日曜日, 7月 29, 2007

備忘録(2007.07.29)


本日公共図書館で借りたもの

1)夏目房之介(著)『漱石の孫』(実業之日本社、2003年4月 277pp)
・昨日、夏目房之介『不肖の孫』を読了してしまったため、本日また図書館に出かけて、予約してあったこの本を借用。
2)ビデオ:歴史紀行ドキュメンタリー『大航海-ヴァスコダ・ガマの道v.2:大西洋の島々』(海工房、1999年)

(2007.07.30追記)
1)夏目房之介(著)『漱石の孫』
・冒頭に数枚の漱石関係の写真あり。「臨終直前の漱石」の貴重な?写真もある。
少し引用しておきます。
1)漱石と号した僕の祖父が、ちょうど百年前に、ロンドン(注:ロンドン郊外のClapham)のこの部屋で文学を相手に苦闘した。その元下宿部屋に、今僕はいる。
2)彼(漱石)がロンドンで構想し、帰国後上梓した『文学論』の朱入れ原稿を、僕は中学生のとき、ある漱石展ではじめてみた。ちまちました細かい文字がぎっしりと書き込まれ、みているだけで胃が痛くなりそうなものだった。まるで自分の嫌いな部分をみせられているような気分がした。
3)僕(房之介氏:1950年生)も若い頃、マンガ家だから笑ってくれという理不尽なカメラマンの要求に何度もムッとしたことがある。いちばん腹がたったのが、自宅で妻に手料理をつくらせ、それを子供と囲む夕餉の団欒を撮ると称して、えんえん食事をひきのばしたあげく、芸もなく笑え笑えと強要する能なしのカメラマンだ。人様に笑ってほしいなら、撮影しながら話しかけたり、ちゃんと被写体をそういう表情にしてやるのがプロのカメラマンてえものであろう。
4)(漱石1922年の講演から)「国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似は到底できる話ではない。・・・。事実出来ない事をあたかも国家のためにする如くいうのは偽りである。・・・。
5)死を受け入れた人間(注:ここでは父=漱石の長男である純一氏)が最後に切実に望むのは、受け入れたこと自体を親しい者に知ってもらい、わかちあうことだと、ある本で読んだ。父はあきらかに、死に向かっての最後の段階にあった。元気だった頃のわがままや意地悪さはみじんもなく、心から周囲に感謝していた。


土曜日, 7月 28, 2007

備忘録(2007.07.28)


本日公共図書館で借りたもの
1)夏目房之介『不肖の孫』(筑摩書房、1996年)
2)寮美千子『小惑星美術館』(パロル舎)
・現在NHK-FM(にて再放送中10:45~11:00PM/7.23~7.27+7.30~7.3の全10回)のファンタジー・アドベンチャーの原作。
3)ビデオ:歴史紀行ドキュメンタリー「大航海:ヴァスコダ・ガマの道」v.1:ポルトガル(海工房、1999)

(2007.07.29追記)
★夏目房之介『不肖の孫』

・文豪夏目漱石(父方)の孫にして、奇人三田平凡寺(母方)の孫である夏目房之介のエッセイ(ただし、「両者の孫」に関連する記述は最初の50ページだけであるので、多少「看板に偽りあり」
以下、少し引用して紹介。
漱石と私と道後温泉:・・・。父や叔母達に聞かされた漱石は、ただひたすらに怖いオヤジだったから、私なんぞというデキの悪いのは随分とヒドイ目にあったに違いない(注:漱石は、房之介氏の父が10歳の時に死亡している)。・・・。正直にいえば、漱石の小説やおいたちを知るにつれ、やはり他人とは思えぬ(他人じゃないから当たり前だが)屈折ぶり、煩悶、胃弱に神経質、温泉好きで落語好き、のんびりと道後温泉につかる気軽さを祖父が気に入った理由も、わからないでもないのだった。
職業的面白がり屋:・・・。親なんて、そのように私らの無意識界に刷り込まれたものなのだ。不機嫌になった時の腕の組み方や、「おい」と言うときの声や表情がそっくりだということは、言動を無意識に鏡のように映しとっているわけで、その結果(だかどーだかわからないが)しゃべり方や発想、思考にいたるまで似てきてしまう(注:即ち、漱石→父・純一→房之介氏へと伝わっていく。)
父と漱石のことなど:・・・。父の話に出てくる漱石は、何しろ突然怒り出す、理不尽な父親である。・・・。私なら、ぜひ願いさげにしたい父親である。

