月曜日, 12月 11, 2006

ラッセルのホームページの更新,n.17

 ラッセルの『教育論』の続きです。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/OE02-090.HTM
 
  「美しい日本」をうたい文句にする阿部首相や教育再生会議の「有識者」の方々が、(ラッセルの言う、子供に対する親の愛情の)「拡散した形の愛情」を持っているかどうか疑問です。

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 こういった考察はさておき、子供たちや若者たちは、彼らの幸せを純粋に願う人びとと、彼らを何らかの計画のための原材料(素材)としか考えない人びととの違いを、本能的に感じとる。'性格'も'知性'も、教師に愛情が欠けている場合には、十分に、またのびのびとは発達しないだろう。そうして、この種の愛情は、本質的に言って、子供を'目的'として感じることの中にある。私たちは皆、自分自身についてはこういう感情を抱いている。即ち、私たちは、自分自身にとって良いことを望む(欲する)が、その際、自分自身のために何か良いものを手に入れれば何らかの大きな目的が促進されるという'証拠'をまず最初に見せよといった要求を自分自身に対して行うことはない。愛情ある普通の親は皆、我が子に対し、同様の感情を抱く。親は、--自分自身のために何か欲しがるのとまったく同様に--、自分たちの子供が成長し、頑健で、健康的で、学校でよく勉強することなどを願う。(即ち)そのような事柄で骨を折る時に、自制(自己犠牲)の努力も抽象的な正義の原理も、伴わない。こうした親としての本能は、常に厳密に自分の子供に限定されるわけではない。そうした愛は、拡散した形では、幼い男の子や女の子の良い先生になろうとする人全てに存在するはずである。生徒が成長するにつれて、そうした愛情は次第に重要ではなくなっていく。しかし、そういう愛情を持っている人びとに対してのみ、教育の青写真を作ることを信頼して任せることができる。(国家のために)とるに足らない理由で喜んで人を殺したり殺されたりする男を作ることが男子教育の目的の一つだと考えている人びと(注:愛国心教育や国防教育を最重要視する人々)は、明らかに、拡散した形での親の愛情に欠けている。しかも、デンマークと中国を除くすべての文明国においては、こういった人たちが教育を支配(統制管理)している
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