同じことを言ったり書いたりしていることや、それによって洗脳されていることに気づいていません。テロ事件はたしかにひどいけれど、アメリカ自身が招いた部分もあるという一部の意見を理解しようとしません。別の国に行けば、気づく可能性があります。
(p.27)「語学のため」ではない留学のほうが、実際には語学の勉強になるということを指摘しておきます。語学留学すると、クラスの人たちは自分と同じようにその国の言葉が下手な人ばかりです。その人たちと友達になって週末を一緒に過ごしたり、場合によってはつきあったりするようになっても、決して高いレベルの語学の勉強にはなりません。

2007.10.08 追記)
P.フランクル『日本人のための英語術』

・30ケ国語を理解し、(日本語も含め)11ケ国語で大学の講義(といっても主として数学)ができるという語学の達人による、日本人のための英語によるコミニケーション指南書。数学者らしくユニークな視点でかかれており、参考になる。特に、よく使う、重要な3文字or4文字単語についての言葉遊び(ゲーム)の効用について述べているところは、(大道芸人でもある)フランクルならでは。
(p.i)これは英会話の本ではありません。世界中で英語を多少できる人々と、自由に楽しくコミュニケーションをとるための指南書です。
(p.ii)完璧主義は日本経済を支えていますが、外国語で話すときは足かせになってしまいます。
(p.40)ダイニング・キッチン(DK)を英語で書いてみてください。dining kitchen という答えがふつうでしょう。おそらく living room の類推から、-ing 形にしたのだろうと思います。しかし、正しい英語では、dinner を食べる(dine)という意味から、dine-in kitchen なのです。・・・。同じように、walk-in closet も walking closet ではないのです。

日曜日, 9月 23, 2007

備忘録(2007.09.23)


 8月中旬、浦和駅近くの古本屋で、525円で購入した(故)小田実の『何でも見てやろう』(講談社文庫)を最近ようやく読み始めている。今読んでも内容は古くない。約450ページあるが、電車のなかで少しずつ読むには手ごろそう。

・参考:小田実「ヨダレと微笑-ラッセル」

★9月29日追記
 29日読了。50年近く前に書かれた各国放浪記(ベストセラー)であり、その後世界の状況は激変しているが、興味深く読むことができた。「ひとつ、アメリカへ行ってやろう、と私は思った。」という(有名な)書き出しで始まる。1日1ドル(当時のレートは1ドル360円)で食事と宿泊をまかなうとの方針を貫き、各国のスラムにも気後れすることなく入り込み、多くの人たちと親しくなり、貴重な体験を無数にして帰国。驚異の好奇心とバイタリティである。物見遊山といって悪ければ、それぞれの国や地域について、うわべだけの理解しかしていないと思われる人間が書いた旅行記とは雲泥の差がある。

1ケ所だけ引用:
(p.138) ・・・。私は何でも見ようと思った。あらためて、私はそう思った。(水道栓をひねっても)水の出ない国も、チョロチョロの国も、お湯のでる国も、出ない国も、私はすべてを見て歩かねばならない。私はそのとき、はじめてはっきりと、アメリカからの帰途、ヨーロッパ、アジアを回って帰国することを決意したと言って良い。・・・。
・目次から(一部):まあ何とかなるやろ(「留学生業」開業)、何でも見てやろう(美術館から共同便所まで)、ゲイ・バーの憂鬱(アメリカ社会の底)、アメリカの匂い(さびしい逃亡者「ビート」)、ヒバチからZENまで(アメリカの「日本ブーム」)、ハーバートの左巻き「日本人」(アメリカ人ばなれのした人たち)、黒と白のあいだ(アメリカ南部での感想)、「資本主義国」U.S.S.R、金髪と白い肌は憧れる(「サムライ」の魅力)、ニセ学生スペイン版、パン屋のデモステネス君、仕立て屋のアリストレス氏(ギリシア無銭旅行)、アクロポリスの丘(ギリシア、そして「西洋」の意味)、腐敗と希望(ピラミッドの下で考える)、にわかヒンズー教徒聖河ガンジスへ行く(ニュー・デリーからベナレスへ)、不可触賤民小田実氏(カルカッタの「街路族」)//

日曜日, 9月 16, 2007

備忘録(2007.09.16)


本日公共図書館で借りたもの
1)四方田犬彦『先生とわたし』(新潮社、2007年)
・先生とは(故)由良君美氏(慶應大学助教授をへて東大教授)のこと。近いうちに、由良君美氏がラッセル協会の研究発表会で行った講演(「ラッセル、D.H.ロレンス、T.E.ヒュームにおける戦争と平和」)をデジタル化(音声化)したものをラッセルのホームページに掲載する予定。(この本は、北浦和図書館から南浦和図書館へ取り寄せてもらったもの)
2)佐々木高政『(新訂)英文解釈考』(金子書房、1980年刊)・英語の神様?と言われた佐々木高政氏の三部作の1つ。他の2冊とは、『和文英訳の修行』と『英文構成法』。(この本は、埼玉県立久喜図書館から埼玉県立浦和図書館へ取り寄せてもらったもの)この『英文解釈考』には、バートランド・ラッセルの英文が非常に多く(一番多く)使用されており、佐々木高政氏がラッセルの著作をたくさん読んでいることが伺われる。

(2007.09.22 追記)
四方田犬彦『先生とわたし』
長身かつ端正な顔立ちで、理知的で、趣味の良い背広を優雅に着こなし、パイプ片手にもの静かな口調で語る由良君美教授(東大で英文学、特にイギリス幻想文学を教授)。東大(駒場)は男子学生が多いためそれほどではなかったが、慶應大学(東大に移ってからは慶應大学院の非常勤)では女子学生に圧倒的な人気があった由良君美氏。晩年の数年間は、肌にあわない駒場英語科主任の仕事が影響したためか、アルコール依存症となり、しだいに変調をきたし、いつごろからか癌におかされ、東大定年退職1年にして他界。
(同書からの引用)
(p.46)二人の姉と一人の妹に囲まれ、病弱である上に、いつも同輩の男友達の世界から弾きだされていた君美少年にとって、書物は唯一の心の慰めであったようである。
(p.54)・・・。由良君美も江藤淳を嫌っていて、『漱石とその時代』はイギリス絵画への基本的な無知に基づく、方法論を書いた愚著だと公言していた。
(p.64)由良君美は同僚を含めて他の英文学者を次々と批判し、翻訳書に誤訳があると、歯に衣を着せぬ調子で指摘した。
(p.91)増殖していく書物のせいで、浜田山の自宅が日常生活に支障を来たすまでになったとき、彼はより広い家を求めて転居することをようやく決意した。1977年夏、由良君美は武蔵野市吉祥寺に、美しいバルコニーをもった二階建ての邸宅を購入した。だが運び出すべき書物の分量を計算し間違えたため、引越し作業は困難を極めた。大型のとらっくが二軒の家の間を往復し、新家屋に収容できなかった書物のなかには、そのままベランダに雨晒しの運命を迎えるものさえあった。
(p.134)・・・というのも(1983年に)駒場の英語科主任に選ばれ、その上さまざまな委員会に忙殺され、学外においても煩雑な人間関係に疲れるあまりに、1970年代から開始された飲酒癖に、しだいによりみずからを任せる毎日へと転落してしまうからである。
(p.164)由良君美はその後1986年には、心身の消耗から半年ほどゼミを休講している。また同年には最初の入院もなされている。大酒ゆえの栄養障害と肝臓疾患が原因と推測されるが、精神面におけるストレスを忘れてはなるまい。
(p.179)1990年、61歳を迎えた由良君美は、しだいに咽喉に痛みを感じるようになっていた。5月には風邪かなと思って自転車で近くの医院に行ったが、ただちに虎ノ門病院に行くように勧められた。検査をしてみると、食道癌が発見された。それは奇しくも父哲次の生命を奪ったのと同じ病であった。そのまま彼は入院した。

日曜日, 9月 02, 2007

備忘録(2007.09.02)


昨日公共図書館で借りた本
1)『サライ』n.21(2006年11月2日号)
*壇一雄特集号
*先週借りた『図説・漫画の歴史』をまだ全然読んでいないため、借りるのは、今回は、この1冊だけにした。

