金曜日, 11月 23, 2007

備忘録(2007.11.23)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『よい日本、だめな日本』(扶桑社、1998年2月刊)
・本書は、産経新聞の「異文化フォーラム」、東京新聞「言いたい放題」、週刊読売「ピーター・フランクルの週刊ジパング情報」に連載されたものから抜粋し、加筆・修正して編集したもの。
2)同上『美しくて面白い日本語』(宝島社、2002年2月刊)
3)左近司祥子『ソクラテスになった猫』(勉誠出版、2005年10月刊)
4)『詳解HTML&XHTML&CSS辞典』(秀和システム、2005年2月)


(同日追記)
★『よい日本、だめな日本』
・この前読んだ『ぼくが地球であった愉快な人たち』だったか、何篇かは重複している。新聞に掲載されたものであるため、どれも2ページほどの短いエッセイであり、気楽に読める。
(p.18)日本の問題はその間、つまり6歳と60歳の間の年齢層である。その時まで楽しく学習してきた子供は、小学生になると突然勉強がつまらなくなる。原因はもちろん、日本の集団生活を重んじる学校制度にある。ランドセルや通学路をはじめ、すべてがきめ細かく決められ、しかも学校で過ごす時間も欧米より永井。子供の個性と一緒に、その興味や好奇心も撃ち殺されていく。明治時代の遺産であるこの軍隊主義教育の結果、高校卒業の時は既に、型にははまった人間ができあがっている。このような、命令に逆らわない人材は確かに企業にとっては扱い易い。
(p.42)人間は独りでいて孤独に耐え、自分のこと、人生、世界のことをじっくり考えるのが、精神的に成長するために非常に大切である。しかし、子供の時から学校や塾で過ごす時間の極めて長い日本人は、独りでいることが苦手である。一例をあげると、フランス人は基本的に喫茶店で待ち合わせをする。先に着いたほうは、他の客を見たり外の景色をみながらあれこれ考えながら時間をつぶす。しかし、日本人の場合、外で待ち合わせをすることが多い。たった5分の時間をもてあまし、飛びつくように携帯電話か公衆電話からだれかに電話をかける。
(p.93)・・・。だから学校で正しい歴史観を教えてもらいたい。そのためにも日本史と世界史を分けないほうがよい。
(p.171)(思考も感情も)ストレートの国、アメリカにも住んでみた。スポーツをたくさんしているせいか、健康にあふれた、立派な体の持ち主である女性が多かった。でも、友達になってからも、男女対立が続く。表面的な討論は、すぐ喧嘩になり、男女間の壁がなくなるはずのベッドも、レスリング・マッチになってしまう。一緒にいる間は、リラックスできなくて疲れるのだ。

(2007.11.26追記)
★『美しくて面白い日本語』

・世界的な数学者にして世界を放浪する大道芸人(12ケ国語を話せる国際人・自由人)であるピーター・フランクルは、日本が気に入り定住するようになった。日本が気に入り、日本語を楽しみながら集中的に勉強するうちに、『美しくて面白い日本語』のような達意の日本語が書けるようになるとは驚きである。

(p.10)・・・。そんなことから、もう日本語を勉強する必要はないと考えるようになった。知らない単語が出てきたら、その都度、覚えれば充分だと思うようになっていた。そんな時期に、僕の人生を大きく変える出来事が起こった。それが『たけし・逸見の平成教育委員会』というテレビ番組への出演だった。
(p.177)当時から僕は渋谷に住んでいたけれども、賃貸アパートで、土地やマンションはとても変えなかった。近年は地価も大分下がり、三年前に(注:この本の出版が2002年であるので1999年のことか?)、バブル期の約七分の一の値段で土地を買って事務所を建てたが、決して投資目的ではない。税金が高くなるだけなので、地価が上がることを決して望まない。
(p.184)僕の子供の頃は、父に勉強を教えてもらったり、母と一緒に料理を作ったりした。とにかく、愛している人たちと一緒に長い休暇を過ごすということが大事なのだ。そのようが、精神的に裕福ではないだろうか。
(p.210)数学者であり大道芸人である僕が、考えてみればこの二つを除いて一番たくさんの時間をかけて勉強したのが日本語である。他にもいろいろ言語を勉強したけれども、ここまで徹底的に学んだものはなかった。

