土曜日, 10月 13, 2007

備忘録(2007.10.13)


本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『世界青春放浪記-僕が11ケ国語を話すわけ』(集英社文庫)
 ・目次をみたら面白そう。早く読みたい。
2)エラリー・クイーン『シャム双子の謎』(創元推理文庫)
3)エラリー・クイーン『間違いの悲劇』(創元推理文庫)
4)エラリー・クイーン『オランダ靴の謎』(『世界名作推理小説体系v.15』に収録されたもの)
 現在小森氏の『探偵小説の論理学-ラッセルの論理学とE.クイーン・・・』を読んでいる関係でクイーンの小説を読みたくなり借りたが、ピーター・フランクルの本を先に読みたくなったので、そちらを先に読むことにする。

(10月14日追記)
ピーター・フランクル『世界青春放浪記-僕が11ケ国語を話すわけ』
 これも今日1日で読んでしまった。
 ピーター・フランクルは、ハンガリー出身のユダヤ人で、若い時にフランスに亡命している数学者。NHKなどのTV番組にも時々出演しているので、日本人で彼を知っている人も多いことと思われる。大道芸人であることも知られているが、ユダヤ人であるがゆえに大変な苦労やいやな目にあっていることを知っている日本人は少ないかもしれない。
 彼の生い立ちはどのようなものか、彼はなぜ世界を放浪するようになったのか、なぜ無神論者になったのか、ハンガリーに残した両親との関係はどうなっているのかなど、詳しく率直に書き記している。若い頃の自己中心的な考え方や行動には少しいやな感じもするが、世界中の国々の市井の人々と接するうちに、知性も心も開かれ、名実ともの、コスモポリタンとなっていった。(私は真似ができないことが多いが)共感する点も多く、お薦めの書物である。以下、少し引用しておく。

(p.8)天気のいい休日、あるいは人々がほろ酔いかげんで歩く夜、色とりどりの大きな水玉のついた衣装にジュラルミンのトランクを持って、ぼくは街に出てゆく。トランクには芸道具一式が入っている。・・・。
(p.17)ユダヤ人の歴史は六千年におよぶ。最初の四千年は、ごく普通の農耕民族として現在のイスラエルに住んでいた。・・・。その後、イスラエルはローマ帝国に占領される。・・・。自分の国を持たずに二千年間も流浪をつづけた民族はユダヤ人の他にはない。・・・。ユダヤ民族はなぜ消滅しなかったのか。最大の理由は宗教である。このことは無神論者のぼくも認めるしかない。・・・。
(p.19)・・・。日本の被差別部落の人々が、人のいやがる仕事にたずさわったのと同様に、ヨーロッパでも、禁じられた職業にたずさわるのは被差別民族だった。金銭にかかわる商売をする人間は、ほとんどユダヤ人にかぎられていた。たとえば世界ではじめて銀行をつくったのはユダヤ人である。こうして一部のユダヤ人は大金持ちになった。
(p.35)この時期(1944年3月頃)になるとハンガリーのユダヤ人は、これまでの強制労働とは違ってもどるあてのない強制収容所に送られるようになる。からだの弱い人々はポーランドのアウシュヴィッツに送られ、そこで殺されていった。父の両親は早い時期に強制収容所に送られたが、このころはまだ生きていた。だがドイツの敗戦が決定的になると、ドイツの指導者たちは、ユダヤ人の大量虐殺を開始した。祖父と祖母はハンガリーが完全に解放されたあと、戦争が終わる1ケ月前にオーストリアで殺されてしまった。
(p.44)・・・。1953年3月26日、母は帝王切開で男の子を産んだ。それがぼくである。今度も父は亡くなった自分の父の名をつけたがったが、二人目は自分の番だと母が主張して、「ピーター」というハンガリー人の名前をつけてくれた。
(p.55)わが家にはいつも肉と卵があった。病気の治った患者さんが感謝の気持ちをこめて食料品を持ってきてくれたからだ。患者が医者にワイロを贈るのはハンガリーでもよくあることだが、父はけっして患者からお金を受け取ろうとはしなかった。
(p.63)ハンガリーでは戦後、ほとんどの人が教会に行かなくなった。教会に通っていることが会社に知れると、よい共産主義者でないと言われて出世が望めなくなる。・・・。戦争で両親を失った父は、もし本当に神さまがいるならこんな残酷な行為(=強制収容所での大量虐殺など)を許すはずがないと、どんな神も信じず、子どもたちも無神論者として育てた。「弱い者は宗教に頼る。強い者は自分に頼る」という父の教えを聞いて、ぼくも父のように強い人になりたいと思った。
(p.191)ほかの左翼の人々との出会いもあって、ぼくは共産主義を一つの宗教と考えるようになった。どんなに宗教の矛盾を指摘しても、信者は死ぬまで神さまを信じる。共産主義者も同じである。どんなに経済状態が悪くても信者は共産主義を信じつづけるのだ。(注:バートランド・ラッセルの指摘と同じ)
(p.306:あとがき)自分の生活や生き方が、人々に語るに値するとは思っていなかった。ぼくはただ心のおもむくままに日々を過ごしてきただけであって、自分の生活が他の人々とそれほど異なっているとは意識していなかったのだ。それが日本に来て、この国の人々と語りあううち、どうも自分の生活が彼らに驚きを与えるような一風変ったものであるらしいことに気づいた。・・・。(p.309)現在の日本が高い教育レベルを誇っているのは事実だ。しかし、生徒一人ひとりの可能性や才能の発掘に充分時間が割かれているとは思えない。・・・。より多くの「自由」を味わってほしい。この本がそのきっかけとして少しでも役立てば幸いに思う。

(2007.10.21追記)
『シャム双子の謎』よりも『間違いの悲劇』の方が面白かった。
『シャム双子の謎』の邦訳(井上勇訳)は、1960年に初刷、1999年に55刷がでておりかなり売れているといえるが、訳文が日本語になっているとはいえず、意味の取れない(意味が確定しない)ところがかなりあった。原文をみてないので断定できながい、誤訳も少なくないように思われた。逐語訳(直訳)になっているところが多く、文を2つか3つにわけないと誤解したり意味がとりにくいものも、長い一文になっているところが多く、読みにくかった。
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