人生が趣味の人:・・・。このへんな人(三田平凡寺)、じつをいえば私の母方の祖父なのである。・・・。とにかくあたらし物好きで、ローラスケートが日本に入ってきた頃これを購入し、あろうことか自宅2階をスケート場に改造して走り回ってと伝えられる。
平凡寺の血脈:三田平凡寺は、奇人の収集家として有名だった。明治末から我楽他宗なる趣味蒐集家の会を主催し、自ら本山の宗祖となって様々な蒐集家と交流した。末寺には、福井・松平の殿様から外国人、とび職からくず屋までが参加し、とびきり自由で開けた会だったらしい。本人は耳が聞こえず、話はすべて筆談。・・・。


土曜日, 7月 21, 2007

備忘録(2007.07.21)


本日公共図書館で借りたもの
1)伊中明(編著)『ハッブル宇宙望遠鏡で見る脅威の宇宙(3Dスコープ付)』(技術評論社、H16年3月)
2)鴻上尚史『生きのびるために笑う(ドン・キホーテのピアス(n.11)』(扶桑社、2006年6月)
3酒井邦秀『どうして英語が使えない?』(筑摩書房、1993年/ただし借りたのは、ちくま学芸文庫版で1996年1月に出版されたもの)
4)ビデオ:『夏目房之助(作家ほっとタイム』(丸善)
*夏目房之助氏は、夏目漱石の孫
5)ビデオ:『シャーロクホームズ全集v。6:プライオリー・スクール・第2の血痕』
6)ビデオ:『(世界の車窓から)スペイン鉄道の旅-マドリッド発、南スペインの旅』

(2007.07.28追記)
★酒井邦秀(著)『どうして英語が使えない?-学校英語につける薬』(ちくま学芸文庫)
・鴻上尚史が、『ドン・キホーテのロンドン』のなかでとても良い本であった(もっと早く読んでおくべきだった!)と書いていたので、借りて読んでみた。
・この本は、日本の英語教育、特に学校英語に対する非難に終始している。英語といっても、米語中心であるので、全面的に賛成できないが、大変示唆を受ける、良い本であった。
・酒井氏の主張は、目次を見れば大体想像してもらえるだろう。目次から少し抜粋すると、「第一部 英和辞典批判」「第1章 (英語×訳語)一対一という幻想」「第2章 英和辞典は、Glorified Wordbook (英和辞典は辞書というより、単なる単語帳!)」「第2部 「学校英語=人工言語」論」「第3章 乗っ取られた英語の音」「第5章 受験英語の栄光と悲惨」「第6章 学校英語という名の人工言語」「第6章第2節 教科書英語と入試英語」
・本文から少しだけ引用
1)'a few' は、母体となる数にくらべて、少ないと「感じられる」数を表すもので、常に相対的かつ主観的にしか使われません。('a few' を「2,3の・・・」と訳すべからず)
 沖縄返還交渉のとき、'a few years' を2、3年(で沖縄を日本に返還)と訳してしまい、大問題となった。('a few years' は7、8年ということもある!)
2)'many' は「多くの」と訳してはいけない。これも「主観的な表現」であり、予想よりも多い場合に使う。予想が10%以下の場合に15%もあれば many を使う。
3)'of course' は「もちろん」ではない! 気軽に of course を使うと相手を怒らせることになる。(of course ×もちろん → △当然じゃないか)
4)'lemonade' の発音は、「レモネード」よりも「ラムネ」の方が近い!