土曜日, 11月 17, 2007

備忘録(2007.11.17)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『ぼくが地球であった愉快な人たち』(講談社、1997年1月刊)
・本書は、増進会出版社(いわゆるZ会)の会員向け情報誌『Azest』に連載されたものに加筆し、書き下ろしたものを加えて1冊にしたものとのこと
2)『図説・古事記と日本の神々』(学習研究社、2007年7月刊)
3)[Video]『男はつらいよ』(原作・監督=山田洋次/マドンナ=光本幸子/ロケ地:京都、奈良/映画封切日:昭和44年8月27日/松竹ホームビデオ)
・中学の時に(父親と大喧嘩して)家出し、テキヤ家業(露天商)で20年放浪した後(両親と兄は死に、親戚の世話になっているたった一人の妹にあうために)故郷・柴又にもどってくる(寅さん)という不自然な設定。ビデオのジャケットには、「(この映画が放映されるや)寅さん旋風が起こり、以後シリーズ化、国民的ヒーローとして数知れないファンを魅了し続ける記念すべきシリーズ第1作」と書かれているが、40年近く経過した今から見ると、時代の経過による人々の考え方や感性の違いが実感される。寅さんのような人間は身近にいてもらいたくないが、それでも郷愁を感じるところもあり、くだらない映画と一刀両断に切り捨てる気にはなれない、といったところか。


★2007.11.18 追記
『ぼくが地球であった愉快な人たち』
・母国を含め15ケ国(東ドイツ、ポーランド、ソ連、スウェーデン、西ドイツ、バンングラデシュ、台湾、タイ、アメリカ、フランス、スペイン、ポルトガル、スイス、母国ハンガリー、日本)の放浪記。以下、引用
(p.21)ぼくがとくにロン(ロナルド・グラハム米国数学会会長にして、ジャグラー)から学んだのは、ものごとの習得法だった。それは、なんでも全体をいくつかの部分に分けて考えるとうまくいくということだ。こまかい部分の証明を積み重ね、最終的に全体を証明するという数学的で論理的な手法は、いろいろなことに応用できる。
(p.47)第一次大戦後、ハンガリーでも反ユダヤ主義が高まったとき、ユダヤ人はオール5でないと大学に進学してはならないという法律ができた。父の弟は高校時代にたった一つだけ4の科目があったため、進学できなくなった。
(p.49)(ハンガリーが)共産主義時代はみんなあんまり一生懸命に働かなかったから、ニ週間とか三週間の休暇をとることも可能だったが、資本主義経済のもと、働いただけお金になるようになると、みんな休暇もあまりとらなくなった。それにつれて、心にゆとりもなくなった
(p.149)多くの日本人は、一人でいることがすごく苦手のようだ。仕事や家庭環境の問題などで、一人でいる時間がなかなか持てないという事情もあろうが、ぼくの目には、日本人は一人になる機会を意図的に避けようとする傾向があるように見受けられる。しかし、それでは自分で決すべきこと、たとえば大切な自分の進路についてまで、周囲の意見に流されてしまいやすい。日本人は自分の意見を正面切って主張しないといわれるのも、そんなところに原因があるのではないだろうか。
(p.157)日本では、旅先でもみんながテレビから目を離せないらしい。携帯用のゲーム機を持参して、それに熱中している若者もいる。耳からウォークマンなどのヘッドホンをはずせない者もいる。こうした場面は、ぼくらには実に奇妙な現象に映る。非日常な雰囲気の中での新しい出会い、未知の人との交流のほうがずっと楽しいと思うのだが・・・。

土曜日, 11月 10, 2007

備忘録(2007.11.10)

本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『ピーター・フランクルの諸国漫遊記』(増進会出版社、1998)
2)ピーター・フランクル『旅ゆけば日本』(世界文化社、1994)


(2007.11.11)追記
★『旅ゆけば日本』(世界文化社、1994)

・本書の内容は、1992年4月~1993年3月まで、NHKの『ミッドナイト・ジャーナル』で放送されたピータによる取材に基づいたものであり、ピータはこの取材により、日本の全ての県でいったことのないところはなくなったよし。ピータの観察眼はするどく、日本の最近のタレントによる表面的な取材などは顔色なし。
(p.8)・・・。ところが向こう(NHKの某ディレクター)の意図は、そんな僕の密かな願望とはだいぶ異なるものだった。ディレクター氏が考えていたのは、僕を日本全国のさまざまな地域に送り込んで、その場所とそこで暮らす人々についてレポートさせる、という内容なのだった。
(p.67)一般に日本人は、一人ひとりはサービス精神が旺盛なのに、企業やお役所など組織の一員になったとたん、まるで正反対にドケチで柔軟性の欠如した人間になったしまうようだ。何をするにも上司の判断を仰ぎ、規則に外れた行いを恐れ、事なかれ主義に徹する人がほとんどだ。
(p.196)故郷ハンガリーで、僕は大学卒業後、25歳のときに兵役についたことがある。普通より短い半年で除隊を許されたものの、そこでの思い出はあまり良いものではない。だから日本の学校や企業で普通にみかけられる、こういった「命令一下で動く人々」に出会うたび、かつての軍隊生活を思い出し、違和感を覚えるのだと思う。
(p.226)ほぼ1年かけて、こうして日本各地を訪ねた結果、僕が足を踏み入れたことのない都道府県はもはやなくなった。もちろん以前にもずいぶんあちこちと回ったけれども、こんなにいろいろな職業の人たちに出会えた旅は初めてだ。そのうえ、彼らの仕事をほんの少しだが自分も体験させてもらえたことは、どんなにお金を払っても手に入らない宝を授かったような気持ちだ。

