水曜日, 6月 30, 2010

ラッセル格言・名言(n.005)



 人びとが生存競争という言葉で意味しているのは、実際は、成功のための競争にほかならない。この競争に参加しているとき、人びとが恐れているのは、明日の朝食にありつけないのではないか、ということではなくて、隣人に勝る(勝つ)ことができないのではないか、ということである。
(出典:『ラッセル幸福論』第3章「競争))
What people fear when they engage in the struggle is not that they will fail to get their breakfast next morning, but that they will fail to outshine their neighbours.

火曜日, 6月 29, 2010

ラッセル格言・名言(n.004)



 将来に期待して、現在の意味はすべて未来の(もたらすものの)中にある、と考える習憤は、有害(な習慣)である。(なぜなら)部分に価値があるのでなければ、全体に(も)価値はありえない。人生は、ヒーローとヒロインが、信じられないような不運(逆境)を乗り越え、最後にはハッピーエンドで報われる、といったメロドラマの類推で思い描かれるべきではない。(出典:『ラッセル幸福論』第2章「バイロン風の不幸」)
(The habit of looking to the future and thinking that the whole meaning of the present lies in what it will bring forth is a pernicious one. There can be no value in the whole unless there is value in the parts. Life is not to be conceived on the analogy of a melodrama in which the hero and heroine go through incredible misfortunes for which they are compensated by a happy ending. )
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA12-030.HTM

月曜日, 6月 28, 2010

ラッセル格言・名言(n.003)



 自分の不幸を大まじめに自分の世界観のせいにする人びとは、本末を転倒している、と私は固く信じている。真実は、彼らは自分では気づいていない何か別の理由で不幸なのであり、この不幸のために、自分が住んでいる世界のあまり気に入らない特徴についてくよくよ考えるようになるのである。 (出典:『ラッセル幸福論』第2章「バイロン風の不幸」)
I am persuaded that those who quite sincerely attribute their sorrows to their views about the universe are putting the cart before the horse: the truth is that they are unhappy for some reason of which they are not aware, and this unhappiness leads them to dwell upon the less agreeable characteristics of the world in which they live.
 
 中島義道の本

日曜日, 6月 27, 2010

ラッセル格言・名言(n.002)



 (たとえば)泥酔は、一時的な自殺(行為)であり、酒のもたらす幸福は、単に消極的な、不幸の一瞬の休止にすぎない。(出典:『ラッセル幸福論』第1章「不幸の原因」)
Drunkenness, for example, is temporary suicide; the happiness that it brings is merely negative, a momentary cessation of unhappiuess.

・お酒の好きな人にとっては、ラッセルのこの言葉は納得いかないだろうと思われます。ラッセル自身も、たまにスコッチウィスキー(レッド・ハックル)を飲んでいますが、論理を徹底的に追求する哲学者・論理学者にとっては、アルコールで思考を中断することは「ご法度」だということも理解できるのではないでしょうか?

土曜日, 6月 26, 2010

ラッセル:格言・名言(n.001)




(テスト)
石原慎太郎、**ヨットスクールの校長戸塚某、・・・
バートランド・ラッセルのポータルサイト応援ショップ
 残酷さや恐怖に包まれた(を伴った)教育はよくないが、こういう感情の奴隷(虜)になっている人たちは、そのような教育以外のものを与えることはできない。(出典:『ラッセル幸福論』第1章「不幸の原因」)
(Education in cruelty and fear is bad, but no other kind can be given by those who are themselves the slaves of these passions.)
  http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA11-020.HTM




金曜日, 6月 25, 2010

『ラッセル幸福論』から(n.004)

どのような議論があるにせよ、理性は幸福を禁止するものではないということを、私は読者に納得させたい。いや、それどころか、自分の不幸を大まじめに自分の世界観のせいにする人びとは、本末を転倒している、と私は固く信じている。真実は、彼らは自分では気づいていない何か別の理由で不幸なのであり、この不幸のために、自分が住んでいる世界のあまり気に入らない特徴についてくよくよ考えるようになるのである。
(I wish to persuade the reader that, whatever the arguments may be, reason lays no embargo upon happiness; nay, more, I am persuaded that those who quite sincerely attribute their sorrows to their views about the universe are putting the cart before the horse: the truth is that they are unhappy for some reason of which they are not aware, and this unhappiness leads them to dwell upon the less agreeable characteristics of the world in which they live. )

木曜日, 6月 24, 2010

『ラッセル教育論』から(n.001)