B.文化や発想法の違い(日本と英米の差)
1)brother, sister の訳:英語では、普通「兄、弟」「姉、妹」といった上下関係を意識しない。(ただし、そうはいっても訳す時には問題になる。実際は「兄」なのに「弟」と訳せば間違いになる。)
2)英語のことわざを日本のことわざに当てはめることの危険。たとえば、Practice makes perfect. はよく「習うより慣れろ」と訳される(そう訳すと学校では〇がもらえる)が、英語には、「習う」ことと「慣れる」こととを対比させる意味はなく、「絶えず練習することによって上手(完璧)にできるようになる」の意味。
3)this, it, that (これ、それ、あれ)を訳すときは注意が必要。日本語では「近、中、遠」と三段階で認識するが、英語では「近い、近くない」の二段階しか認識しない。'it' は、すでに共通認識にあるものをもう一度指す使い方しかない。



日曜日, 7月 15, 2007

備忘録(2007.07.15)


昨日公共図書館で借用
1)鴻上尚史『ドン・キホーテのロンドン』(扶桑社文庫)
2)村松増美『ミスター同時通訳の「私も英語がはなせなかった』(講談社+α文庫)
* 同タイトルの正編と続編を1冊にしたもの。
3)ビデオ・瀬戸内寂聴『ギリシア-愛と死のエーゲ海』(NHK、1993年10月に放送されたもの)

★鴻上尚史『ドン・キホーテのロンドン』
* 週刊誌の『SPA』に毎週約1年間にわたって連載された、著者(演出家)のロンドン演劇学校留学(文化庁派遣)についての(同時進行)エッセイ。1回分が3ページほどの、気楽に読める、軽快な文章。以前から著者の顔は(多分)テレビで見て知っていたが、著書を読むのは初めて。英語はそこそこできても、実用会話ができない典型的な日本人である著者の奮闘記。
 この本はそこそこ面白かったので、(さいたま市の図書館群の蔵書データベースを検索し)インターネットで、最新のエッセイ「生き延びるために笑う(ドン・キホーテのピアス)」を、予約した(来週借りる予定)。


日曜日, 7月 08, 2007

備忘録(2007.07.08)


★昨日(7月7日)★公共図書館で借りた本2冊

(1)猿谷要『アメリカよ、美しく年をとれ』(岩波新書、2006.8)
(2)石井理恵子他『2度目からのろんどん・ガイド』(河出書房新社)

猿谷要『アメリカよ、美しく年をとれ』について
 有名な高齢のアメリカ研究者が、長いアメリカとの関わりについて、回想を交えて、ふりかえったエッセイ。親しいアメリカ人も多く、好意的にアメリカを見てきたが、最近のアメリカの覇権主義的、帝国主義的な行動を見るにつけ、自由と民主主義の先進国として「美しく年をとれ(とってほしい)」と、アメリカに呼びかけざるを得なくなった(と自分に言い聞かせる)、考え方の変化、心境の変化について、縷々のべている。活字が大きいので、3時間足らずで読み終わった。

 少しだけ引用:
・私たち(夫婦)は、子供がいなかったので、すべての海外生活と海外旅行は夫婦で行動を共にした。外国では当然のスタイルで(あり)、またそのためにこそ、どこでも暖かく向かえられた。(p.28)
*私のような戦中派は、英語を話す教育を受けていない。大学を出てからの七年間のうち、福島で一年、千葉県佐原で四年間も英語の教師をしていながら、それはすべて受験のための英語であって、英会話の実力はゼロに近かった(注:ただし、猿谷氏は、後にハワイ大学で英会話の特訓を受けている)。(p.37)
*戦後のパックス・アメリカーナの時代のなかで、私が無条件のアメリカ賛美者にならなかったのは、黒人の歴史を平行して研究していたためだろう。(p.48)
*なによりもこの『(マクナマラ)回顧録』が衝撃的だったのは、ベトナム戦争がアメリカにとって誤りだったことを告白した点にある。なにしろ国防長官として戦争の当事者だった人の発言である。(p.123)
*・・・。しかし、ブッシュ政権は成立してから僅か二ヶ月あまりで、京都議定書から離脱した。自国の産業界の要請にこたえて、人類の将来を見通す眼が失われてしまったのだ。これは、9.11同時多発テロが起こる半年も前のことである。(p.184)
*未遂に終わったキューバのカストロ暗殺計画などを加えれば、アメリカこそテロ国家だという批判さえ生まれかねないだろう。(p.186)
*しかし、今のように他の国から嫌われたまま初老を迎えれば、やがて世界に老醜をさらすことになりかねない。これだけ世界中から憎まれ嫌われては、決して美しく老いることなどできはしないだろう。

(2)石井理恵子他『2度目からのろんどん・ガイド』(河出書房新社)