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ラッセルの著作の近刊情報
・B. ラッセル(著),高村夏輝(訳)『論理的原子論の哲学』(304pp. ちくま学芸文庫 1,155 円(税込)/9月10日刊行予定)

ラッセル関係の著作の近刊情報
・小森健太朗(著)『探偵小説の論理学―ラッセル論理学とE. クイーン、笠井潔、西尾維新の探偵小説』(南雲堂、2007年9月刊行予定)
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土曜日, 8月 25, 2007

備忘録(2007.08.25)


本日公共図書館で借りた本
1)行方昭夫『英文の読み方』(岩波新書、2007年5月)

2)賀川洋(文),桑子学(写真)『図説・ニューヨーク都市物語』(河出書房新社、2000年1月)

3)清水勲『図説・漫画の歴史』(河出書房新社、1999年7月)
4)『(手続きだけでお金がもらえる)届出ハンドブック2008年版』(PHP、2007年5月)

(2007.09.02追記)
★行方昭夫『英文の読み方』
・本書は、I(英文に慣れる)、II(正確に読む)、III(筋を読む)、IV(行間を読む)、V(翻訳へのステップ)の5つの章(5つのステップ)にわけて、英文読解及び翻訳の仕方について、著者の持論(翻訳論)が展開されている。
・最近では「使える英語(コミュニケーション英語)」が強調され、多くの識者によって、(従来の)読解力中心の英語教育が批判されるばかりである。しかし、行方氏は、(自分も以前は同様にコミニケーション英語の重要性を強調していたが)現在では、時代の風潮に抗して、読解力及び正確な日本語(日本語らしい表現)に訳せることが大事だと思うようになったということで、本書でもその持論を展開されている。
・本書を「翻訳論」としてみれば、「翻訳論」を出されている多くの識者と同じような主張が多くみられるのは当然のことであるが、英文学に造詣深い行方氏(ヘンリー・ジェームズの研究者かつ訳者)の翻訳例を見ると、異文化の著者の人情の機微を捉えた、しかも日本語らしい訳し方・表現となっており、何度もハットする部分があった。易しくかかれているので、読みやすく、お薦めの一冊である。
・以下、一つだけ備忘録として転記
(We は They の一部:下記のような文章だと They が We の一部だとは気がつかないので誤訳し易い!)
★They★ slept in barns or any place they could find. And, because the season was so short, everybody had to work from sunrise to sunset.
★We★ used to have the best times picking strawberries. There were always a lot of girls there and it was great fun teasing them.
(行方訳)
「(誰もが)物置でも何でも、とにかく見つかった場所で寝るしかなかった。その上、イチゴの季節はとっても短いので、★誰も彼も★日の出から日没まで働かなくてはならなかった。
 でも★僕らは★イチゴを摘んでいて最高に楽しかった。だってさ、畑にはいつだってたくだんの女の子がいて、連中をからかうのがすごく面白かっただもの」(←部分的に違和感のある言葉遣いではあるが、直訳・逐語訳ではなく、このように文章のニュアンスをつかむことは非常に重要であろう。)

日曜日, 8月 19, 2007

備忘録(2007.08.19)


昨日公共図書館で借りた本
1)米原万理『発明マニア』(毎日新聞社、2007年3月)
・私は知らなかったが、米原万理(1950~2006.05)は有名なロシア語の同時通訳者であり、読売文学賞、大宅壮一ノンフィクション賞など、多くの賞を受賞しているとのこと。500ページ近くもあるため、読破するか、面白そうなところだけ読むか、今のところ不明。
2)林望『イギリスはおいしい』(平凡社、1991年3月)
・林望(はやしのぞむ 1949.0~)のこの本は、今日一日で読了。確かこれは、日本エッセイストクラブ賞受賞作
3)『(旅名人ブックス)ギリシヤ・エーゲ海-古代文明を生んだ魅力的な島々』第2版(日経BP、2005年6月)

(8月25日追記)
米原万理『発明マニア』
・500ページ近くあったが読み飛ばすことなく、一応読了。本書は、2003年11月16日から2006年5月21日まで、『サンデー毎日』に118回に渡って連載されたエッセイで、全てのエッセイに著者自身(ただし、名前はARAIYAYOというペンネーム使用)によるイラスト漫画がつけられている。2006年5月25日に自宅の鎌倉で病没(卵巣癌が再発)しているとのことで、118回目(『サンデー毎日』2006年5月21日号)が絶筆となった。
 同時通訳者(ロシア語)という職業柄(いろんな分野にわたって)ボキャブラリーは豊富であり、発想力・想像力がすぐれている。著者はいろいろな発明や創意工夫をすることが大好きだということで、この118本のエッセイは著者の頭にうかんだアイデアを丁寧に縷々説明している。奇抜な視点で面白い発想・アイデアも多かったが、論理的に甘いといわざるを得ないえないものも散見された。1本のエッセイは文章約3ページ+イラスト漫画1ページという分量なので、通勤電車の中で気楽に読むのには適しており、お薦めできる。

火曜日, 8月 14, 2007

備忘録(2007.08.14)


本日公共図書館で借りたもの
1)夏目房之介『これから--50代の居場所』(講談社、2000年12月)
2)金子務(監修),千葉透(文)『図説・アインシュタイン』(河出書房新社、2007年1月/ふくろうの本)
3)(ビデオ)『(歴史紀行ドキュメンタリー)大航海・ヴァスコダ・ガマの海v.4:熱帯西アフリカ』(海工房、1999年)

昨日、浦和駅近くの古本屋(金本書店?)で購入した本
1)小田実『なんでも見てやろう』() 525円
2)林望『イギリスは愉快だ』(平凡社) 105円
林望(りんぼう先生)の本は、たったの105円!

(2207.08.15追記)
夏目房之介『これから--50代の居場所』
・サイズは文庫本を少し大きくしたくらいで持ち易く、装丁はハードカバーで上記の写真が表紙を飾っている。価格が1,400円+税金というのは少し高い(図書館で借りているので価格はどうでも良いかもしれないが、買うとしたら、1,000円を切って980円位にしてほしい)。
 少しだけ引用しておきます。
(p.105)('じいじ'はなぜ甘い)
・(自分の)長男が孫に厳しいので、'じいじ'(=房之介氏)としてはよけい甘くなる。若い頃、妻の父親が孫である長男に甘いのをみて「何だかなァ」と思っていたが、ナゼそうなるか、'じいじ'の立場になってやっとわかった。・・・。(父親は)「泣けばいうことを聞いてくれると思いやがって」と腹が立つのだ。が、じつはこれも若い父親の一種の嫉妬だったりする。まだ無意識に息子と母親(つまり嫁)をとりあっているである。・・・。
(p.214)仕事の緊張、遊びの高揚、南島(バリなど)アホ状態、この三位一体が、今の私の人生だ。
(p.215~)「あとがき」
・なかでも、連載直前に引っ越した仕事場の近くの喫茶店エッグファームズ店主、公平宣彦氏と奥方雅代さんには、とくに感謝の意を表しておきたい。この店は、私の精神衛生上、福利厚生上およびネタ収集上、まことに大きな存在となった。・・・。おかげで足を向けて寝られないが、枕は高くして寝られるのである。

金子務(監修),千葉透(文)『図説・アインシュタイン』
・金子務氏は、アインシュタインの訪日を主題にして『アインシュタイン・ショック』を執筆されているが、本書は写真をメインにした簡略版のようなもの。
・一番ありがたいと思ったのは、ラッセル及びラッセル関係者の写真。前者では土蔵を改造した改造社の建物前の集合写真(ラッセル、ドラ、改造社社長・山本実彦氏、その他)、後者ではA. S. エディントン、桑木或雄、室伏高信、稲垣守克、横関愛造などの貴重な肖像写真。
・お薦めの1冊

土曜日, 8月 11, 2007

備忘録(2007.08.11)


