月曜日, 5月 04, 2015

原子力発電推進あるいは許容(原発再稼働)の心理と論理

 (以下は,2015年5月3日にさくらインターネット上に掲載したブログからの転載です。
     http://russell-j.sblo.jp/article/126559588.html

 地震がほとんどないような国や地域においては,原子力発電は有力なエネルギー確保手段であろうが,自然災害(特に大地震)が多い日本のような国においては、大変リスキーなものとなっている。それでも,政財界で現在権力をもっている人達は,原子力は重要なベース電源であり,「世界一の安全基準」のもと、今後も維持していく必要があるとしている。
 しかし,この主張も,福島で起こったことがほかの原発で再度起こり、多数の死者や被害者がでた場合には、原発を擁護した(再開させた)政治家や財界人(電力会社のトップ及び直接の責任者)は死刑または無期懲役になる、ということであれば、そこまで言うのであればと、譲歩する用意はある。しかし,そのような事態が起こったとしても,せいぜい政治の世界から引退したり、役職をしりぞくだけであるならば,つまり厳しい責任をとらないというのであれば、無責任というよりないだろう。

 現在,日本政府は,原発を日本のベース電源として位置づけ,自然エネルギー(22~24%くらい)に続いて2番目の主要電源(20~22%くらいを確保)としている(その心は,22%として同等としたいが、それでも国民の非難が沸き起こるかもしれないので,形だけ自然エネルギー優位にしている?)。
 しかし,個々の原発の再開においては,政府が再開を押し付けたと言われるとこまるので,原子力規制委員会の「厳しい」安全審査のもとに,電力会社が自発的(表向きは国民に安価な電力を供給するため)に停止中の原発の再開させる、という姿勢(=たてまえ)をとっている。ところが,電力会社としては、「国からの要請(国策に協力」ということを全面に押し出しており、事故が起こった場合も国からの全面的な支援や救済を期待している。現政府や原発企業は、「世界一の安全基準」のもとに原子力規制委員会の審査をパスできたのであれば、もしも大地震が起こり大事故が起こったとしても「想定外」として扱うことができると内心考えている。 つまり,原発企業も、国も、原子力規制委員会も、いずれも再び大事故が起こったとしても、自分には第一の責任がないか、あるいは三者の共同責任にすることができると踏んでいる。「国が全面的にバックアップ」するといっても、「国民の血税を使います」、と言っているだけであり,結局は国民全体が責任を引き受けるということにすぎない。

 できるだけ自分の方に「実質的な」責任が及んでこないように,言葉を選んでいるが,原発による大事故が起こり、多くの死者がでた場合には、原発を再開させるのに力を注いた政治家や企業経営者(日頃記録にとどめておきましょう。)は終身刑や無期懲役も十分ありうるということがなく,結局は役職を去るだけ(あるいは政治の世界から引退)ということだけであるならば、誰もまともに向き合うことはないだろう。
 長い間刑務所にはいるといった,厳しい実刑が担保されないかぎり,今後も、無責任な言動しかしないだろう。
 今後、どこで大きな地震が起こるとも限らない(遠い昔に,川内原発のあるところもまで、火砕流が流れた跡があると言われれいる。)日本において原発を維持することは無理であり,「国民に易いの電源を確保するため」,と言い続けるだけの政治家や企業経営者は「不道徳」だと言わざるをえないだろう。
 最後に、気になることを少し列挙しておきます。

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・地表に断層が現れていなくても,地下10~15kmのところに断層があり、それが動くということもあるということ(淡路‥阪神大震災における淡路島の断層?)
・過去200年くらい大きな地震が起こっていない(=実際は記録がないだけ)からと言って安心できないこと。1万年前は中国大陸と日本はつながっており、日本海は大きな湖であったこと、また日本列島全体が東に向かって移動しつつあり,それだけの巨大な力が働いていること。日本列島全体が現在火山活動期に入っているらしいこと(京大の鎌田教授の証言)
・テロによって,運転中の原発が破壊されることがありうること。広島型の原爆であれば、個人がバズーカで発射できるくらいになっていること。いや核兵器などをもちださなくても、強力な爆弾をつんだ小型ロケット(or高性能のドローン!?)をテロリストが原発に打ち込むことはそれほど難しくなさそうである。
・原発維持のかくれた(第一の)目的は防衛のためであり,日本のエネルギー源確保ではなく、原発で生み出される使用済核燃料によって、プルトニュームを確保して、いつでも核兵器をつくれるようにしておくことかもしれない。
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火曜日, 1月 28, 2014

創刊!『(ほぼ日刊)バートランド・ラッセルの言葉366』


l創刊しました! 『(ほぼ日刊)バートランド・ラッセルの言葉366』
http://archive.mag2.com/0001626338/index.htm
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 戦争,虐殺,迫害は,すべて退屈からの逃避の一部(→逃避から生まれたもの)であ
 り,隣人とのけんかさえ,何もないよりはましだと感じられてきた。
 それゆえ退屈は,人類の罪の少なくとも半分は退屈を恐れることに起因しているこ
 とから,モラリスト(道徳家)にとってきわめて重要な問題である。
 (出典:ラッセル『幸福論』第4章「退屈と興奮」
     http://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM
  Wars, pogroms, and persecutions have all been part of the flight from
  boredom; even quarrels with neighbours have been found better than
  nothing. Boredom is therefore a vital problem for the moralist, since
  at least half the sins of mankind are caused by the fear of it.
       The Conquest of Happiness, 1930.
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月曜日, 1月 20, 2014

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』におけるラッセル『幸福論』の「誤読」について

以下は
 http://russell-j.com/cool/kankei-bunken_shokai2014.html#br2014-2
 からの再録です。

 國分功一郎『暇と退屈の倫理学 』(朝日出版社,2011年10月刊.)(2014.1.19)
* 國分功一郎(こくぶん・こういちろう, 1974~ ):早稲田大学政経学部卒,
 東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。高崎経済大学
 経済学部准教授で哲学専攻。

 本書は2011年度の「紀伊國屋じんぶん大賞」を受賞をしており,よく読まれているようです。私も興味深く読むことができました(1度目は速読し,2度目に精読しました)。ただし。ラッセルの著作(ここでは『幸福論』)に関する國分氏の誤解が少なくないように思われます。『暇と退屈の倫理学』の読者も多いことから,その点だけご紹介及びコメントをしておきたいと思います。
 

 國分氏は,本書で,ハイデガーの思想,特に「退屈論」(「形而上学の根本概念」)を主な材料として評価・批判しながら自分の考えを順々に説き,著者が重要だと着眼した<暇と退屈の'倫理学'>について詳細に述べています。
 ハイデッガーの次に引用が多いのは,ラッセル(の著書)からです(特に本書 pp.49-67)。ただし引用は,『幸福論』のみからであり,本書のテーマに直接関係のある,ラッセルの『怠惰への讃歌』からは皆無です。國分氏は,ラッセルの『幸福論』を評価もしていますが,この本の結論から考えれば,重要なのは批判しているところだと思われますので,ここではその部分についてのみとりあげてみます。

 國分氏は,ラッセルの『幸福論』(あるいはラッセル思想や人間性)について,誤解や思い込み(なかには,意図しない?曲解)が少なくないように思われます。
 まず一つ目の誤解(思い込み?)は,ラッセル『幸福論』に出てくる,幸福になるための条件の一つである「熱意」に関する國分氏のコメントです。(ちなみに,國分氏は,p49.で,ラッセルは「ノーベル平和賞を受賞した大知識人」と書いていますが,これはもちろん「ノーベル文学賞」の勘違いです。)

