土曜日, 12月 08, 2007

備忘録(2007.12.08)

本日公共図書館で借りたもの
1)テオニ・パパス(著)、ピーター・フランクル(監修)『ねこでもわかる数学-ペンローズの不思議な冒険』(PHP、2003年8月刊)
2)『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか-親日家8人からのメッセージ』(明石出版、2006年2月刊)
3)早稲田大学理工学部(編)『理工文化のすすめ-早稲田大学理工学部自主挑戦科目「理工文化論」講義』(東洋経済新報社、2002年2月)
4)桂文珍対談集『世界万華鏡はいかが?』(潮出版社、1993年6月刊)
5)「男はつらいよ(フ-テンの寅)」v.3(マドンナ=新珠三千代/ロケ地=三重県四日市市、湯ノ山温泉/封切日=昭和45年1月15日)

(2007.12.09追記)




★『世界万華鏡はいかが?』
・桂文珍が日本人びいきの外国人13人と対談した記録を本にしたもので、最初の対談者がピーター・フランクル
(p.24)一度、僕は中曽根総理の教育に関する演説を聞いて、すごいショックを受けたことがあるんです。中曽根さんは、「難しいことなんか教えなくていい。先輩や両親を尊敬する程度でいい。」といっていた。たしかに、それで十年や二十年は困らないでしょうが、五十年先、百年先のことを考えたら、今よりずっと教育を優秀にして、国民の能力をあげなければいけない。でないと、これから出てくる機械はもう自分で使いこなせなくなりますよ。

★『理工文化のすすめ』
・オウム真理教徒のなかに理工系の人間が多かったことやバブルが崩壊して日本の発展が10年以上止まったことなどを契機に、理工系の人気がかなり下がってしまった(学生の応募も減ってしまった)。しかし、今後日本が延びていくためには、理工系の文化を普及させることが大事だとして、早稲田大学理工学部は本書を編集した。10人の講義録が収録されているが、ピータ・フランクルの講義「生活の中の数学・英語の数学的勉強法」は本書の最初にあげられている。
(p.3-4)第二次世界大戦中に米国で300万人の召集兵に対し梅毒検査をおこなわなければならなかったが、ひとり検査するのに約1ドルもかかった(当時の物価では1ドルでコーラ20本が買えた)ので、工夫してかなり経費を削減できた(方法:300万人を10ずつのグループにわけ、それぞれ10人の血液を混合し、梅毒検査をし、ひっかかったグループに対してだけ、全員の検査を行った→実際の検査は1/10ですんだ。)
(p.6)・・・。僕がいろんな国で自由に活躍できたのは、世界各国どこへ行っても同じ数学を自分の専門として選んだからなのです。だから(両親の職業と一緒の医者にならずに)数学者になって本当によかったと思います。

『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか-親日家8人からのメッセージ』

ピーター・フランクル「日本人はそろそろ「足る」を知るべきだ」
・日本及び日本人は、近年自信をなくし、マイナス思考に陥っており、いい目を見ている人間の足を引っ張ることばかりやっている。
(p.100)日本人は、アメリカ人には劣等感を抱き、その裏返しでアジア人に優越感を抱いている-今の日本人は、ぼくの目にはそう映る。これはとにかくナショナリズム(やあやまった愛国心)が悪い。
(p.111)かつての一億中流も、いまでは「勝ち組」「負け組み」というアメリカ的な思想に完全に変わっていった。それはとても残念だ。
(p.113)アメリカでは、一人勝ちしたら家を売り払って別の土地に引っ越して暮らすという構図だから、人間関係で悩む必要はない。新しい引越し先でさらにお金を稼いだら、さらに別の土地に引っ越すし、失敗したら元の場所の戻ったりする。アメリカの場合、人間関係は消耗品だ。だから大事ではない。大事なのは自分自身であり、自分と神の関係だ。なぜならアメリカ人はけっこう信仰心が篤いから。逆に、信仰が篤いから他の人間との関係はそんなに必要としない。だから同じ宗教、同じ教えの団体における人間関係は、直接の人間関係ではなく、同じ神を同じように崇拝するという人間関係になる。・・・。日本人はそうではなく、幼馴染や同窓会、郷土愛がある文化。だから一割か二割成功し、残りの九割や八割はどんどん生活がきつくなるといった環境はこのましくないのだ。




(p.115)そうした社会環境を変える方法は、求めることだと思う。日本とアメリカが対象的であることの一つに、何を重んじるのかということがある。つまり、結果を重んじるのか、それとも過程を重んじるのか。/アメリカの考え方では、いくら苦労してもどんな手段を講じてもいいから、とにかく勝つべきである。だからヒロシマ、ナガサキに原爆を落としたことに関してアメリカ人は罪の意識をもっていない。それによって戦争が早く終わったのだから、意味のあることをしたと思っている。原爆を投下されて多くの人が死んだり、苦しんだり、あるいはいまだに原爆症の後遺症に苦しんでいる人たちが大勢いるということは関係ない。結果だけが大事なのだ。/一方、日本人は本来、過程を重んじる文化である。そのことをぼくに最もわかりやすく説明してくれるのは茶道だ。結果だけを見ると、茶の湯のわずかの量の抹茶を飲んで、小さな和菓子をだべるだけで、たいしたことはないじゃないか。だが実際は、茶室に入り、・・・。そこにあるのはまさに過程であって、結果ではない。

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