本日地元の公共図書館で借りたもの
1)夏目房之介『孫が読む漱石』(実業之日本社、2006年2月)
2)本城靖久『グランド・ツアー(英国貴族の放蕩就学旅行)』(中央公論社、1983年/中公文庫、1994年11月)
3)小林康夫、舟曳建夫(編)『知のモラル』(東大出版会、1996年)
・これは読むためではなく、調べたいことがあるために借りたもの。
4)ビデオ:「(歴史紀行ドキュメンタリー)大航海:ヴァスコダ・ガマの道」第3巻(北西アフリカ)(海工房、1999年)

1)夏目房之介『孫が読む漱石』
・漫画家・夏目房之介のエッセイであるため、この本も大変読み易いが、今回は「(祖父)漱石の作品を孫が読む」ということで、真剣に対峙した形跡があり、推敲した文章も散見される。漱石は内臓(特に胃腸)が弱く、神経衰弱(あるいは不安症)に苦しんだが、房之介も同じ病にかかっており、その点では孫は祖父に親近感をもっている。父は若い頃ヨーロッパに遊学し、音楽家として60歳まで東京フィル?で活躍し、その後は91歳で死ぬまで遊んで暮らしたとのことであるので、祖父から孫に真面目さが隔世遺伝したのだろうか。
 本書から少し引用してみよう。
(p.24)ちなみに、僕(房之介)は大学卒業後、小さな出版社に勤めながら内緒でフリーライターやマンガ家の仕事をしていて、その得意先が週刊朝日であった。・・・。奇妙な縁で、祖父と僕は朝日新聞社によってモノ書き家業として独立しえたわけなのだ。隔世で(=父は音楽家のため)、人生の岐路にお世話になったのである。
(p.28)40歳前後というのは、僕にとっても心身の変化にとまどった、かなりつらい時期だった。手塚治虫論をきっかけに、今のマンガ論の仕事に没頭したのは40歳代始めで、週刊朝日のような80年代面白主義的な仕事から、商売として成り立つ読者市場などなかった本格的なマンガ批評に踏み込むのは勇気がいった。
(p.30)漱石が小説を書いたのは49歳で死ぬまでのわずか10年ほどであった。まるで生き急ぐかのように小説を書き、胃潰瘍で何度も倒れ、ついに未刊の『明暗』を遺してばたりと逝く。かっこいいといえば言えるけど、見習いたくない。彼(祖父)の苦労を取り戻すかのように、(少なくとも周囲から見れば)気楽に生きた父は、91歳で大往生した。
(p.40)没後の印税でうるおった夏目家だったが、じつは昔の著作権法では著作権保護期間は本人の死後30年だった。つまり漱石の著作権は昭和21年できれる。
(p.41-42)著作権の保護は、一面で文化創造を奨励する作家保護政策だが、他方、無制限な権利濫用を認めるものでない。創造された文化は社会に共有されて意味を持つ。・・・。が、えてして法律に強くない遺族が、急に感情的に必要以上の権利を主張することがある。・・・。「もし死後50年だったら、孫も恩恵を受けたのにね」とよく冗談を言われる。僕も「そうなんだよなあ」とかいいながら、本当は美田がなくてよかったと思っている。戦後の社会、家長制消えた世の中で漱石の遺産が長く生きていたら、親族間でどれほど醜いことになっていたが、考えるだけでうんざりする。
(p.104)(『我輩は猫である』は)何しろ、近代日本国家を双肩に担った大知識人が、神経衰弱のリハビリに書いた小説だけに、冗談も教養のダジャレなら、近代百年の構造的未来予測のご高説も冗談となって織り込んである。油断ならないのである。

(2007.08.14追記)
本城靖久『グランド・ツアー(英国貴族の放蕩就学旅行)』
・この本も読みやすく、興味深く読めた。何でも、サントリー学芸賞とかいうのを受賞しているらしい。
・英国貴族の青年を国際人にするためにヨーロッパ大陸(主にフランスとイタリア)に遊学させたのは18世紀英国のことであるが、大学が充実するにつれて、このような慣行はなくなっtいった。従ってラッセルの場合は、グランド・ツアーではないが、ケンブリッジ大学を卒業してすぐに、妻アリスを伴ってドイツのベルリン大学に留学するとともに、イタリアには毎年旅行するようになった。この本は、英国貴族を理解するためには、有益だろう。
(p.189)(ヨーロッパ人とアルプス)18世紀の中葉になるまでは、高い峰がつらなり断崖絶壁のそそり立つアルプスの山々というものは、ヨーロッパ人にとっては、恐怖と嫌悪の対象でしかなかった。・・・。ところが、自然賛美を説くルソーの著書が次々とペストセラーになるや、ヨーロッパの上流階級の自然観、美意識に変化が生じた。ルソーの影響力により、ヨーロッパ人はにわかに自然の美にめざめ、自然の美を鑑賞するようになりだしたのである。そこで18世紀の中葉以降、アルプスの高峰や氷河も観光の対象となるようになり、イタリアに行くのにも、アルプス越えの道を選ぶ人が増えてきた。・・・。

土曜日, 8月 04, 2007

備忘録(2007.08.04)


本日公共図書館で借りたもの
1)夏目房之介『おじさん入門』(イースト・プレス、2005年8月)
2)夏目房之介『青春マンガ列伝』(マガジンハウス、1997年10月)
3)夏目房之介『風雲マンガ列伝-いま読むマンガ116冊』(小学館、2000年1月)

 今回は、子供時代の「読書」遍歴の漫画版を回顧してみようと思い、借用。小学校の頃は、近くの貸し本屋で漫画を中心に毎日2冊借りていた記憶があるが、どれだけ記憶にあるか・・・?

『青春マンガ列伝』
 さすが漫画家になった人だけあって、私の知らない漫画を青春時代にたくさん読んでいる。この本に上げられた漫画あるいは漫画家のなかで私が知っているのは、下記のように、20%以下である。
・石ノ森章太郎『怪傑ハリマオ』、手塚治虫の作品群、さいとうたかを『ゴルゴ13』、白土三平『サスケ』、水木しげるの作品、東海林さだおの作品、谷岡ヤスジの作品、山上たつひこ『がきデカ』、鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』
・特に『マカロニほうれん荘』は傑作だと思ったが、少し上の世代は面白く思えないそうであるがどうだろうか?

『おじさん入門』
・著者は1950年生まれだが、年の近い人にはお薦めの一冊。といってもたいしたことが書いてあるわけではない。人気漫画家なので、1つのエッセイに1葉のマンガが描かれているが、これが秀逸。エッセイは肩肘はらずに書かれており、気楽によめる。

日曜日, 7月 29, 2007

備忘録(2007.07.29)


本日公共図書館で借りたもの

1)夏目房之介(著)『漱石の孫』(実業之日本社、2003年4月 277pp)
・昨日、夏目房之介『不肖の孫』を読了してしまったため、本日また図書館に出かけて、予約してあったこの本を借用。
2)ビデオ:歴史紀行ドキュメンタリー『大航海-ヴァスコダ・ガマの道v.2:大西洋の島々』(海工房、1999年)

(2007.07.30追記)
1)夏目房之介(著)『漱石の孫』
・冒頭に数枚の漱石関係の写真あり。「臨終直前の漱石」の貴重な?写真もある。
少し引用しておきます。
1)漱石と号した僕の祖父が、ちょうど百年前に、ロンドン(注:ロンドン郊外のClapham)のこの部屋で文学を相手に苦闘した。その元下宿部屋に、今僕はいる。
2)彼(漱石)がロンドンで構想し、帰国後上梓した『文学論』の朱入れ原稿を、僕は中学生のとき、ある漱石展ではじめてみた。ちまちました細かい文字がぎっしりと書き込まれ、みているだけで胃が痛くなりそうなものだった。まるで自分の嫌いな部分をみせられているような気分がした。
3)僕(房之介氏:1950年生)も若い頃、マンガ家だから笑ってくれという理不尽なカメラマンの要求に何度もムッとしたことがある。いちばん腹がたったのが、自宅で妻に手料理をつくらせ、それを子供と囲む夕餉の団欒を撮ると称して、えんえん食事をひきのばしたあげく、芸もなく笑え笑えと強要する能なしのカメラマンだ。人様に笑ってほしいなら、撮影しながら話しかけたり、ちゃんと被写体をそういう表情にしてやるのがプロのカメラマンてえものであろう。
4)(漱石1922年の講演から)「国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似は到底できる話ではない。・・・。事実出来ない事をあたかも国家のためにする如くいうのは偽りである。・・・。
5)死を受け入れた人間(注:ここでは父=漱石の長男である純一氏)が最後に切実に望むのは、受け入れたこと自体を親しい者に知ってもらい、わかちあうことだと、ある本で読んだ。父はあきらかに、死に向かっての最後の段階にあった。元気だった頃のわがままや意地悪さはみじんもなく、心から周囲に感謝していた。