 『暇と退屈の倫理学』の中の該当部分を少し長いですが,抜き出してみます。
(pp.14-30) 序章 「好きなこと」とは何か


(p.14) イギリスの哲学者バートランド・ラッセル(1872-1970)は,一九三〇年に『幸福論』という書物を出版し,そのなかでこんなことを述べた(注:下線は,著者の國分氏が引いたもの)。いまの西欧諸国の若者たちは自分の才能を発揮する機会が得られないために不幸に陥りがちである。それに対し,東洋諸国ではそういうことはない。また共産主義革命が進行中のロシアでは,若者は世界中のどこよりも幸せであろう。なぜならそこには創造するべき新世界があるから・・・。
 ラッセルが言っているのは簡単なことである。
 二〇世紀初頭のヨーロッパでは,すでに多くのことが成し遂げられていた。これから若者たちが苦労してつくり上げねばならない新世界などもはや存在しないように思われた。したがって若者にはあまりやることがない。だから彼らは不幸である。
 それに対し,ロシアや東洋諸国では,まだこれから新しい社会を作っていかねばならないから,若者たちが立ち上がって努力すべき課題が残されている。だからそこでは若者たちは幸福である。
 彼の言うことは分からないではない。使命感に燃えて何かの仕事に打ち込むことはすばらしい。ならば,そのようなすばらしい状況にある人は「幸福」であろう。逆に,そうしたすばらしい状況にいない人々,打ち込むべき仕事をもたぬ人々は「不幸」であるのかもしれない。
 しかし,何かおかしくないだろうか?本当にそれでいいのだろうか?
 ある社会的な不正を正そうと人が立ち上がるのは,その社会をよりよいものに,より豊かなものにするためだ。ならば,社会が実際にそうなったのなら,人は喜ばねばならないはずだ。なのに,ラッセルによればそうではないのだ。人々の努力によって社会がよりよく,より豊かになると,人はやることがなくなって不幸になるというのだ。
 もしラッセルの言うことが正しいのなら,これはなんとばかばかしいことであろうか。人々は社会をより豊かなものにしようと努力してきた。なのにそれが実現したら人は逆に不幸になる。それだったら,社会をより豊かなものにしようと努力する必要などない。社会的不正などそのままにしておけばいい。豊かさなど目指さず,惨めな生活を続けさせておけばいい。なぜと言って,不正をただそうとする営みが実現を見たら,結局人々は不幸になるというのだから。
 なぜこんなことになってしまうのだろうか? 何かおかしいのではないか?
 そう,ラッセルの述べていることは分からないではない。だが,やはり何かおかしい。そして,これをさも当然であるかのごとくに語るラッセルも,やはりどこかおかしいのである。
 ラッセルが主張したように,打ち込むべき仕事を外から与えられない人間は不幸であると主張するなら,この事態はもうどうにもできないことになる。やはり私たちはここで,「何かがおかしい」と思うべきなのだ。
 
 ラッセルは,このようなこと(特に「打ち込むべき仕事を外から与えられない人間は不幸である」といったようなこと)は言っていないことは,先入観なしに『幸福論』を読めば,ほとんどの人が理解する思われますが,國分氏はなぜこのように読んでしまう,あるいは読めてしまうのでしょうか?(注:國分氏が好きなドゥルーズが大胆な解釈のためには「誤読」が必要だと述べているようですが,國分氏も「誤読」を気にしないためでしょうか?)

 次のコメントも同様です。
(p.61) 熱意はおそらく幸福と関連している。だが,ラッセルはそこから「熱意があればよい」「熱意さえあれば幸せである」という結論に至ってしまった。
 実際,ラッセルはこの結論の問題点にも気づいていたようにも思われる。彼は熱意の傾けられる道楽や趣味が,大半の場合は根本的な幸福の源泉でなくて,現実からの逃避になっているとも指摘しているからである。
 しかもラッセルは,本物の熱意とは,忘却をもとめない熱意であるとも述べている。彼は,「熱意」と見なされる現象が,単に現実から眼をそらす逃避や忘却のための「熱意」でありうる可能性にきづいているのだ。・・・。
 「熱意があればよい」「熱意さえあれば幸せである」などと,ラッセル言っていません。また,「(ラッセルも)気づいていたようにも思われる」ではなく,最初から「熱意」は幸福になるための条件の「一つ」だと言っています。
 ラッセルは,幸福になるための積極的条件として,熱意(Zest)だけではなく,愛情(Affection),家族(The family),仕事(Work),及び(外界に対する)非個人的な興味(Impersonal interests)をあげています。また,必要な努力をした後はどうしても達成できないことはあきらめることができること(Effort and resignation)などをあげています。
 (下記のページにラッセル『幸福論』の目次をあげてあります。また,この目次経由で,ラッセル『幸福論』を対訳(松下訳)で全て読むことができますので,参照してみてください。

  http://russell-j.com/beginner/KOFUKU.HTM

 國分氏は,この思い込みのもと,さらに次のように書いています。

(p.62) したがって,当時のヨーロッパの青年たちを,当時のロシアや日本の青年たちと比べるという(ラッセル)の視点そのものが完全にまちがっていると言わねばならない。これは,現代のそれなりに裕福な日本社会を生きる若者を,発展途上国で汗水たらして働く若者たちと比べて,「後者の方が幸せだろう」と言うのに等しい。これはまちがっているどころか,倫理的に問題がある。なぜなら,それは不幸への憧れを生み出すからである。
 不幸に憧れてはならない。したがって,不幸への憧れを作り出す幸福論はまちがっている。<暇と退屈の倫理学>の構想はこの点に大いに注意せねばならない。
 軽い気持ちで,ラッセルが一つの例としてあげた「ロシアの青年の熱意」を針小棒大にとりあげるのはどうでしょうか? ラッセルは,革命直後の(当時の)ロシアの青年は革命に対する熱意から幸福を感じているという「現象面」をとりあげているだけであり(幸福の「質」について客観的評価をしているわけではなく),それ以上でもそれ以下のものでもありません。(因みに,ラッセルは,1920年夏に,英国労働党代表団に随行し,革命直後のロシアを訪問し,帰国後の1922年に The Pracice and Theory of Bolshevism(邦訳書名:『ロシア共産主義』を執筆・出版し、ロシア共産主義に対するするどい批判を行っています。) 國分氏が,独自の<暇と退屈の倫理学>を構築したいのであれば,枝葉末節の記述を拡大解釈したり,針小棒大にとらないように,(國分氏が自ら言っているように)「大いに注意をせねばならない」のではないでしょうか? 

 このように「誤読」が多いと,他の著者の著作の引用・紹介も大丈夫だろうかと思われてきます。
 
 もちろん,ラッセルの書き方にも原因はあります。
 ラッセルの著書は,専門的な本(Aグループとします。)と一般向けの本(Bグループとします。/ popular books)の2つのグループに分けることができます。後者はさらに,教養のある知的な一般読者向けの本(B1グループ/『哲学入門』や『西洋哲学史』など)と,そういった制限があまりない一般読者向けの本(B2グループ/『幸福論』や『教育論』など)にわけることができます。
 ラッセルは,著書の執筆において,「精確」であること(多義的であいまいにならないこと),読者に誤解を生じさせる余地を与えないことを重要と考え,そのためには文章の流麗さを犠牲にすることも気にしませんでした。
 しかし,ラッセルは大学等の定職につくことはあまりなく,主に文筆によって,生計の糧を得て,家族を養っていましたので,B2グループの本の執筆においては,精確さを多少犠牲にして,面白おかしいエピソードやたとえ話をかなり挿入しました(注:既存の組織に定職を持つと言いたいことも言えなくなる恐れがあるため,ラッセルは若い時に,可能な限り,文筆業で生計をたてようと決意をします。ラッセルは貴族で財産がいっぱいあったからではありません。)。そのせいもあり,『結婚論』における「黒人の能力」に関する記述やキリスト「的な」愛(Christian love)の強調等々,たまにではありますが,世界の読者に誤解を与えてしまいました。
 http://russell-j.com/beginner/AB31-220.HTM

 ロシア革命前後においてロシアの青年は「熱意」を持つことができて幸福そうだというラッセルがあげた例 --私もあまり良い例だとは思いませんが-- について,,國分氏が,「(ラッセルが)熱意さえあれば幸福であると言っているのは間違いだ」として論じているのはいただけません。ラッセルの『幸福論』を先入観なしで読めば,「熱意」は,ラッセルがあげている,幸福になるための(有力な)条件の,あくまでも「一つ」であり,よほど不注意な読者でなければ,熱意「さえ」あれば幸福になれる,とは読まないと思われます。なぜそのように読んでしまう(読めてしまう)のでしょうか?

