日曜日, 10月 21, 2007

備忘録(2007.10.21)


昨日、公共図書館で下記の1冊のみ借用

本日は、E.クイーンの『シャム双子の謎』(井上清訳/創元推理文庫)を一気に読んでしまった。面白くはあったが、訳文は日本語になっているとは思えず、非常にフラストレーションを感じた。

1)ピーター・フランクル『僕が日本を選んだ理由(世界青春放浪記n.2)』(集英社文庫、2003年)
・書き下ろし。すぐに読みたかったが、上記の本が途中だったために、本日は読めず。

(2007.10.24追記)
『僕が日本を選んだ理由(世界青春放浪記n.2)』





・ハンガリーからフランスに亡命しフランス国籍を得た(ユダヤ人の)ピーター・フランクル。フランスを基点に、アメリカを始めとして世界中を(数学の講演方々)放浪した(している)が、結局は日本が一番心休まる国であることを発見し、フランスではなく日本を基点に世界を放浪することがしだいに多くなっていった。
・もちろん日本が好きだといっても、日本のいやなところや改善してほしいと思う点は多々ある。近年日本中を講演してまわっている(全県制覇!)が、日本人にない生き方や発想法のため、日本人は興味をもって耳を傾けてくれる。ピーター・フランクルが日本人に特に望むのは、余り杓子条規に考えないことと、日本人も人生をもっと楽しんでほしいという2点。以下、少し引用しておく。
(p.8)いつの頃からか、海外から日本に戻るとそんな風に感じるようになった。この国に惚れて、放浪生活に終止符を打ち、こうしてほっと心安らぐ自分の居場所をやっと見つけるまで、ずいぶん長いこと世界をさまよったような気がする。・・・。
(p.10)・・・。亡命後、数学者で本当によかったと心の底から思った。医者ならば、国が変るとまた資格を取り直さなければ仕事ができないが、数学は世界共通の学問であり、自分が書いた論文で評価を受ける実力の世界だ。すぐパリで定職を得て、研究員としていろいろな国をまわることもできた。
(p.171)自由を求めてフランスに亡命したぼくだが、決して親と縁を切ったわけではない。よく考えてみると亡命後でも、盆と正月だけ故郷の親元に帰省する日本人よりは、ぼくが両親と過ごした時間の方がずっと長いと思う。しょちゅう会っていたわけではないが、毎年、両親と共に一ケ月くらいの旅行をするようになったからだ。・・・。
(p.186)次に向かった京都では、目の覚めるような紅の色彩に迎えられた。事前に調べていったわけでもないのに、11月始めの京都は紅葉が一番きれいな時だったのだ。両親はこの光景に感嘆の声をあげた。実際それまでも、それからも、あんなに美しい紅葉をぼくは見たことがない。
(p.296)なぜ(彼女は)他の人種を差別するようになったのかというと、たぶん親の差別意識が伝わったからだと思う。それは一種、信仰のようにとても強く心に刻まれるようだ。つまり、その考えが正しいのか正しくないのか、自分の頭で判断しようともしない。キリスト教の敬虔な信者が、「もしかしたら仏教の考えが正しいのではないか」とは絶対に考えないのと同じである。親や周りの人が思っていることを、判断力のない幼い頃から聞き続けると、その考え方が刷り込まれて、宗教のように頭のなかに入ってしまうのだろう(フランクルは、恋人がはげしい反ユダヤ主義者であることを発見し、彼はその恋人と別れることになる。)
(p.310)もっとも馴染めなかったのは、価値観だ。「もしあなたに脳味噌があるなら、なぜお金がないのか?」という言い回しがあって、つまり、「金がない人はだめ」とういのが、アメリカ人の価値観だと感じた。
(p.315)ぼくから見た日本人には素晴らしいところがいろいろある。真面目で仕事を一所懸命にする。人との争いを好まない。優しい態度で人にのぞむ。ただ、あまり人生を楽しんでいないように見えることもある。だから、「今で通りきちんと仕事をしたうえで、その他の時間をもっと自由に社会の既成概念にとらわれずに、自分なりの判断をしてみましょう」と提案したいと思った。

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