土曜日, 7月 28, 2007

備忘録(2007.07.28)


本日公共図書館で借りたもの
1)夏目房之介『不肖の孫』(筑摩書房、1996年)
2)寮美千子『小惑星美術館』(パロル舎)
・現在NHK-FM(にて再放送中10:45~11:00PM/7.23~7.27+7.30~7.3の全10回)のファンタジー・アドベンチャーの原作。
3)ビデオ:歴史紀行ドキュメンタリー「大航海:ヴァスコダ・ガマの道」v.1:ポルトガル(海工房、1999)

(2007.07.29追記)
★夏目房之介『不肖の孫』

・文豪夏目漱石(父方)の孫にして、奇人三田平凡寺(母方)の孫である夏目房之介のエッセイ(ただし、「両者の孫」に関連する記述は最初の50ページだけであるので、多少「看板に偽りあり」
以下、少し引用して紹介。
漱石と私と道後温泉:・・・。父や叔母達に聞かされた漱石は、ただひたすらに怖いオヤジだったから、私なんぞというデキの悪いのは随分とヒドイ目にあったに違いない(注:漱石は、房之介氏の父が10歳の時に死亡している)。・・・。正直にいえば、漱石の小説やおいたちを知るにつれ、やはり他人とは思えぬ(他人じゃないから当たり前だが)屈折ぶり、煩悶、胃弱に神経質、温泉好きで落語好き、のんびりと道後温泉につかる気軽さを祖父が気に入った理由も、わからないでもないのだった。
職業的面白がり屋:・・・。親なんて、そのように私らの無意識界に刷り込まれたものなのだ。不機嫌になった時の腕の組み方や、「おい」と言うときの声や表情がそっくりだということは、言動を無意識に鏡のように映しとっているわけで、その結果(だかどーだかわからないが)しゃべり方や発想、思考にいたるまで似てきてしまう(注:即ち、漱石→父・純一→房之介氏へと伝わっていく。)
父と漱石のことなど:・・・。父の話に出てくる漱石は、何しろ突然怒り出す、理不尽な父親である。・・・。私なら、ぜひ願いさげにしたい父親である。

人生が趣味の人:・・・。このへんな人(三田平凡寺)、じつをいえば私の母方の祖父なのである。・・・。とにかくあたらし物好きで、ローラスケートが日本に入ってきた頃これを購入し、あろうことか自宅2階をスケート場に改造して走り回ってと伝えられる。
平凡寺の血脈:三田平凡寺は、奇人の収集家として有名だった。明治末から我楽他宗なる趣味蒐集家の会を主催し、自ら本山の宗祖となって様々な蒐集家と交流した。末寺には、福井・松平の殿様から外国人、とび職からくず屋までが参加し、とびきり自由で開けた会だったらしい。本人は耳が聞こえず、話はすべて筆談。・・・。


土曜日, 7月 21, 2007

備忘録(2007.07.21)


本日公共図書館で借りたもの
1)伊中明(編著)『ハッブル宇宙望遠鏡で見る脅威の宇宙(3Dスコープ付)』(技術評論社、H16年3月)
2)鴻上尚史『生きのびるために笑う(ドン・キホーテのピアス(n.11)』(扶桑社、2006年6月)
3酒井邦秀『どうして英語が使えない?』(筑摩書房、1993年/ただし借りたのは、ちくま学芸文庫版で1996年1月に出版されたもの)
4)ビデオ:『夏目房之助(作家ほっとタイム』(丸善)
*夏目房之助氏は、夏目漱石の孫
5)ビデオ:『シャーロクホームズ全集v。6:プライオリー・スクール・第2の血痕』
6)ビデオ:『(世界の車窓から)スペイン鉄道の旅-マドリッド発、南スペインの旅』

(2007.07.28追記)
★酒井邦秀(著)『どうして英語が使えない?-学校英語につける薬』(ちくま学芸文庫)
・鴻上尚史が、『ドン・キホーテのロンドン』のなかでとても良い本であった(もっと早く読んでおくべきだった!)と書いていたので、借りて読んでみた。
・この本は、日本の英語教育、特に学校英語に対する非難に終始している。英語といっても、米語中心であるので、全面的に賛成できないが、大変示唆を受ける、良い本であった。
・酒井氏の主張は、目次を見れば大体想像してもらえるだろう。目次から少し抜粋すると、「第一部 英和辞典批判」「第1章 (英語×訳語)一対一という幻想」「第2章 英和辞典は、Glorified Wordbook (英和辞典は辞書というより、単なる単語帳!)」「第2部 「学校英語=人工言語」論」「第3章 乗っ取られた英語の音」「第5章 受験英語の栄光と悲惨」「第6章 学校英語という名の人工言語」「第6章第2節 教科書英語と入試英語」
・本文から少しだけ引用
1)'a few' は、母体となる数にくらべて、少ないと「感じられる」数を表すもので、常に相対的かつ主観的にしか使われません。('a few' を「2,3の・・・」と訳すべからず)
 沖縄返還交渉のとき、'a few years' を2、3年(で沖縄を日本に返還)と訳してしまい、大問題となった。('a few years' は7、8年ということもある!)
2)'many' は「多くの」と訳してはいけない。これも「主観的な表現」であり、予想よりも多い場合に使う。予想が10%以下の場合に15%もあれば many を使う。
3)'of course' は「もちろん」ではない! 気軽に of course を使うと相手を怒らせることになる。(of course ×もちろん → △当然じゃないか)
4)'lemonade' の発音は、「レモネード」よりも「ラムネ」の方が近い!

B.文化や発想法の違い(日本と英米の差)
1)brother, sister の訳:英語では、普通「兄、弟」「姉、妹」といった上下関係を意識しない。(ただし、そうはいっても訳す時には問題になる。実際は「兄」なのに「弟」と訳せば間違いになる。)
2)英語のことわざを日本のことわざに当てはめることの危険。たとえば、Practice makes perfect. はよく「習うより慣れろ」と訳される(そう訳すと学校では〇がもらえる)が、英語には、「習う」ことと「慣れる」こととを対比させる意味はなく、「絶えず練習することによって上手(完璧)にできるようになる」の意味。
3)this, it, that (これ、それ、あれ)を訳すときは注意が必要。日本語では「近、中、遠」と三段階で認識するが、英語では「近い、近くない」の二段階しか認識しない。'it' は、すでに共通認識にあるものをもう一度指す使い方しかない。



日曜日, 7月 15, 2007

備忘録(2007.07.15)


昨日公共図書館で借用
1)鴻上尚史『ドン・キホーテのロンドン』(扶桑社文庫)
2)村松増美『ミスター同時通訳の「私も英語がはなせなかった』(講談社+α文庫)
* 同タイトルの正編と続編を1冊にしたもの。
3)ビデオ・瀬戸内寂聴『ギリシア-愛と死のエーゲ海』(NHK、1993年10月に放送されたもの)

★鴻上尚史『ドン・キホーテのロンドン』
* 週刊誌の『SPA』に毎週約1年間にわたって連載された、著者(演出家)のロンドン演劇学校留学(文化庁派遣)についての(同時進行)エッセイ。1回分が3ページほどの、気楽に読める、軽快な文章。以前から著者の顔は(多分)テレビで見て知っていたが、著書を読むのは初めて。英語はそこそこできても、実用会話ができない典型的な日本人である著者の奮闘記。
 この本はそこそこ面白かったので、(さいたま市の図書館群の蔵書データベースを検索し)インターネットで、最新のエッセイ「生き延びるために笑う(ドン・キホーテのピアス)」を、予約した(来週借りる予定)。