 それに,ラッセルの『幸福論』の原書のタイトル The Conquest of Happiness(幸福の「克服」=幸福は棚からボタ餅のように,努力しないで落ちてくるものではなく,克己努力して勝ち得るものだという意味合いを含んだタイトル)にあるように,不幸の原因について徹底的に分析し,処方箋を提示した後に初めて幸福になるための積極的な条件についてふれる,という構成及びアプローチの仕方をとっていることを充分理解していないのではないか,と言いたくなります。

 ラッセルはこの『幸福論』において,戦争や飢餓状態にあるなど,厳しい外的環境の中にいる人ではなく,一応世間一般の平均的な暮らしができる人々で,日常的な不幸に苦しんでいる人たちが,不幸の原因を知り,克服し,幸福になるための処方箋を書いた,とはっきり書いていることも,よく頭に入れておく必要があります。

 それから,次の記述も気になりました。
(p.188) しかし,(ハンナ・アレントによるマルクスのテキストの改ざんについて)アレントを非難しても仕方がない。問題は,「欠乏と外的有用性によって決定される」という文句がアレントの目に入ってこないということだ。もうこうなると,読み間違いの問題ではない。アレントの欲望の問題である。アレントはマルクスのなかに労働廃棄の思想を読み取りたくて仕方ないのである。
 國分氏の指摘されるとおりかもしれないですが,しかし,これは「両刃の剣」ではないでしょうか?
 即ち,國分氏も,ラッセル『幸福論』の中に,「ラッセルは,熱意さえもてれば人間は幸福になれる」と言っていると「読み取りたくて仕方がなかった」のではないか,と。

 本書(『暇と退屈の倫理学』)の結論のところで,國分氏は次のような批判的なコメントも書いています。
(p.343) ラッセルはこんなことを言っている。「教育は以前,多分に楽しむ能力を訓練することだと考えられていた」。ラッセルがこう述べることの前提にあるのは,楽しむためには準備が不可欠だということ,楽しめるようになるには訓練が必要だということである。・・・。中略・・・。
 「楽しむためには訓練が必要だ」と言うと,どうもハイカルチャーのことが想像されてしまうきらいがある。実際,ラッセルは食のような楽しみのことは考えていない。彼は上の引用文に付け加えて,訓練を必要とする楽しみとは,すなわち,「てんで教養のない人たちには縁のない繊細な楽しみである」と述べている。(こういうところがラッセルという哲学者の限界である。)
 ラッセルは貴族だからという先入観があるのでしょうか?
 ラッセルは単純に,誰でもが素朴に楽しめるもの以外に,訓練や努力によって楽しむことができるようになるものがある,また興味を持てるものが多ければ多いほどその人はより幸福になれる「可能性」が増えると言っているにすぎません。「てんで教養のない人たちには縁のない」などという(國分氏の感情のこもった)表現の中に,偏見や思い込みがプンプン感じられます。


 あと一つだけにしておきます。

 國分氏は,本書の最後で以下のように書いています。ここに書かれている「労働時間の短縮」及び「余暇(時間)の有効活用」は,ラッセル(著)『怠惰への讃歌』における中心的な主張でもあり,本書でひとことも触れられていないのは残念です(國分氏は読んでいないのではないでしょうか!?)。
(p.356) マルクスは「自由の王国」の根本的条件は労働日の短縮であると言っていた。誰もが暇のある生活を享受する「王国」こそが「自由の王国」である。誰もがこの「王国」の根本的な条件にあずかることができる社会が作られねばならない。そして,物を受け取り,楽しむことが贅沢であるのなら,暇の「王国」を作るための第一日は,贅沢のなかからこそ始まるのだ。

 最後に,ラッセル『幸福論』から,関係ありそうなところを少し引用しておきます。
 私の目的は,文明国の大半の人びとが苦しんでいる普通の日常的な不幸に対して,一つの治療法を提案することにある。そういった不幸は,はっきりした外的原因がないため,逃れようがないように思われるために,それだけ耐えがたいものである。私の信じるところでは,こうした不幸は,大部分,間違った世界観,間違った倫理,間違った生活習慣によるものであり,人間であれ動物であれ,結局はその幸福のすべてがよっているところの実現可能な事柄に対する,あの自然な熱意と欲望を(そういった不幸は)打ちくだいてしまうのである。こういうことは,個人の力でなんとかなる事柄である。そこで,私は人並みの幸運さえあれば,幸福が達成できるような(生活の)改変を提案しようと思う。
  http://russell-j.com/beginner/HA11-020.HTM

 私の考えでは,'退屈'は,人間の行動における要因の1つとして,それに値する注意を払われていない(←注目を受けていない)。'退屈'は,有史時代を通じて大きな原動力の一つであったと信ずるが,現代においてもかつて以上にそうである。'退屈'は,人間特有の感情であるように思われる。・・・。 退屈の本質的要素の一つは,現在の状況と,想像せずにはいられない他のもっと快適な状況とを対比することにある。・・・。
 '退屈'は,本質的には,事件を望む気持ちのくじかれた状態をいい,事件は必ずしも愉快なものでなくてもよく,'倦怠の犠牲者'にとっては,今日と昨日を区別してくれるような事件であればよい。退屈の反対は,ひと言で言えば,快楽ではなく興奮である。・・・。
 http://russell-j.com/beginner/HA14-010.HTM

 戦争,虐殺,迫害は,すべて退屈からの逃避の一部(→逃避から生まれたもの)であり,隣人とのけんかさえ,何もないよりはましだと感じられてきた(←経験して知る)。それゆえ退屈は,人類の罪の少なくとも半分は退屈を恐れることに起因していることから,モラリスト(道徳家)にとってきわめて重要な問題である。
 http://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM

 多少とも単調な生活に耐える能力は,幼少期に獲得されるべきものである。この点で,現代の親たちは大いに責任がある。・・・。
 私は,単調さそのものに独自のメリットがあると主張しているわけではない。私はただ,ある種の良いものは,ある程度の単調さのあるところでなければ可能ではない,と言っているにすぎない。・・・。 退屈に耐えられない世代は,小人物の世代,即ち,自然のゆったりした過程から不当に切り離され,生き生きとした衝動が,花びんに生けられた切り花のように徐々にしなびていく世代となるだろう。
  http://russell-j.com/beginner/HA14-060.HTM

 現代の都市に住む人びとが苦しんでいる特別な種類の退屈は,彼らが「大地」の生から切り離されていることと密接に結びついている。そのことによって,生活は,砂漢の中の(孤独な)巡礼のように,暑く,ほこりっぼく,のどのかわくものになっている。自分のライフスタイルを選択できるほど裕福な人々の間において,特に彼らが苦しんでいる耐え難い退屈は,逆説的であるように思われるかもしれないが,退屈への恐れにその原因がある。実りある退屈から逃げることで,別の,より悪い種類の退屈の餌食になってしまう。幸福な生活は,大部分,静かな生活でなければならない。なぜなら,真の喜びは,静かな雰囲気の中でのみ,生きながらえることができるからである。
 http://russell-j.com/beginner/HA14-070.HTM

 しかしながら,(一時的な)流行追求や趣味は,多くの場合,多分大部分,根本的な幸福の源泉ではなく,現実からの逃避のための手段になっている。即ち,直視するには大きすぎる苦痛を当面の間忘れるための手段になっている。根本的な幸福は,ほかの何にもまして,人(間)や事物に対する'友好的'な関心とも言うべきものに依存しているのである。
 http://russell-j.com/beginner/HA21-060.HTM


 '幸福な人'とは,(できるだけ先入観を持たず)客観的に生き,自由な愛情と幅広い興味を持ち,またそういう興味と愛情を通して,今度は逆に,他の多くの人びとの興味と愛情の対象になるという事実を通して,自らの幸福を確保する人である。愛情の受け手になることは,幸福になるための有力な原因である。しかし,'愛情を要求する人'は,'愛情が与えられる人'ではない。愛情を受ける人は,大まかに言えば,愛情を与える人である。しかし,利子付きで金を貸すようなやり方で,愛情を打算で(計算づくで)与えようとすることは無益である。なぜなら,計算づくの愛情は本物ではないし,受け手からも本物とは思われないからである。
 http://russell-j.com/beginner/HA28-010.HTM

月曜日, 1月 13, 2014

「ゲーテの言葉」なのに「ラッセルの言葉」とされているもの

 本日,次の言葉が某ブログで「ラッセルの言葉だとして紹介しているのを見つけました。

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 http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/2f05bd352c449c2b1033ee0d0939872a
 HE CHIEF CAUSE OF FAILURE AND UNHAPPINESS IS TRADING WHAT WE WANT MOST    FOR WHAT WE WANT IN THE MOMENT
  BERTRAND RUSSELL
 失敗や不幸の主たる原因。それは我々が本当にしたい事の代わりに、今したい事を(刹那的に) 選んでしまう事にある。バートランド・ラッセル(編集長訳)
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 しかし,ラッセルの『幸福論』にもこの言葉はないことから,調べてみたら,「ゲーテの言葉」(ドイツ語を英訳したもの)であることがわかりました。

 Google で検索すると Bertrand Russell の言葉として紹介しているものが多数ありますが,違いますので、ご注意ください。

日曜日, 12月 08, 2013

安倍さん,「権力者不都合情報保護法案」の成立おめでとうございます!