★『ピーター・フランクルの諸国漫遊記』(増進会出版社、1998)
(p.7)僕が日本で東京以外に住みたい町は二つある。一つは福岡、そしてもう一つは札幌だ。いいまでもなく、冬は福岡、夏は札幌で過ごせたら最高だ。この二つの町は交通の便も良く、訪れてみてとても楽しかったからだ。
(p.36)・・・。番組も最後に毎回、諺をひねって教訓を作っているのだが、この時は「人の振りみてわが振りなおせ」を「蜂の振りみてわが振りなおせ」とした。とかく働きすぎの日本人。蜂を反面教師として、もう少しゆっくりと人生を楽しんでほしい。
(p.60)父は母よりも19歳年上で、長崎を訪れた時も78歳という高齢だったが、その好奇心の旺盛なことは僕にも母にも見劣りがしないものだった。「それは何?」「そこには何と書いてあるの?」と絶えず質問をしていた。父の口癖は、「自分の財産は心と頭だけ」というもので、これは僕の座右の銘にもなっている。医者として働いてきた父は、自分の財産を築こうなどということには無頓着で、家も建てずに、亡くなったのも賃貸住宅だった。
(p.210)この本はZ会で続いている連載の、ほぼ二年分のまとめである。ここ数年、僕は講演会で全国津々浦々回っていて非常に誇りにしていることは、全国47都道府県すべてを4回以上訪れていることである。おそらくこう言える日本人は、そう多くないだろう。

日曜日, 11月 04, 2007

備忘録(2007.11.04)


本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『新ニッポン見聞録2:ニッポンたてヨコ斜め』(WAVE出版、1994年)
・前回借りたものの続編。本書の裏表紙の折込内側カバーに「超多忙のなか、テレビ出演、全国各地での講演会と東奔西走しながら、地元渋谷を中心にジャグリングを(大道芸として)披露」と書かれている。
2)セシル・ベルジュ著『世界の名作シネマを読み直す』(いそっぷ社、2007年7月)
・カラフルかつ簡潔な記述で面白そう。

(2007.11.05 追記)
★ピーター・フランクル『新ニッポン見聞録2:ニッポンたてヨコ斜め』

・ピーター・フランクルの好奇心はつきない。ピーターは人間の創造性や自由を非常に大切にする。したがってピータは、(日本という国家ではなく)日本人を愛しているが、個人の創造性や自由を抑圧する日本の官僚主義や日本の教育のあり方に手厳しい批判を加える。良い方向に、日本人自らが努力して、直していってほしいと切実に思う。
以下少し引用する。
(p.8)・・・。高校、大学が一生を通してつきあえる友人を作る大切な場になるのだ。友人を作るためには一緒に過ごす多くの時間が必要だからだ。日本にとって不利な点は、日本の学校は遅い時間まで授業があって、その後には塾などあって、集団で過ごす時間が多い。僕の考えでは、友人と一緒にいる時間こそ多く必要なのだ。
(p.12)僕は大学時代に、その人が何回自分の家に呼んでくれたかどうかで、本当の友人なのかを計ったことがある。大学だけで話をしたり、映画とかを一緒に見に行ったりしても、家に呼んでくれない人は単なる仲間。
(p.14)ところが最近、日本人の時間にかなりルーズな点に気がついた。確かに、打ち合わせにも取材にもきちんと時間通りに来る。けれどもあらかじめ約束した時間にはなかなか帰らない。・・・。
(p.45)・・・。早く食べると太るし、胃腸にかかる負担も多くなる。日本人の場合、西洋人と比べると胃がんが非常に多いが、理由のひとつに、日本人が急いで食べることにあるのではないだろうか。急いでしかも熱いものをそのまま食べれば、口の中ではそうは感じないかもしれないけど、胃の中は熱いに決まっているのだ。
(p.46)・・・。宗教が違った、生まれた国が違う友人を作れば、それだけで国際人になれる。
(p.82)僕はときどきおもうのは、日本人は普通の国の人よりも風邪をひく人が多い。その理由のひとつは、もしかすると、部屋にあまりヒーティングをかけないからではなかろうかと思う。
(p.164)僕が驚くのは、小学生や中学生はまだしも、高校生や大学生も全然質問しないことだ。私立学校など、親はかなり高い授業料を収めている。つまり、間接的であれ、親は先生を雇っているわけだ。そうであれば、子どもだって親を通してお金を払っているのだから、質問の権利があるとおもう。
(p.202)・・・。しかし、違う場所で講演するからといって、同じことを話すのは嫌で、それぞれに何か新しいことを話したいというのが僕の気持ちである。講演先の希望を取り入れて、毎回内容を工夫して作ろうとすると、さきほど書いたようなテーマが集中する勉強や教育問題について、自らいろいろ考えることになった。