日曜日, 7月 08, 2007

備忘録(2007.07.08)


★昨日(7月7日)★公共図書館で借りた本2冊

(1)猿谷要『アメリカよ、美しく年をとれ』(岩波新書、2006.8)
(2)石井理恵子他『2度目からのろんどん・ガイド』(河出書房新社)

猿谷要『アメリカよ、美しく年をとれ』について
 有名な高齢のアメリカ研究者が、長いアメリカとの関わりについて、回想を交えて、ふりかえったエッセイ。親しいアメリカ人も多く、好意的にアメリカを見てきたが、最近のアメリカの覇権主義的、帝国主義的な行動を見るにつけ、自由と民主主義の先進国として「美しく年をとれ(とってほしい)」と、アメリカに呼びかけざるを得なくなった(と自分に言い聞かせる)、考え方の変化、心境の変化について、縷々のべている。活字が大きいので、3時間足らずで読み終わった。

 少しだけ引用:
・私たち(夫婦)は、子供がいなかったので、すべての海外生活と海外旅行は夫婦で行動を共にした。外国では当然のスタイルで(あり)、またそのためにこそ、どこでも暖かく向かえられた。(p.28)
*私のような戦中派は、英語を話す教育を受けていない。大学を出てからの七年間のうち、福島で一年、千葉県佐原で四年間も英語の教師をしていながら、それはすべて受験のための英語であって、英会話の実力はゼロに近かった(注:ただし、猿谷氏は、後にハワイ大学で英会話の特訓を受けている)。(p.37)
*戦後のパックス・アメリカーナの時代のなかで、私が無条件のアメリカ賛美者にならなかったのは、黒人の歴史を平行して研究していたためだろう。(p.48)
*なによりもこの『(マクナマラ)回顧録』が衝撃的だったのは、ベトナム戦争がアメリカにとって誤りだったことを告白した点にある。なにしろ国防長官として戦争の当事者だった人の発言である。(p.123)
*・・・。しかし、ブッシュ政権は成立してから僅か二ヶ月あまりで、京都議定書から離脱した。自国の産業界の要請にこたえて、人類の将来を見通す眼が失われてしまったのだ。これは、9.11同時多発テロが起こる半年も前のことである。(p.184)
*未遂に終わったキューバのカストロ暗殺計画などを加えれば、アメリカこそテロ国家だという批判さえ生まれかねないだろう。(p.186)
*しかし、今のように他の国から嫌われたまま初老を迎えれば、やがて世界に老醜をさらすことになりかねない。これだけ世界中から憎まれ嫌われては、決して美しく老いることなどできはしないだろう。

(2)石井理恵子他『2度目からのろんどん・ガイド』(河出書房新社)


土曜日, 6月 30, 2007

備忘録(2007.06.30)


本日公共図書館で借りた本

1)吉見俊哉『新米と反米-戦後日本の政治的無意識』(岩波新書)
*随分前に吉見氏の『博覧会の政治学』を読んだことがある。当時は東大社会情報研究所の助教授だったが、今では(社会情報研究所の後身の)情報学環の学環長をされている。多分この本も面白いだろうと予想している。

2)川本三郎『図説・永井荷風』(ふくろうの本/河出書房新社)
3)桑原茂夫『図説・不思議の国のアリス』(同上)
4)藤野紀男『図説・マザーグース』(同上)
5)松島道也『図説・ギリシア神話-神々の世界篇』(同上)6)松島道也『図説・ギリシア神話-英雄たちの世界篇』(同上)7)巌谷國士『図説・ギリシア歴史・神話紀行』(同上)

土曜日, 6月 16, 2007

安倍晋三『美しい国へ』


 いつも同じようなことばかり、綺麗ごとばかり言っている、といった印象があtったため、この本(『美しい国へ』)も気に入らないことがいっぱい書いてあるだろうと予想していたが、余り抵抗なく読了することができた(きょう1日で読み通した)。
 ただし、一見気の利いたことを書いているつもりかも知れないが、美辞麗句がならんでいて、深さは余り感じられない。(この本は、図書館で借りたものであるが、30人くらいの予約者がいてようやく借りることができたものであるが、女性が気に入りそうな書き方が随所にしてあるように感じた。奥さんのアドバイスをかなり受けているのではないだろうか。)
 少し気になった記述を少しだけあげておく。
1)(p.17)アメリカには、封建制度の歴史がない。生まれながらにして平等な社会が原則であり、その制度や権力は、新大陸に渡ったピューリタンたち個々人の合意のうえでつくられた。だから自由主義と民主主義が対立することなく共存できた。
→ アメリカ国民たる黒人に公民権が認められたのは、そんなに昔のことではない。最近ではヒスパニック住民が4,000万人ほどに近くなっており、「生まれながらにして平等な社会」というのは言い過ぎであろう。
2)(p.25)たしかに軍部の独走は事実であり、もっとも大きな責任は時の指導者である。だが、昭和17,18年の新聞には「断固戦うべし」という活字が躍っている。列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化するなか、マスコミを含め★民意の多くは軍部を支持していたのではないか。
→ 正確かつ詳細な情報が、国やマスコミによって国民に提供されていたのなら、国民にも大きな責任がある。しかし、そうではない以上、(国民の責任も少なくないとしても)わざわざ「民意の多くは軍部を支持していた」などと書くことは、責任の所在をあやふやにするものであろう。
3)(p25)(父の安倍晋太郎から、自分の秘書に生るように言われた時に、安倍晋三が父に言った言葉)「わたしにも会社(神戸製鋼?)があります。これでも年間数十億ぐらいの仕事はしているんです。」(←これは、総理大臣をめざす安倍氏のイメージアップのための宣伝文か? 会社時代の安倍氏は、「箸にも棒にも掛かからなかった」と元の同僚が言っているのを週刊誌かなんかで読んだ記憶があるが、果たして中傷か?)
4)(p.61)明治以後の日本は、西欧列強がアフリカやアジアの植民地分割をはじめているなかにあって、統治する方に回るか、統治されるほうになるのか、という二者択一を迫られていた。」
→ 第3の道はないというのか?
5)(p.131)「このことが何を意味するかというと、たとえば、日本の周辺国有事のさいに出動した米軍の兵士が、公海上で遭難し、自衛隊がかれらの救助にあたっているとき、敵から攻撃を受けたら、自衛隊はその場を立ち去らなければならいないのである。たとえその米兵が邦人救助の任務にあたっていたとしてもである。」
→ 非常に無理な状況設定をしている。
6)(p.150)「たとえば、日本は過去の歴史の過ちについて中国に謝罪していないのではないか、とよく言われるが、本当のところは、正式に20回以上の謝罪をしている。」
→  そのような正式な謝罪した直後において、★閣僚が★、その倍以上の回数の不適切な発言をしても、個人の意見として処分をしないようであれば、「正式な」謝罪も言葉だけのものと受け取られても無理はないのではないか?
7)(p.155)日本人は、昔から道徳を重んじてきた民族である。儒教から礼節を学び、仏教の禅から自らを律する精神を、そして神道からは祖先を尊崇し、自然を畏怖するこころを学んできた。寛容な心は、日本人の特質のひとつである。
→ もっと歴史(日本史と世界史)を詳細に学んでもらいたい。

備忘録(2007.06.16)


本日公共図書館で借りたもの
1)藤原正彦『若き数学者のアメリカ』
*日本エッセイストクラブ賞受賞作。藤原氏のエッセイを読むのは、これで3冊目
2)小林章夫『図説ロンドン都市物語-パブとコーヒーハウス』
3)シャロックホームズ全集v.20『独身の貴族』
4)「火曜サスペンス劇場-主題歌集DX」
+『天皇と東大(下巻)』(読了できず延長手続き)

日曜日, 6月 10, 2007

備忘録(2007.06.10)