安倍さん,石原前都知事,「権力者不都合情報保護法案」の成立おめでとうございます。猪瀬都知事,法案の成立がもう少し早ければよかったですね。
Twitter から
安倍さん,石原前都知事,「権力者不都合情報保護法案」の成立おめでとうございます。猪瀬都知事,法案の成立がもう少し早ければよかったですね。多分あなたは失職しそうです。・・・。
権力者(支配層)の不都合情報は,この特定秘密保護法案(別名「権力者不都合情報保護法案「)が守ってくれます。だって,権力者に関する秘密は国家秘密といえるものですから・・・。
特定秘密保護法案の別称として,「権力者不都合情報保護法案」,「権力者不都合情報アクセス禁止法」「同・不都合情報アクセス者関係情報収集許可法案」という言葉を流行らせましょう
安倍さんは,国家にとって秘匿すべき重要な特定秘密(約40万件!)を守るだけと言っていますが,その仕事をする官僚や公安警察は,そんなにあまりものではないですよ。安倍さんも知ってるはずですが・・・。
「あまりもの」ではなく,「甘いものではない」でしたね。官僚は,来週からせっせと,特定秘密だけでなく,準特的国家機密指定の検討に入っていくと思われます。それだけでなく,情報セキュリティ(情報管理)の観点から,地位や立場によりアクセス可能な情報の仕分けも進んでいきます。
結局は,「由らしむべし知らしむべからず」ということですね。マスコミの取材を受けて,一般市民で「いや,必要だと思いますよ。会社だって,秘密事項がありますなんて答えている,勘違いな人がけっこういます。
政府が暴走しても,次の選挙までなんにもできないのでは困ります。自民党を支持した人も,特定秘密保護法案を指示した人は少ないはずですが・・・?
まあこれくらいにしておきます。弱者の遠吠えでしょうから・・・。警察国家や監視社会になってほしくないですが,権力者におべっかを使う人間(おこぼれを頂戴しようとする人間)は少なくないですから・・・。オーウェルの「素晴らしき新世界」の実現です。原発も兵器も世界中jに売れば景気はよくなり・・・

土曜日, 11月 30, 2013

『ラッセル自伝』の邦訳の見直し


 もう11月下旬ということで,今年もあとわずかですが,今年の秋までにやろうと思
っていたことでまだできていない(多分今年中にできないだろう)ことがいくつか
あります。年月がたつのは本当に早いと感じます。少年老い易く学成り難し・・・。
少年ではないですが・・・。

 ここのところ,ポータルサイトに掲載している『ラッセル自伝』の邦訳を見なおし
ていますが,昨日,下記のページまで来ました。
 http://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTMhttp://russell-j.com/beginner/AB17-040.HTM
 このページの以下の部分は,誤訳の可能性がありますが,精確にどう読むべきか,
文法的にどのように解釈すべきが,自信がありません。

  The three days and nights that I spent at Studland remain in my memory
  as among the few moments when life seemed all that it might be, but hardly
   ever is.

  (よくわからないのは,「when life seemed all that it might be」の部分です。
 とりあえず,次のように訳してあります。

   私がスタッドランドで(オットリンとともに)過ごした3日3晩は,人生が
   およそ可能なかぎり素晴らしいものであるように思われた貴重なひとときの
   一つとして,私の記億に残っている。実際は,人生はその可能性の全てを開花
   させることなどめったにないのだが。
 
 これについては,ラッセルのポータルサイト用の掲示板で,複数の人にご意見をもら
いました。
 http://russell-j.com/cool/EBBS-06.HTM
 しかし,まだすっきりしていません。「もっともらしい訳」をつけることはできます
が,文法的にも明確な理解をしたいと思っています。
 おわかりの方は,掲示板に書いていただくか,matusitaster@gmail.com 宛にご教授
くだされば幸いです。(松下彰良)

金曜日, 8月 09, 2013

戦争の廃絶と国家主権の制限(ラッセル=アインシュタイン宣言の精神)

 バートランド・ラッセルのポータルサイトのトップページの「ラッセルの言葉」を更新しました。  「核戦争の危険を除去するためには,戦争の廃絶をしなければならない。そのためには,「交戦権」という国家主権を制限し,世界連邦政府を樹立する以外にない」というのがラッセル及びアインシュタインの信念でした。それは,ラッセル=アインシュタイン宣言の精神でもあり,宣言に明確に書かれています。しかし日本では,集団的自衛権を機能・保障させることを目的に,交戦権を認めるように憲法改正をしようとする動きが強まっており,その考え方を国民に浸透させるための愛国心教育や歴史教育が強調され・・・。  http://russell-j.com/index.htm

土曜日, 6月 22, 2013

編集後記(バートランド・ラッセルに関するメルマガn.332)

 http://archive.mag2.com/0000220241/20130622091753000.htm  から転載  今回「R落穂拾い-中級篇」でご紹介した),ハーバート・A・サイモン(著)『学者 人生のモデル』に収められているサイモンのラッセル宛の手紙は、『拝啓バートラ ンド・ラッセル様ー市民との往復書簡集,宗教からセックスまで』(講談社,1970)に も,「プリンキピア・マテマティカ対コンピュータ」と見出しがつけられて収録され ています。  http://russell-j.com/beginner/DBR-INFO.HTM  「プリンキピア・マテマティカ」のなかのある定理をコンピュータ(「ロジック セオリスト」というプログラム=人口知能)は,「その証明(法)をみつけるのに5分 もかかりませんでした。」ということで,サイモンは,これらの事実を,「生徒に知ら せるべきかどうか私にはよくわかりません。」とおどけてみせ,すぐに「あなたはま た,博識な人間と賢者とは,必ずしも同一ではないということを示している我々のこの 論文の証拠に興味をもたれることと思います。」としっかりフォローしています。  これに対しラッセルも,「(あなたの)コンピュータのほうがホワイトヘッドや私よ りも優れているという実例を示してくださり,うれしく思います。」と論文を送って くれたことに感謝しつつ,「コンピュータのほうが生徒よりずっと立派に計算できる ということを彼らが知ったら,生徒たちが計算の仕方を学ぶことをどうして期待でき るでしょうか。」とうまく返しています。  また,あわせてこのロジック・セオリストの成果をラッセル以外の有名な論理学者 に知らせたところ,人工知能(コンピュータ・プログラム)の重要性,将来性,発展性 に想いをいたすことができずに冷たい反応をしめしたことにサイモンは失望し,それ も「博識な人間と賢者とは,必ずしも同一ではない」という格言を支持する別の具体 例であると揶揄しています。  「新しく起こりつつある学問に対する理解力・想像力」は,各分野のトップランナ ーであっても(いやその分野の研究に自信のあるトップランナーであるからこそ?) それほどない場合が多いという,歴史的教訓とも言えるかも知れません。  原子力を研究している様々な科学者がいますが,特に原発関係者は新エネルギーに 対する原発の優位性を過大に評価している(また再生可能エネルギーの研究・開発に は時間がかなりかかると考えて引き続き自分たちの勢力を保とうとする)人が多いよ うに思われます。  ラッセルの言葉(1958年8月8日にBBCでの発言)から一つ。 「科学が教会の迫害を受けた時代の科学者達は寛大で進歩的であった。(これに  対し)現代にあっては、科学者は名誉に包まれ、広く尊敬を受けており、彼ら  は通常'体制擁護'に回りがちである。」     In the days when science was persecuted by the Church, men of science were  liberal and progressive; nowadays, when they ae covered with honours and  universally respected, they tend to be supports of the satus quo.    (松下彰良)

日曜日, 9月 18, 2011

さん・だんぢめ Sand & Gem: ラッセルの幸福論を憶い出した午後

さん・だんぢめ Sand & Gem: ラッセルの幸福論を憶い出した午後: 世の中は3連休らしい。僕らの仕事はカレンダー通りで今日は半ドン。お隣の 「やぶ茂」 さんで昼ご飯を食べてから、午後はオフィスに籠って、しこしこと8月上旬から溜まりに溜まったペーパーワークをする事にした。先送り&「何とかなるでしょ」的逃避行動で無理矢理無視していたけれど、さすがに切...