 私がこれから言おうとすることは、自分自身の子供のことでいろいろ思い悩んだ末に得られた結果である。それゆえ、それは、現実離れしたものでも、思弁的(理論倒れ)なものでもなく、私の結論に賛成であれ反対であれ(いずれであっても)、同様の悩みをもっている他の親たちの考えを明確にするのに役立つだろう、と思う。
(What I have to say is the outcome of perplexities in regard to my own children; it is therefore hot remote or theoretical, and may, I hope, help to clarify the thoughts of other parents faced with a like perplexity, whether in the way of agreement with my conclusions or the opposite. )

水曜日, 6月 23, 2010

『ラッセル自伝』から(n.003)





 父と母は亡くなっていたので、私はよく両親はどんな人たちだったろうかと思いめぐらしたものである。孤独の中私は、一人でしばしば庭を歩きまわり、交互に、鳥の卵を集めたり、どんどん過ぎ去ってゆく時間について瞑想したりした。もし自分自身の思い出(記憶)をもとに判断してよければ、幼少時代の重要で人格を形成する印象(感銘)は、子供らしく何かに夢中になっている最中のほんの一瞬だけ意識にのぼってくるにすぎないし、またそれは決して大人には話さないものである。どんなことでも外部から強いられてするということはない(漫然といろいろなものを観察する)幼少時代は、若い時代のうちでも重要な時期であると私は思う。なぜなら、その時期は、こうした見た目には一瞬であるが、しかし実は(生涯消えることのない)必要不可欠な印象を形成する時間を与えるからである。
(My father and mother were dead, and I used to wonder what sort of people had been. In solitude I used to wander about the garden, alternately collecting birds' eggs and meditating on the flight of time. If I may judge by my own recollections, the important and formative impressions of childhood rise to consciousness only in fugitive moments in the midst of childish occupations, and are never mentioned to adults. I think periods of browsing during which no occupation is imposed from without are important in youth because they give time for the formation of these apparently fugitive but really vital impressions.)
 ★詩人谷川俊太郎と孤独

『ラッセル幸福論』から(n.003)





 対外的興味・関心は、いかなるものでも全て何らかの活動を刺激・促進し、(また)それらの興味が消えないかぎり、倦怠(感)を完全に予防してくれる。反対に、自分自身に対する興味は、進歩的な活動に導くことは決してない。そういった興味は、日記をつけるとか、精神分析を受けるとか、もしかすると修道士になることに導くかもしれない。しかし、修道士になったとしても、修道院の日常業務(ルーティンワーク)のために自分の魂のことを忘れてしまうようになるまでは、幸福にはなれないだろう。彼が宗教のおかげで得られたとする幸福は、やむをえず交差点掃除人(注:crossing sweeper 当時のロンドンにはこのような職業があったそうです!)になっていたとしても得られたことだろう。極端に自己没入しており、他のいかなる方法でも治療のしようがないような不幸な人びとにとって、外(面)的な訓練こそ幸福に至る唯一の道である。  
(And every external interest inspires some activity which, so long as the interest remains alive, is a complete preventive of ennui. Interest in oneself, on the contrary, leads to no activity of a progressive kind. It may lead to the keeping of a diary, to getting psycho-analyzed, or perhaps to becoming a monk. But the monk will not be happy until the routine of the monastery has made him forget his own soul. The happiness which he attributes to religion he could have obtained from becoming a crossing-sweeper, provided he were compelled to remain one. External discipline is the only road to happiness for those unfortunates whose self-absorption is too profound to be cured in any other way.)

火曜日, 6月 22, 2010

『ラッセル自伝』から(n.002)





ペンブローク・ロッジには、11エーカーの庭があったが、その大部分は荒れるがままに放置されていた。この庭は、18歳の年齢に達するまで、私の人生において非常に大きな役割をはたした。庭から西方に向けて、エプソン・ダウンズ(Epsom Downs: 私は当時それを ups and downs という名だと思いこんでいた。)からウィンザー城にいたる広大な眺望があり、その間にはハインドヘッドの丘とリースの丘があった。私は広大な地平線や視界を遮るものがない日没の光景を見慣れて成長した。そのため、それ以来ずっと、その両方なしではけっして幸福に暮らすことはできなかった。
(Pembroke Lodge had eleven acres of garden, mostly allowed to run wild. This garden played a very large part in my life up to the age of eighteen. To the west there was an enormous view extending from the Epsom Downs (which I believed to be the 'Ups and Downs') to Windsor Castle, with Hindhead and Leith Hill between. I grew accustomed to wide horizons and to an unimpeded view of the sunset. And I have never since been able to live happily without both.)