昨日公共図書館で借りた本

1)藤原正彦『心は孤独な数学者』〔新潮社、1997年)
* 藤原正彦氏(数学者、御茶ノ水女子大学教授)の本を読むのは、『遥かなるケンブリッジ』に続いて2冊目。たまに文法的におかしい日本語が散見されるが、それ以外は流暢で読み易い。名文家と言ってよいだろう。この本は、ニュートン、ハミルトン(ウィリアム・ハミルトン)、ラマヌジャンの3人の著名な数学者に関するエッセイであるが、ニュートンとラマヌジャンのみを読むことにした。昨日ニュートンを読み、本日ラマヌジャンのところを読了したところであるが、大変興味深かった。バートランド・ラッセルにふれたところだけを以下引用しておく。(pp.124-125 & 200)

 =======================================
 ・・・。ラマヌジャンの手紙をリトルウッドと検討し終えた瞬間から、ハーディは興奮状態に陥った。一夜明けると早速、ロンドンのインド省へ手紙を書き、この大天才をケンブリッジヘ招聘する方法があるか、打診した。インド省の役人は直ちにマドラスの学生援護局に手紙を書き、この若き天才の照会を求めた。ハーディは会う人ごとに、ラマヌジャンがいかにすごいかを喧伝し、その手紙を見せて歩いた。その狂躁ぶりは、内気で控えめな人柄と、「周囲の人が凡庸に見えてしまうほど」と評された華々しい知性で聞こえたハーディのことだけに、ケンブリッジにセンセイションを巻き起こしたという。
 哲学者のバートランド・ラッセルも、その頃に書かれたモレル夫人への手紙の中でこう触れている。
「トリニティのホールで、ハーディとリトルウッドに会いました。手放しの興奮ぶりでした。第二のニュートンを発見したからです。インド人で、年収二十ポンドばかりの、マドラスの一事務員なのだそうです。ハーディはすぐにインド省に手紙を書きました。直ちにその男をここに連れてきたい、と願っているようです。今のところまだ秘密になっていますが、つられて私まで興奮してしまいました。(pp.124-125)」

「さらにハーディは多忙を極めていた。このころ反戦運動を展開していたバートランド・ラッセルに対し、講義資格剥奪をトリニティが決定するという「ラッセル事件」が起こった。正義感の強いハーディは、精力的に当局を糾弾していたのである。トリニティは、戦争のおかげで、とげとげしい雰囲気に包まれていた。(p.200)」
 ===================================

2)安倍晋三『美しい国へ』(文春新書)
・安部首相が官房長官時代に出版したもの。首相が出す本は、ほぼすべてにゴーストライターがいる。もちろん当の首相の考えを理解した上で膨らませ、本人に読んで確認してもらった上でのことであるから悪くはないであろうが、自分が独力で考えたことがないものも含まれるため、後から矛盾が出てくることもある。安倍首相が官房長官の時に書いたこの本は自分がすべて書き下ろしたものであろうか? それとも自民党総裁及び総理大臣指名を争うために、急遽出版したものであろうか?
 安倍首相の基本的な考え方は常日頃間違っていると思っているが、これまでまとまった考えを聞いたことがない。国民受けばかりを考えて発言しており気に入らないので、購入して読む気にはならないが、今度借りてみた。数十人の予約者がおり、ようやく回ってきたしだいである。来週土曜日の読書会が終わった後、読むことにしたい。

日曜日, 6月 03, 2007

備忘録(2007.06.03)


昨日公共図書館で借りたもの

1)立花隆『天皇と東大(下巻)-大日本帝国の生と死』(文芸春秋社)
* 800ページ近い上巻を読み終えたため、下巻も借用
2)『84歳。英語、イギリスひとり旅』(小学館)
* 文字が大きいので昨日1日で読了
3)シャーロックホームズ全集v.13『ソア橋の怪事件/フランシス・カーファックス姫の失踪』
4) 同上v.18『恐喝王ミルヴァートン』
5) 同上v.19『サセックスの吸血鬼』

日曜日, 5月 27, 2007

備忘録(2007.05.27)


昨日公共図書館で借りた本

1)『図解メイド』(新紀元社)
 *これは、今はやりのメイド喫茶のメイドではなく、イギリスのヴィクトリア朝時代に一番隆盛を極めた、貴族や金持ちの使用人の一種としてのメイドに関する百科事典的な本

2)藤原正彦『遥かなるケンブリッジ』(新潮社)
 *藤原正彦氏(数学者、お茶大教授)は、作家・新田次郎と藤原ていの次男

日曜日, 5月 20, 2007

孫引用の危険

 孫引用は不正確な場合が多い。
 ラッセルも、言ってもいないことを言ったとして、引用されることが多い。
 次の引用もその一例である。
(下記のジョークも、何人かが、孫・ひ孫引用をしている。たとえば、下記のURLの世界史ジョーク集n.72がそれ)
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Cupertino/2261/sekaishi/j-sonota-01.htm

 アラン・ウッド著の『バートランド・ラッセル-情熱の懐疑家』の中に出てくるエピソードであるが、記憶違いか、あるいは意図的に、誤引用したものと思われる。
 ラッセルがある時路上で目撃した話を、ラッセルがアラン・ウッドに語ったものを、ウッドが『バートランド・ラッセル-情熱の懐疑家』に書いたものである。しかし、上記の世界史ジョーク集では、ラッセルが「自分(=ラッセル)こそは守るべき文明そのものである」と言ったとしている。

 「・・・。あるエレガントな青年に路上で会った一老婦人が彼を捉えて、'他の青年たちが皆、文明の救済のために戦っている時に、あなたはそんな恰好をして恥かしくないのか' と詰問したところ、その青年は、'奥様、この私こそ、彼らが救おうとしているその文明なのです' とうそぶいた」というのである。

 引用する場合は出典を示さなければいけないということは、研究者にとっては常識であるが、研究者でなくても、そのように心がけたほうがいいだろう。

土曜日, 5月 12, 2007

備忘録(2007.05.12)


本日公共図書館で借りたもの
1)ビデオ)「名探偵ポアロ「死者のあやまち」
2)ビデオ)名探偵ポアロv.33「グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件」
3)梅原猛他監修『京都暮らしの大百科』(淡交社)
4)『地図で読む世界の歴史・ロシア』(河出書房新社)
5)『(図説)英国ナショナルトラスト紀行』
6)『オープン・オフィス・スイート Open Office.org 2.0 オフィシャル・ユーザガイド』(MYCOM)

土曜日, 5月 05, 2007

備忘録(2007.05.05)


本日公共図書館で借りた本
1)立花隆『天皇と東大-上巻』(文芸春秋、2005.10)
 雑誌『文芸春秋』に70回に渡って連載されたものを単行本上下2巻本として出版したもの。
 上巻だけで800ページ近くある。果たして一部を読むだけで終わるか、それとも全部読み通すか?
2)(延長したもの)『目的別Google活用テクニック』

日曜日, 4月 22, 2007

備忘録(2007.04.22)


昨日公共図書館で借りたもの
1)『帝国ホテル百年史-1890-1990』
2)武内孝夫『帝国ホテル物語』
・ラッセルは、大正10年(1921)7月に来日した時に、帝国ホテルにも泊まっているが、残念ながら、当時の新聞や雑誌『改造』に載った既知の情報以外に新事実については、『帝国ホテル百年史』にも『帝国ホテル物語』にも書かれていない。
3)『明治・大正・昭和ノスタルジック・ホテル物語』
4)『今すぐ使えるGoogleサービス完全活用ガイド』

日曜日, 4月 15, 2007

備忘録(2007.04.15)


昨日公共図書館で借りたもの
1)R.キャメロン撮影『ロンドン空中散歩』(朝日新聞社)
2)『世界古本探しの旅』(朝日新聞社)
3)三澤春彦『ロンドン発英国鉄道の旅』(光人社)
4)『今すぐ使えるGoogleサービス完全活用ガイド』(技術評論社)
5)『建築のすべてがわかる本』(成美堂)
  *予想と異なり、これはつまらない本であった。

月曜日, 4月 09, 2007

備忘録(2007.04.08)


昨日公共図書館で借りたもの
1)AV:シャーロック・ホームズ全集v.7「マズグレーヴ家の儀礼書;僧房荘園」
2)林丈ニ『ロンドンあるけば・・・』(東京書籍、2002.5)
 *写真多数/ロンドン全都を歩きつくしたイラストレータの旅行日記
  → 本日1日で読了
3)『マップル・マガジン2004ロンドン』
 *書店では新しいのがあるはず
4)松澤喜好『英語耳ドリル-発音&リスニングは歌でマスター』