月曜日, 9月 20, 2010

ラッセル:格言・名言(n.023)



通常の人間性の特徴の中で、'ねたみ'が最も不幸なものである。'ねたみ'深い人は、他人に災いを与えたいと思い、とがめられることなく(罰を受けることなく)できるときにはいつでもそうするだけでなく、'ねたみ'によって、自分自身をも不幸にする。('ねたみ'深い人は自分が持っているものから喜びを引き出すかわりに、他人が持っているものから苦しみを引き出す。
Of all the characteristics of ordinary human nature envy is the most unfortunate; not only does the envious person wish to inflict misfortune and do so whenever he can with impunity, but he is also himself rendered unhappy by envy. Instead of deriving pleasure from what he has, he derives pain from what others have.
http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA16-030.HTM

金曜日, 8月 27, 2010

ラッセル格言・名言(n022)



疲労の原因は、非常に多くの場合、'興奮を好むこと'にある。余暇を睡眠に費やせるならば、人間はいつも健康を保てるだろう。働いている時間は退屈なため、自由時間には娯楽の必要を感じる。困ったことに、最も手に入れやすく、表面的に最も魅力的な娯楽は、大部分、神経を消耗する種類のものである。
http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA15-080.HTM
A very frequent source of fatigue is love of excitement. If a man could spend his leisure in sleep, he would keep fit, but his working hours are dreary, and he feels the need of pleasure during his hours of freedom. The trouble is that the pleasures which are easiest to obtain and most superficially attractive are mostly of a sort to wear out the nerves.

水曜日, 8月 25, 2010

ラッセル格言・名言(n021.)



何らかの災難が迫ってきたときには、起こる可能性のある最悪の事態はどのようなものか、真摯かつ慎重に考えてみるとよい。起こりうる災難を直視した後は、それは結局、それほど恐ろしい災難ではないだろうとみなすに足る、しっかりした理由を見つけるとよい。そのような理由は、常に存在している。なぜなら、最悪の場合でも、人間に起こることは、宇宙的な重要性を持つものは一つもないからである。しばらく最悪の可能性をしっかり見すえ、真に確信をもって、「いや、結局、それはそれほど重要なことではないだろう」と、自分自身に言いきかせたとき、あなたは自分の心配事がまったく驚くほど減っていることに気づくだろう。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA15-050.HTM
When some misfortune threatens, consider seriously and deliberately what is the very worst that could possibly happen. Having looked this possible misfortune in the face, give yourself sound reasons for thinking that after all it would be no such very terrible disaster. Such reasons always exist, since at the worst nothing that happens to oneself has any cosmic importance. When you have looked for some time steadily at the worst possibility and have said to yourself with real conviction, 'Well, after all, that would not matter so very much', you will find that your worry diminishes to a quite extraordinary extent.

火曜日, 8月 24, 2010

ラッセル格言・名言(n.020)



たとえば、私があるかなり難しい話題について書かなければならないとした場合、最良の方法は、その話題について、非常に強烈に、自分に可能なかぎりの最大級の強度(集中力)をもって数時間ないし数日間考え、その期間の最後に、いわば、この作業を地下で続行せよと命令する、というやり方である。何ケ月か経過してから、その話題に意識的に立ち返ってみると、その作業はすでに終わっているのを発見する。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA15-050.HTM
I have found, for example, that if I have to write upon some rather difficult topic the best plan is to think about it with very great intensity - the greatest intensity of which I am capable - for a few hours or days, and at the end of that time give orders, so to speak, that the work is to proceed underground. After some months I return consciously to the topic and find that the work has been done.

月曜日, 8月 23, 2010

ラッセル格言・名言(n.019)



情緒的な疲労のやっかいな点は、休息を妨げるということだ。人は疲れれば疲れるほど、仕事をやめることができなくなる。神経衰弱が近づいた徴候の一つは、自分の仕事は非常に重要であり、休暇をとったりすれば種々の災難をもたらすことになる、と思いこむことである。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA15-040.HTM
The trouble with emotional fatigue is that it interferes with rest. The more tired a man becomes, the more impossible he finds it to stop. One of the symptoms of approaching nervous breakdown is the belief that one's work is terribly important, and that to take a holiday would bring all kinds of disaster.

日曜日, 8月 22, 2010

ラッセル:格言・名言(n.018)



その人の生涯の幸福に終止符を打つにちがいないと思われるような'悩みごと'も、時がたつにつれ色あせてゆき、ついには、その痛切さを思い出すことさえほとんどできなくなる。しかし、さらにこうした自己中心的な考えに加うるに、(各個人の)自我など全然世界の大きな部分ではない、という事実がある。自己を超越するものに思考と希望を集中できる人は、人生の普通の悩みごとの中に、全くのエゴイストには望めない、ある種の安らぎを見いだすことができる。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA15-030.HTM
Even great sorrows can be survived; troubles which seem as if they must put an end to happiness for life fade with the lapse of time until it becomes almost impossible to remembcr their poignancy. But over and above these self-centred considerations is the fact that one's ego is no very large part of the world. The man who can centre his thoughts and hopes upon something transcending self can find a certain peace in the ordinary troubles of life which is impossible to the pure egoist.

水曜日, 8月 11, 2010

ラッセル格言・名言(n.0017)



きちんとした精神を養うことで、どれほど幸福と効率が増すかは、驚くほどである。きちんとした精神は、ある事柄について24時間不十分に考えるのでなく、考えるべき時に十分に考える。困難な、あるいはやっかいな結論を出さなければならない時には、すべてのデータが集まり次第、その問題について十分に考え抜いた上、決断を下すとよい。決断した以上は、何か新しい事実が出てきた場合を除いて、修正してはならない。優柔不断くらい心身を疲れさせるものはないし、不毛なものはない。 (『ラッセル幸福論』第5章「疲労」から)
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA15-020.HTM
It is amazing how much both happiness and efficiency can be increased by the cultivation of an orderly mind, which thinks about a matter adequately at the right time rather than inadequately at all times. When a difficult or worrying decision has to be reached, as soon as all the data are available, give the matter your best thought and make your decision; having made the decision, do not revise it unless some new fact comes to your kuowledge. Nothing is so exhausthg as indecision, and nothing is so futile.

ラッセル格言・名言(n.0016)



自分のライフスタイルを選択できるほど裕福な人々の間において、特に彼らが苦しんでいる耐え難い退屈は、逆説的であるように思われるかもしれないが、退屈への恐れにその原因がある。実りある退屈から逃げることで、別の、より悪い種類の退屈の餌食になってしまう。幸福な生活は、大部分、静かな生活でなければならない。なぜなら、真の喜びは、静かな雰囲気の中でのみ、生きながらえることができるからである。(『ラッセル幸福論』第4章「退屈と興奮」から)  
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA14-070.HTM
Among those who are rich enough to choose their way of life, the particular brand of unendurable boredom from which they sufier is due, paradoxical as this may seem, to their fear of boredom. In flying from the fructifying kind of boredom, they fall a prey to the other far worse kind. A happy life must be to a great extent a quiet life, for it is only in an atmosphere of quiet that true joy can live.