『ラッセル幸福論』から(n.002)





思春期には私は人生を憎み、たえず自殺寸前の状態にいたが、もっと数学について知りたいという欲望から、なんとか自殺を思いとどまった。
 今では、反対に、私は人生をエンジョイしている。年々年をとるにつれて、ますます人生をエンジョイしている、と言ってもよいくらいである。これは、一部は、自分がいちばん望んでいるものが何であるかを発見し、これらのものの多くを徐々に手に入れたことによる。また一部は、望んでいるもののいくつかを、(たとえば)何かに関する疑いえない知識の獲得というようなことを、本質的に獲得不可能なものとして上手に退けてしまったことによる。しかし、大部分は、自分自身にだんだんとらわれなくなったことによるものである。
(In adolescence, I hated life and was continually on the verge of suicide, from which, however, I was restrained by the desire to know more mathematics.
Now, on the contrary, I enjoy life; I might almost say that with every year that passes I enjoy it more. This is due partly to having discovered what were the things that I most desired and having gradually acquired many of these things. Partly it is due to having successfully dismissed certain objects of desire - such as the acquisition of indubitable knowledge about something or other - as essentially unattainable)




月曜日, 6月 21, 2010

『ラッセル自伝』から(n.001)





 両親は1864年に、両方ともわずか22歳で結婚した。(ラッセルの初婚も22歳であることに注意) わたくしの兄が生まれたのが、彼が自伝で自慢しているように、両親の結婚後9ヶ月と4日目であった。わたくしが生まれるほんの少し前、両親は、ワイ川のきりたった岸のちょうど真上の森の中の人里離れたところにあるラヴェンスクロフトと呼ばれたきわめて淋しい家(現在はクレイドン・ホールと呼ばれている。)に行って住んだ。私が生まれて3日目に母は、そこの家から自分の母にあてて、私のことについて手紙を書いた。
(My parents married in 1864, when they were both only twenty-two. My brother, as he boasts in his autobiography, was nine months and four days after the wedding. Shortly before I was born, they went to live in a very lonely house called Ravenscroft (now called 'Cleiddon Hall') in a wood just above the steep banks of the Wye. From the house, three days after I was born, my mother wrote a description of me to her mother: )
 → ★ラッセル自伝(原書)購入

『ラッセル幸福論』から(n.001)





 戦争を回避するための(組織的な)方法を発見することは、我々の文明にとって必須である。しかし、人びとが不幸なあまりに、日中(の光)のまぶしさに耐え続けるよりも(現実を直視し耐え続けるよりは)、相互殺戮のほうが恐ろしくないと思われるうちは、そういう方法が見つかる機会はない。
(To discover a system for the avoidance of war is a vital need for our civlisation; but no such system has a chance while men are so unhappy that mutual extermination seems to them less dreadful than continued endurance of the light of day.)

日曜日, 6月 20, 2010

備忘録(2010.6.20)






(1)昨日公共図書館で借りたもの
1)檀ふみ・阿川佐和子『けっこん・せんか』(文春文庫)
2)ピーター・タスカ,ビル・エモット『日本の選択』(講談社インターナショナル,2007年3月)
3)『アフィリエイト「やり直し」講座』(ダイヤモンド社,2007年)
4)『詳解HTML&CSS&JavaScript辞典』(秀和システム,2005年)

(2)昨日西川口のBOOK-OFFで購入したもの(105円×5冊)
1)養老孟司『死の壁』(新潮新書,2004年)
2)山崎伸治『「団塊の世代」は月14万円使える!?』(青春出版社,2007年)
3)米原万里『必笑小咄のテクニック』(集英社新書,2005年)
4)斎藤孝『三色ボールペン情報活用術』(角川Oneテーマ21,2003年)
5)古平明『アフィリエイトで月収100万円も夢ぢゃない』(ビジネス社,2004年)

土曜日, 6月 05, 2010

備忘録(2010.6.5)






本日公共図書館借りたもの

1)いいだもも『<主体>の世界遍歴-八千年の人類文明はどこへ行くか』(藤原書店,2005年)
2)米盛裕二『アブダクション-仮説と発見の論理』(勁草書房,2007年)
3)寺島実郎『われら戦後世代の「坂の上の雲」-ある団塊人の思考の軌跡』(PHP新書n.396,2006年)
4)ピーター・タスカ『不機嫌な時代-JAPAN2020』(講談社,1997年)
5)マークーピータ^セン『図解英文法入門』(アスコム,2007年)