土曜日, 3月 31, 2007

備忘録(207.03.31)


 南浦和図書館は、長い間アスベスト工事のため利用できなかったが、ようやく再開
(本日借りたもの)
1)AV:ミス・マープル「パディントン発04時50分
2)AV:シャーロックホームズ全集6:プライオリー・スクール;第2の血痕
3)AV: 同上、15:這う男;ショスコム・オールド・プレース
4)AV: 同上、22:赤輪党;ボール箱
5)CD:桂枝雀独演会v.12 口入屋;佐々木裁き
6)養老孟司『唯脳論』(ちくま学芸文庫)
7)安部悦生『ケンブリッジのカレッジ・ライフ』(中公新書)
8)Google Analytics ではじめる儲けるためのアクセス解析

土曜日, 3月 03, 2007

備忘録(2007.03.03)


本日公共図書館で借りたもの
1)ビデオ:S.ホームズ全集v.1「まだらの紐+まがった男」
2)   同上v.12「バスカヴィル家の犬」
3)広岡今日子・榎本雄二(編著)『時空旅行ガイド・大上海』(Great Shanghai 1842-1949)
4)別宮貞徳『特選・誤訳迷訳欠陥翻訳』(ちくま学芸文庫)
* バートランド・ラッセルの Has Man a Future? の日高一輝訳も俎上にのり、手厳しい指摘を受けている。
5)別宮『やっぱり誤訳だったのか!』(The Japan TImes)
* 翻訳は難しい。英語ができても日本語ができなければ、良い翻訳はできない。有名・有能な研究者の翻訳でも誤訳がけっこう多く見られるのは、自分の理解力が邪魔してしまい、中途半端な訳でも理解できることも悪影響を与えていると思われる。そのような結果を招かないようにするためには、その本の読者層や年齢をよく考え、高校1年生くらいの生徒でその主題に詳しくない人に読んでもらい、わからないところはすべて質問してもらうとよいだろう。そうすると、自分の日本語の使い方のまずさがわかるであろう。
 

土曜日, 2月 24, 2007

備忘録n.18


本日公共図書館で借りたもの
1)ビデオ:ポアロ「安アパート事件」
2) :       「二重の手がかり」
3)桂枝雀独演会v。8「胴乱の幸助・蔵丁稚」
4)「シャーロックホームズ辞典」(各務監訳)
5)  同上(日暮雅通訳)

 3月5日より約3週間、アスベスト除去作業のため休館。自分の職場も含め、日本全国の公共施設でアスベスト除去作業が行われている。
 来週3日(土)には、枠いっぱい(10点)借りることにしよう。

土曜日, 2月 17, 2007

福田和也(著)『大丈夫な日本』(文春新書)について

 本日公共図書館で文芸評論家である福田和也氏の『大丈夫な日本』(文春新書)を借用した。著者に興味があって、あるいは書名に興味があって借りたわけではない。あるブログ・サイトに、「ラッセルとケインズが同性愛関係にあったと、『大丈夫な日本』に書いてあり、ビックリした。・・・。」といった内容の書き込みがあり、(ケインズは同性愛で有名ではあるが、ラッセルにはそのような傾向はなく)何を根拠に福田氏はそのように書いておられるのか、確かめたくて、借用したしだいである。福田氏は次のように書いている。

 「・・・。ロレンス自身は、第一次世界大戦のときには2つの大きなショックを受けています。彼は反戦的だたし、友人であった哲学者バートランド・ラッセル、経済学者ケインズもそうでしたが、このふたりは同性愛関係でした。戦争中、ラッセルらの招きに応じて、ケンブリッジ大学に滞在したときのことです。ある晩、ラッセル邸に宿泊したロレンスは、寝室から降りてきたケインズのパジャマ姿を目撃する。ロレンスは、ケインズの姿に、かつて見たことのないような醜悪さを見出します。それは単純に、同性愛の匂いに反応したのではない。むしろ20世紀の天才経済学者、おそらく当時のイギリスの、最高の知性人のなかに、底知れぬ醜悪なものを見てしまった。その知性の核心から匂ってくる腐臭をまざまざと嗅いでしまったのではないでしょうか。・・・。いずれにせよ、ケインズやラッセルのような、一国の経済政策を左右し、あるいは世界平和を唱えて活躍するような知識人たちこそが、人間から生気を奪い、技術と金銭のもとで生命を衰退させ、人間性を消毒し、自由や平和の名のもとに大量破壊を誘発する、真の生命と無縁な怪物ではないのか、とロレンスは疑うようになるのです。・・・。要するに、文明の進歩の先には人間の居場所はどこにもない、というような感覚をロレンスは持ったわけです。・・・。」(同書pp.125-127)

 福田氏は、残念ながら明確な根拠を示さずに、断定している。
 想像では、D.H.ロレンスの書簡集かあるいは、ロレンスの小説に出てくるラッセルをモデルにした小説からそのように判断したのだろうと思われる。ロレンスの書簡集には、ロレンスがラッセルに出した、(確か23通の)手紙は収録されているが、ラッセルがロレンスに出した手紙は(ロレンスが捨ててしまったらしく)現存していないため収録されていない。自分が気に入らないと耳を貸さないロレンスらしさのあらわれか?

 福田氏の基本的な姿勢は、近代の超克、理性に歯止めをかけること、歴史の重視(歴史に学ぶ)、江戸時代のような持続可能な社会に対する高い評価、(持続しているということで)皇室や天皇制の意義の強調などがある。
 福田氏は、「近代」、「理性」といった言葉を良い意味では使っていない。(近代は「超克すべきもの、理性は暴走させてはいけないもの、といったとらえ方)

[疑問に思われる記述]
 納得のいく記述(環境を破壊せず、・・・成熟した社会へと再編成していく・・・)も少なくないが、次のような記述を読むと、納得できると思った部分も言葉だけのことかも知れない(真意は別にある)のではないかとも危惧される。

〇「原油と原子力がなければIT化はこれ以上進展しない。」
 → これは決め付け。当面はそうであったとしても長い目で見るとそうではないだろう。 
〇「なるほど国際化により、またインターネットなどの情報ツールにより、世界的コミュニケーションが密になったいま、実際に何が起こっているかというと、間口が広く寛容だったはずの市民社会が、敵の摘発と排除を主眼とした場所にかわってしまった。」
 → 過去の社会が寛容だったわけではなく、人や物資の行き来が増大し、接触がまし、衝突することも増えただけではないか。
〇安全保障は、実のところ、日本人の腹一つなのです。核武装でも、何でも、選択肢はたくさんあります。
★(一番反発を覚える記述) われわれは、飢餓も、病気も貧困も追放することはできない。それは、傲慢な思い上がりであり、実際は近代の全史を通じて、世界は悲惨であったにもかかわらず、近代人は、「無限」の未来への信仰によって、こうした災厄が解決可能であり、また明日における救済のための犠牲であると、ごまかしてきたのです。(p.100-101)
〇陳腐な表現が目立つ
 ・現在の困難を、一言でいえば、「近代の終わりをめぐる苦しみ」、という・・・//

備忘録n.17

本日公共図書館で借りたもの
1)ビデモ:名探偵ポアロv.15「二重の罪」
2)ビデオ: 同上    v.32「黄色いアイリス」
3)CD:桂枝雀独演会v.10「夏の医者+こぶ弁慶」
4)   同上     v.11「つぼ算+蛇含草」
5)内井惣七「推理と論理-シャーロック・ホームズとルイスキャロル」
6)図説・占領下の東京(河出書房新社)
7)福田和也「大丈夫な日本」(文春新書)
 *福田氏の本は読みたい本ではなく、ラッセルとケインズが同性愛だったと書かれていると、あるサイトに載っていたため、確認のため借用(ケインズは同性愛者で有名であるが、ラッセルはそのようなことはなく、何を根拠にそのように書いているのか確かめたかったため)