水曜日, 7月 28, 2010

ラッセル格言・名言(n.0015)



何らかの真面目かつ建設的な目的を持っている青少年は、目的の達成の途上で必要だとわかれば、自主的に多くの退屈に耐えるだろう。だが、建設的な目的は、娯楽と浪費の生活を送っている少年の精神の中では、容易には芽ばえない。なぜなら、そのような場合は、考えがつねに次の快楽に向いており、遠くにある目的達成には向かわないからだ。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA14-060.HTM
A boy or young man who has some serious constructive purpose will endure voluntarily a great deal of boredom if he finds that it is necessary by the way. But constructive purposes do not easily form themselves in a boy's mind if he is living a life of distractions and dissipations, for in that case his thoughts will always be directed towards the next pleasure rather than towards the distant achievement.

月曜日, 7月 26, 2010

ラッセル格言・名言(n.0014)



多少とも単調な生活に耐える能力は、幼少期に獲得されるべきものである。この点で、現代の親たちは大いに責任がある。・・・。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA14-060.HTM
(The capacity to endure a more or less monotonous life is one which should be acquired in childhood. Modern parents are greatly to blame in this respect; they provide their children with far too many passive amusements, such as shows and good things to eat, and they do not realise the importance to a child of having one day like another, except, of course, for somewhat rare occasions.)

日曜日, 7月 25, 2010

備忘録(2010.7.25)



本日西川口駅前のBOOK-OFFで購入したもの(105円×5冊)

1)加藤節雄『素顔のイギリス』(英友社,1989年)
 ・加藤氏は早大政経新聞学科卒のカメラマン(本書は写真中心)
2)養老孟司『涼しい脳味噌』(文春文庫よ-14-1,1995年)
3)養老孟司『続・涼しい脳味噌』(文藝春秋,1995年/こちらは単行本)
4)堺屋太一『「わがまま」のすすめ』(東京書籍,2004年)
5)外山滋比古『ことわざのこころ』(チクマ秀版社,1999年)

ラッセル格言・名言(n.0013)



全体的に言えることは、静かな生活が偉大な人びとの特徴であり、彼らの快楽はそと目には刺激的なものではなかった、ということである。偉大な事業は、粘り強い活動なしには達成されるものではなく、そういう活動(仕事)は、あまりにも注意を奪い、またあまりにも困難であるので、精力を必要とするような娯楽をするためのエネルギーはほとんど残らないのである。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA14-050.HTM
(Altogether it will be found that a quiet life is characteristic of great men, and that their pleasures have not been of the sort that would look exciting to the outward eye. No great achievement is possible without persistent work, so absorbing and so difficult that little energy is left over for the more strenuous kinds of amusement, ...)

金曜日, 7月 23, 2010

ラッセル格言・名言(n.0012)



過剰に興奮に満ちた生活は、心身を消耗させる生活であり、そこでは、快楽の必須の部分と考えられるようになったスリルを得る(←与える)ために、絶えずより強い刺激が必要となる。過度の興奮に慣れた人は、胡椒(コショウ)を病的にほしがる人に似ており、そのような人は、ついには、ほかの人なら誰でも窒息しそうなほど多量の胡椒でさえ味がわからなくなる。・・・。退屈に耐える力をある程度持っていることは、幸福な生活にとって不可欠であり、若い人たちに教えられるべき事柄の一つである。
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA14-040.HTM
A life too full of excitement is an exhausting life, in which continually stronger stimuli are needed to give the thrill that has come to be thought an essential part of pleasure. A person accustomed to too much excitement is like a person with a morbid craving for pepper, who comes last to be unable even to taste a quantity of pepper which would cause anyone else to choke. ... A certain power of enduring boredom is therefore essential to a happy life, and is one of the things that ought to be taught to the young

金曜日, 7月 16, 2010

ラッセル格言・名言(n.011)



 戦争、虐殺、迫害は、すべて退屈からの逃避の一部(→逃避から生まれたもの)であり、隣人とのけんかさえ、何もないよりはましだということが見出されてきた。それゆえ退屈は、人類の罪の少なくとも半分は、退屈を恐れることに起因していることから、モラリスト(道徳家)にとってきわめて重要な問題である。
(出典:『ラッセル幸福論』第4章「退屈と興奮」) http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA14-030.HTM
Wars, pogroms, and persecutions have all been part of the flight from boredom; even quarels with neighbours have been found better than nothing. Boredom is therefore a vital problem for the moralist, since at least half the sins of mankind are caused by the fear of it.

木曜日, 7月 15, 2010

ラッセル格言・名言(n.010)



'退屈'は、本質的には、事件を望む気持ちのくじかれた状態をいい、事件は必ずしも愉快なものでなくてもよく、'倦怠の犠牲者'にとっては、今日と昨日を区別してくれるような事件であればよい。退屈の反対は、ひと言で言えば、快楽ではなく興奮である。(出典:『ラッセル幸福論』第4章「退屈と興奮」)
http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA14-010.HTM
Boredom is essentially a thwarted desire for events, not necessarily pleasant ones, but just occurrences such as will enable the victim of ennui to know one day from another. The opposite of boredom, in a word, is not pleasure, but excitement.

水曜日, 7月 14, 2010

ラッセル格言・名言(n.009)



 退屈の本質的要素の一つは、現在の状況と、想像せずにはいられない他のもっと快適な状況とを対比することにある。また、自分の能力を十分に発揮できない(状態にある)ということも、退屈の本質的要素の一つである。(出典:『ラッセル幸福論』第4章「退屈と興奮」)
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA14-010.HTM 
One of the essentials of boredom consists in the contrast between present circumstances and some other more agreeable circumstances which force themselves irresistibly upon the imagination. It is also one of the essentials of boredom that one's faculties must not be fully occupied.

日曜日, 7月 11, 2010

ラッセル格言・名言(n.008)



競争の哲学'によって毒されているのは、仕事だけではない。余暇も、同じように毒されている。静かで、神経(の疲労)を回復してくれるような余暇は、退屈なものと感じられる。競争は絶えず加速される運命にあるため、その当然の結末は、薬物(依存)であり、衰弱(気力喪失)である。(出典:『ラッセル幸福論』第3章「競争」)
http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA13-060.HTM)
(It is not only work that is poisoned by the philosophy of competition; leisure is poisoned just as much. The kind of leisure which is quiet and restoring to the nerves comes to be felt boring. There is bound to be a continual acceleration of which the natural termination would be drugs and collapse.)

木曜日, 7月 08, 2010

一般読書(ラッセル関係以外)n.002



★本日読み終わった本
斎藤孝『三色ボールペン情報活用術』(角川oneテーマ21,2003年)
・多作で著書を粗製乱造しているように見えそうだが、本書は納得の1冊。
赤、青、緑(黒、赤、青、緑の4色にあらず)の3色ボールペンを使って、情報を仕分けしていくことの効果が予想以上にあることを納得させてくれる。赤は最重要、青はそこそこ重要、緑は重要でないかもしれないが、自分にとっては気になる情報につける色。緑は、赤や青の情報がしっかりあってはじめていきてくる情報ではあるが、創造性を発揮するには緑が一番重要である。
・斎藤孝『三色ボールペンで読む日本語』はベストセラーになったとのことで、とりあえずインターネット経由で地元の図書館に予約をしてみたが・・・。


水曜日, 7月 07, 2010

ラッセル格言・名言(n.007)



(私が主張したいのは、)成功は幸福(になるため)の一つの要素にしかなりえず、成功を得るために他の要素がすべて犠牲にされたとすれば、あまりにも高い代価を支払って手に入れたことになる、(ということである。)(出典:『ラッセル幸福論』第1部第3章「競争」)
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA13-040.HTM
(What I do maintain is that) success can only be one ingredient in happiness, and is too
dearly porchased if all the other ingredients have been sacrificed to obtain it.

月曜日, 7月 05, 2010

一般読書(ラッセル関係以外)n.001



★本日読み終わった本
養老孟司『死の壁』(新潮新書,2004年4月)
・『バカの壁』はベストセラーになったが、多分こちらはそれほど売れていないだろう。本書は養老氏が口述したものを、新潮社の編集者が筆耕し、1冊の本にまとめたもの。
・「死体」には、一人称の死体、二人称の死体、三人称の死体があり、区別して考える必要があるという指摘は面白い。(この中で、「一人称の死体」は、自分で経験できないので、原理的にありえない。)

★昨日読み終わった本
『チャップリン自伝』(上下2巻)(新潮文庫)
・(故)中野好夫氏の訳ということで、安心して読み通した。下巻のほうは約600ページもあり、読みでがあった。ラッセルとの接点が少しはあるのではないかと思ったが、この自伝を読む限りなさそうである。いずれにせよ、チャップリンの映画を視聴するにあたっては、自伝は非常に役にたつ。

土曜日, 7月 03, 2010

Bertrand Russell - House of Lords Speech on the Atomic Bomb 1945 (2/2)

YouTubeから
Bertrand Russell - House of Lords Speech on the Atomic Bomb 1945 (2/2)
1945年12月、ラッセルの英国上院での演説(その2)



Bertrand Russell - House of Lords Speech on the Atomic Bomb 1945

YouTubeから
Bertrand Russell - House of Lords Speech on the Atomic Bomb 1945 (1/2)
1945年12月、ラッセルの英国上院での演説(ただしラッセルの肉声ではない)
日本語のテキスト:http://russell.cool.ne.jp/SP194511.HTM



木曜日, 7月 01, 2010

ラッセル格言・名言(n.006)



アメリカの社会的階層は、段階が不明確で、絶えず変動している。その結果、社会的な序列が固定化しているところよりも俗物根性がおさまらない(血が騒ぐ)ことになる。(出典:『ラッセル幸福論』第3章「競争」)
The social scale in America is indefinite and continually fluctuating.
Consequently all the snobbish emotions become more restless than they
are where the social order is fixed.

水曜日, 6月 30, 2010

ラッセル格言・名言(n.005)



 人びとが生存競争という言葉で意味しているのは、実際は、成功のための競争にほかならない。この競争に参加しているとき、人びとが恐れているのは、明日の朝食にありつけないのではないか、ということではなくて、隣人に勝る(勝つ)ことができないのではないか、ということである。
(出典:『ラッセル幸福論』第3章「競争))
What people fear when they engage in the struggle is not that they will fail to get their breakfast next morning, but that they will fail to outshine their neighbours.

火曜日, 6月 29, 2010

ラッセル格言・名言(n.004)



 将来に期待して、現在の意味はすべて未来の(もたらすものの)中にある、と考える習憤は、有害(な習慣)である。(なぜなら)部分に価値があるのでなければ、全体に(も)価値はありえない。人生は、ヒーローとヒロインが、信じられないような不運(逆境)を乗り越え、最後にはハッピーエンドで報われる、といったメロドラマの類推で思い描かれるべきではない。(出典:『ラッセル幸福論』第2章「バイロン風の不幸」)
(The habit of looking to the future and thinking that the whole meaning of the present lies in what it will bring forth is a pernicious one. There can be no value in the whole unless there is value in the parts. Life is not to be conceived on the analogy of a melodrama in which the hero and heroine go through incredible misfortunes for which they are compensated by a happy ending. )
 http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA12-030.HTM

月曜日, 6月 28, 2010

ラッセル格言・名言(n.003)



 自分の不幸を大まじめに自分の世界観のせいにする人びとは、本末を転倒している、と私は固く信じている。真実は、彼らは自分では気づいていない何か別の理由で不幸なのであり、この不幸のために、自分が住んでいる世界のあまり気に入らない特徴についてくよくよ考えるようになるのである。 (出典:『ラッセル幸福論』第2章「バイロン風の不幸」)
I am persuaded that those who quite sincerely attribute their sorrows to their views about the universe are putting the cart before the horse: the truth is that they are unhappy for some reason of which they are not aware, and this unhappiness leads them to dwell upon the less agreeable characteristics of the world in which they live.
 
 中島義道の本

日曜日, 6月 27, 2010

ラッセル格言・名言(n.002)



 (たとえば)泥酔は、一時的な自殺(行為)であり、酒のもたらす幸福は、単に消極的な、不幸の一瞬の休止にすぎない。(出典:『ラッセル幸福論』第1章「不幸の原因」)
Drunkenness, for example, is temporary suicide; the happiness that it brings is merely negative, a momentary cessation of unhappiuess.

・お酒の好きな人にとっては、ラッセルのこの言葉は納得いかないだろうと思われます。ラッセル自身も、たまにスコッチウィスキー(レッド・ハックル)を飲んでいますが、論理を徹底的に追求する哲学者・論理学者にとっては、アルコールで思考を中断することは「ご法度」だということも理解できるのではないでしょうか?

土曜日, 6月 26, 2010

ラッセル:格言・名言(n.001)




(テスト)
石原慎太郎、**ヨットスクールの校長戸塚某、・・・
バートランド・ラッセルのポータルサイト応援ショップ
 残酷さや恐怖に包まれた(を伴った)教育はよくないが、こういう感情の奴隷(虜)になっている人たちは、そのような教育以外のものを与えることはできない。(出典:『ラッセル幸福論』第1章「不幸の原因」)
(Education in cruelty and fear is bad, but no other kind can be given by those who are themselves the slaves of these passions.)
  http://russell.cool.ne.jp/beginner/HA11-020.HTM




金曜日, 6月 25, 2010

『ラッセル幸福論』から(n.004)

どのような議論があるにせよ、理性は幸福を禁止するものではないということを、私は読者に納得させたい。いや、それどころか、自分の不幸を大まじめに自分の世界観のせいにする人びとは、本末を転倒している、と私は固く信じている。真実は、彼らは自分では気づいていない何か別の理由で不幸なのであり、この不幸のために、自分が住んでいる世界のあまり気に入らない特徴についてくよくよ考えるようになるのである。
(I wish to persuade the reader that, whatever the arguments may be, reason lays no embargo upon happiness; nay, more, I am persuaded that those who quite sincerely attribute their sorrows to their views about the universe are putting the cart before the horse: the truth is that they are unhappy for some reason of which they are not aware, and this unhappiness leads them to dwell upon the less agreeable characteristics of the world in which they live. )

木曜日, 6月 24, 2010

『ラッセル教育論』から(n.001)






 私がこれから言おうとすることは、自分自身の子供のことでいろいろ思い悩んだ末に得られた結果である。それゆえ、それは、現実離れしたものでも、思弁的(理論倒れ)なものでもなく、私の結論に賛成であれ反対であれ(いずれであっても)、同様の悩みをもっている他の親たちの考えを明確にするのに役立つだろう、と思う。
(What I have to say is the outcome of perplexities in regard to my own children; it is therefore hot remote or theoretical, and may, I hope, help to clarify the thoughts of other parents faced with a like perplexity, whether in the way of agreement with my conclusions or the opposite. )

水曜日, 6月 23, 2010

『ラッセル自伝』から(n.003)





 父と母は亡くなっていたので、私はよく両親はどんな人たちだったろうかと思いめぐらしたものである。孤独の中私は、一人でしばしば庭を歩きまわり、交互に、鳥の卵を集めたり、どんどん過ぎ去ってゆく時間について瞑想したりした。もし自分自身の思い出(記憶)をもとに判断してよければ、幼少時代の重要で人格を形成する印象(感銘)は、子供らしく何かに夢中になっている最中のほんの一瞬だけ意識にのぼってくるにすぎないし、またそれは決して大人には話さないものである。どんなことでも外部から強いられてするということはない(漫然といろいろなものを観察する)幼少時代は、若い時代のうちでも重要な時期であると私は思う。なぜなら、その時期は、こうした見た目には一瞬であるが、しかし実は(生涯消えることのない)必要不可欠な印象を形成する時間を与えるからである。
(My father and mother were dead, and I used to wonder what sort of people had been. In solitude I used to wander about the garden, alternately collecting birds' eggs and meditating on the flight of time. If I may judge by my own recollections, the important and formative impressions of childhood rise to consciousness only in fugitive moments in the midst of childish occupations, and are never mentioned to adults. I think periods of browsing during which no occupation is imposed from without are important in youth because they give time for the formation of these apparently fugitive but really vital impressions.)
 ★詩人谷川俊太郎と孤独

『ラッセル幸福論』から(n.003)