土曜日, 2月 10, 2007

備忘録n.16


本日図書館で借りたもの
(1)ビデオ:ポアロ「戦勝記念舞踏会事件」
(2)ビデオ:ポアロ「コーンウォール毒殺事件」
(3)CD:Rakugo in U.S.A. by Shijaku Katsusra
(4)「ロングテール・キワードを狙え! Google アドワーズ&アナリティクス活用テクニック」
(5)田口成子「みんなでうまい鍋」

バートランド・ラッセルに関するメルマガn.8

 バートランド・ラッセルに関すメルマガn.8を本日発行しました。

 ヴィトゲンシュタインとラッセルに関する伝記で有名なレイ・モンクの対談(「暗部-ラッセルとヴィトゲンシュタイン」)を、ラッセルのホームページに、先日アップロードしましたが、パスワードをつけないと閲覧できなくしてあります。メルマガの登録者には、パスワードをお知らせしていますので、興味のある方は登録をお願いします。
  http://www005.upp.so-net.ne.jp/russell/R3HOME.HTM

  現在登録者は43名となっています。50名を超えると一人前のメルマガと認定されるそうです。
 

日曜日, 1月 28, 2007

『不思議の国のアリス』に関する対談


 ラッセルは1942年に,アメリカのCBSラジオ番組 'Invitation to Learning'で、『アリスの不思議な世界』について、Katherine Anne Porter(1890-1980,アメリカの小説家)と Mark Van Doren(1894-1972,アメリカの詩人・批評家)の3人で対談しました。
New Invitation to Learning, New York, Random House, 1942,p.208-220)
 この対談のテキストは、 Collected Papers of B. Russell, v.10 に収録されていますが、知人に邦訳していただき、次のページに掲載しました。
 http://russell.cool.ne.jp/russell-alice.html

備忘録n.15


昨日公共図書館で借りたもの
(A)ビデオ
1)ポアロもの「三幕の殺人」
2)  : 「ABC殺人事件」
 *見るのは2度目か?
3)  : 「船上の怪事件」
4)桂枝雀「英語落語」
(B)本
1)桂枝雀「落語で英会話」
 *大変面白い
2)ミルワード「英語の名句・名言」
3)別宮「実践・翻訳の技術」
4)養老「バカの壁」

土曜日, 1月 20, 2007

備忘録n.14


 本日図書館で借りたのは、ポアロの「マースドン荘の惨劇(Tragedy at Marsden Manor)」のビデオ(VHS)のみ。
 いつもながらポアロは時々高慢な物の言い方をする。作者のクリスティーもポアロの人間性を余り好きではなかったが、ミステリー・ファンには受け入れられ、たくさんの作品を生み出すことになった。
 推理小説をたくさん読んでいるヒマはないので、ビデオや映画に限る。しかし今手元にある(公共図書館で借りた)「アガサ・クリスティー自伝」は購入してじっくり読みたい気がする。借りたものは、読まずに返却することになるだろう。いずれ購入したものをゆったりとした気分で読みたい。

CD紹介(桂枝雀「桂枝雀のわんだーらんど」)


 今は亡き桂枝雀、ファンも多かったが、自殺未遂後体調不良で死亡。年配でないと知っている人は少ないかもしれない。
 桂枝雀「桂枝雀のわんだーらんど」 (CD)は、その桂枝雀を堪能できる1枚(CD)
 コンテンツは以下のとおり。
 Opening、 日本ぶかし噺、サウンド・ロゴ、SR集、わがままDJ・・・、と書いていて、挿入するジャケットの画像に目次があることに気づき、途中で中止//

バートランド・ラッセルに関するメールマガジン

 昨年(平成18年)12月から、「まぐまぐ」のメルマガ発行サービスを利用して、「バートランド・ラッセルに関するメールマガジン」(もちろん無料)を発行しており、案内を

 http://www005.upp.so-net.ne.jp/russell/R3HOME.HTM

 に掲載しています。
 登録手続きは、配信希望先のメールアドレスを入力し、送信ボタンを押すだけです。発行者からは誰が登録しているかわかりませんし、閲覧を中止したい場合は、上記の同じ画面で簡単にできます。閲覧したい方は、お気軽に手続きをしてください。
 以上、紹介まで。 
 

金曜日, 1月 19, 2007

備忘録n.0013(『不思議の国のアリスを英語で読む』から)


 別宮貞徳氏(1927~)の『不思議の国のアリスを英語で読む』(ちくま学芸文庫)は、面白く、有益であった。以下は、自分用の備忘録。

(1) for と because の区別
〇 It's morning, for the birds are singing.
 × Its's morning, because the birds are singing.
違いはなんとなくわかっても、なぜ違うのかしっかりした説明をできる人は多くない。(即ち、同じ理由でも、その人にとっての説明 for と、事柄自体の直接の原因・理由の because とは大違い/また for は特に訳出しなくてもよい場合が多い)
(2)英英辞書を使うとよい理由(用例のなかで覚えないと、誤解しやすい)
(3) Suddenly she came upon a little three-legged table, all made of solid glass.
 「硬いガラス」だと思ってしまいがちだが、solid gold (金むく)という表現があるように、「むくのガラス(=不純物のないガラス)」のこと。
(4)Alice had began to think...
× 考え始めた(=不自然な日本語)  → ... という気になってきた
(5)rather は 「むしろ」よりも、「ちょっと」
 "Come, there's no use in crying like that !" said Alice to herself, rather sharply.
(6) I remembered to post the letter.
× 私は手紙をポストに入れるのを覚えていました。
〇 私は忘れずに手紙をポストにいれました。
(7) Let's pretend to be policeman.
「おまわりさんのふりをする → おまわりさんごっこをしよう)
(8) "I did'nt know that Cheshire cats always grinned; in fact, I didn't know that cats could grin.
* in fact をいつも「事実」「実際」と無神経に訳さない! in fact は文脈によって意味が異なる。
 → in fact = actually「 実際のところは・・・だ」
(9) enough to make a cat laugh / enough to make a cat speak
ネコも笑うほどおかしい/猫も驚いてしゃべるほど(すてき)
(10) ブタに飛ぶ権利あり?
 "Just about as much right,"said the Duchess,"as pigs have to fly: and m -
ブタは飛ぶはずがない → それほど馬鹿な話 (日本語でも、「ヘソが茶を沸かす」といった表現があるように」 → 「そんなことバカバカしくて信じられない」といった意味。
  

月曜日, 1月 15, 2007

備忘録n.0012


一昨日図書館で借りた本やCDなど
1) 桂枝雀のワンダーランド(CD)
2)「アガサ・クリスティー自伝」(上)(早川書房・クリスティー文庫)
3)津野志摩子「英国貴族に出会う旅」(東京書籍)
4)斉藤兆史「英語達人読本-音読で味わう最高の英文」(中央公論新社)
5)岡田克司「基礎からのJavaScript」(第3版)(工学社)
6)井上「Q&A100で学ぶJavaScript(エーアイ出版)
7)半場「詳解JavaScript辞典」(秀和システム)
8)降籏「即効!図解プログラミング・JavaScript」
9)かわちれい子「GoogleAnalytics入門」(インプレスR&D)

月曜日, 1月 08, 2007

備忘録n.0011(『Googleに聞け! 英語の疑問を・・・』


安藤進著『Googleに聞け! 英語の疑問を瞬時に解決』(丸善)
・公共図書館で借りた本であるが、「学生、社会人、英語教師、翻訳者などすべての英語学習者の必読書!」と書いてあるが、ほとんど既知のことしか書いてなくて、少しガッカリ。

(既知ではあるが、意識的に使っておらず、つとめた使ったほうがよいと思った点)
1)英語の正しい(適切な)用法の調べ方
(例)「太陽は東「から」上るのか?
 "The sun rises in the east" "from the east"
 という具合に、in と from の両方ともでてくるページを検索(あるいは別々に検索して、数を比較するとよい。
2)ワイルド・カードを上手に使用する。
 "You cannot eat your * and have it"
 ・「*」にはいる語を忘れたような時に。
3)イメージ検索をするとよい場合あり
 「8管表示」とは?
 → 「8管表示」をweb検索ではなく、イメージ検索してみる
4)余分は情報は、「-」(マイナス)で除去する
5)言葉の定義を調べる
 define: 単語