 対外的興味・関心は、いかなるものでも全て何らかの活動を刺激・促進し、(また)それらの興味が消えないかぎり、倦怠(感)を完全に予防してくれる。反対に、自分自身に対する興味は、進歩的な活動に導くことは決してない。そういった興味は、日記をつけるとか、精神分析を受けるとか、もしかすると修道士になることに導くかもしれない。しかし、修道士になったとしても、修道院の日常業務(ルーティンワーク)のために自分の魂のことを忘れてしまうようになるまでは、幸福にはなれないだろう。彼が宗教のおかげで得られたとする幸福は、やむをえず交差点掃除人(注:crossing sweeper 当時のロンドンにはこのような職業があったそうです!)になっていたとしても得られたことだろう。極端に自己没入しており、他のいかなる方法でも治療のしようがないような不幸な人びとにとって、外(面)的な訓練こそ幸福に至る唯一の道である。  
(And every external interest inspires some activity which, so long as the interest remains alive, is a complete preventive of ennui. Interest in oneself, on the contrary, leads to no activity of a progressive kind. It may lead to the keeping of a diary, to getting psycho-analyzed, or perhaps to becoming a monk. But the monk will not be happy until the routine of the monastery has made him forget his own soul. The happiness which he attributes to religion he could have obtained from becoming a crossing-sweeper, provided he were compelled to remain one. External discipline is the only road to happiness for those unfortunates whose self-absorption is too profound to be cured in any other way.)

火曜日, 6月 22, 2010

『ラッセル自伝』から(n.002)





ペンブローク・ロッジには、11エーカーの庭があったが、その大部分は荒れるがままに放置されていた。この庭は、18歳の年齢に達するまで、私の人生において非常に大きな役割をはたした。庭から西方に向けて、エプソン・ダウンズ(Epsom Downs: 私は当時それを ups and downs という名だと思いこんでいた。)からウィンザー城にいたる広大な眺望があり、その間にはハインドヘッドの丘とリースの丘があった。私は広大な地平線や視界を遮るものがない日没の光景を見慣れて成長した。そのため、それ以来ずっと、その両方なしではけっして幸福に暮らすことはできなかった。
(Pembroke Lodge had eleven acres of garden, mostly allowed to run wild. This garden played a very large part in my life up to the age of eighteen. To the west there was an enormous view extending from the Epsom Downs (which I believed to be the 'Ups and Downs') to Windsor Castle, with Hindhead and Leith Hill between. I grew accustomed to wide horizons and to an unimpeded view of the sunset. And I have never since been able to live happily without both.)




『ラッセル幸福論』から(n.002)





思春期には私は人生を憎み、たえず自殺寸前の状態にいたが、もっと数学について知りたいという欲望から、なんとか自殺を思いとどまった。
 今では、反対に、私は人生をエンジョイしている。年々年をとるにつれて、ますます人生をエンジョイしている、と言ってもよいくらいである。これは、一部は、自分がいちばん望んでいるものが何であるかを発見し、これらのものの多くを徐々に手に入れたことによる。また一部は、望んでいるもののいくつかを、(たとえば)何かに関する疑いえない知識の獲得というようなことを、本質的に獲得不可能なものとして上手に退けてしまったことによる。しかし、大部分は、自分自身にだんだんとらわれなくなったことによるものである。
(In adolescence, I hated life and was continually on the verge of suicide, from which, however, I was restrained by the desire to know more mathematics.
Now, on the contrary, I enjoy life; I might almost say that with every year that passes I enjoy it more. This is due partly to having discovered what were the things that I most desired and having gradually acquired many of these things. Partly it is due to having successfully dismissed certain objects of desire - such as the acquisition of indubitable knowledge about something or other - as essentially unattainable)




月曜日, 6月 21, 2010

『ラッセル自伝』から(n.001)





 両親は1864年に、両方ともわずか22歳で結婚した。(ラッセルの初婚も22歳であることに注意) わたくしの兄が生まれたのが、彼が自伝で自慢しているように、両親の結婚後9ヶ月と4日目であった。わたくしが生まれるほんの少し前、両親は、ワイ川のきりたった岸のちょうど真上の森の中の人里離れたところにあるラヴェンスクロフトと呼ばれたきわめて淋しい家(現在はクレイドン・ホールと呼ばれている。)に行って住んだ。私が生まれて3日目に母は、そこの家から自分の母にあてて、私のことについて手紙を書いた。
(My parents married in 1864, when they were both only twenty-two. My brother, as he boasts in his autobiography, was nine months and four days after the wedding. Shortly before I was born, they went to live in a very lonely house called Ravenscroft (now called 'Cleiddon Hall') in a wood just above the steep banks of the Wye. From the house, three days after I was born, my mother wrote a description of me to her mother: )
 → ★ラッセル自伝(原書)購入

『ラッセル幸福論』から(n.001)





 戦争を回避するための(組織的な)方法を発見することは、我々の文明にとって必須である。しかし、人びとが不幸なあまりに、日中(の光)のまぶしさに耐え続けるよりも(現実を直視し耐え続けるよりは)、相互殺戮のほうが恐ろしくないと思われるうちは、そういう方法が見つかる機会はない。
(To discover a system for the avoidance of war is a vital need for our civlisation; but no such system has a chance while men are so unhappy that mutual extermination seems to them less dreadful than continued endurance of the light of day.)

日曜日, 6月 20, 2010

備忘録(2010.6.20)






(1)昨日公共図書館で借りたもの
1)檀ふみ・阿川佐和子『けっこん・せんか』(文春文庫)
2)ピーター・タスカ,ビル・エモット『日本の選択』(講談社インターナショナル,2007年3月)
3)『アフィリエイト「やり直し」講座』(ダイヤモンド社,2007年)
4)『詳解HTML&CSS&JavaScript辞典』(秀和システム,2005年)

(2)昨日西川口のBOOK-OFFで購入したもの(105円×5冊)
1)養老孟司『死の壁』(新潮新書,2004年)
2)山崎伸治『「団塊の世代」は月14万円使える!?』(青春出版社,2007年)
3)米原万里『必笑小咄のテクニック』(集英社新書,2005年)
4)斎藤孝『三色ボールペン情報活用術』(角川Oneテーマ21,2003年)
5)古平明『アフィリエイトで月収100万円も夢ぢゃない』(ビジネス社,2004年)

土曜日, 6月 05, 2010

備忘録(2010.6.5)






本日公共図書館借りたもの

1)いいだもも『<主体>の世界遍歴-八千年の人類文明はどこへ行くか』(藤原書店,2005年)
2)米盛裕二『アブダクション-仮説と発見の論理』(勁草書房,2007年)
3)寺島実郎『われら戦後世代の「坂の上の雲」-ある団塊人の思考の軌跡』(PHP新書n.396,2006年)
4)ピーター・タスカ『不機嫌な時代-JAPAN2020』(講談社,1997年)
5)マークーピータ^セン『図解英文法入門』(アスコム,2007年)

日曜日, 5月 30, 2010

備忘録(2010.5.30)






北浦和Book-OFFで購入(105円×4冊)

1)養老孟司『あなたの脳にはクセがある-都市主義の限界』(中公文庫)
2)T.S.エリオット『キャッツ-ポッサムおじさんの猫とつき合う法』(ちくま文庫)
3)沢村貞子『わたしの台所』(光文社文庫)
4)檀ふみ×阿川佐和子『太ったんでないのッ!?』(新潮文庫)

土曜日, 5月 29, 2010

備忘録(2010.5.29)






本日図書館で借りたもの
1)(松竹ビデオ)『釣りバカ日誌n.18:ハマちゃんスーさん瀬戸の約束』
 ・社長を辞して会長となる。
2)同上n.19(ようこそ!鈴木建設御一行様)
 ・n.20(最終回)は映画で見たので、これで全編征服!
3)名作を聴く:近代小説2
 ・紺野美沙子による朗読(檸檬;山椒魚からの抜粋)
 → CDはかなり痛んでいて音飛びがして聴きづらい。
4)『英文Eメール文例ハンドブック』(日本経済新聞出版社)

土曜日, 5月 08, 2010

備忘録(2010.5.8)






本日公共図書館で借りたもの
1)村井純『インターネット新時代』(岩波新書・赤版n.1227,2010年1月)
2)M.ピーターセン『日本語話せますか?』(新潮社,2004年4月)
3)外山滋比古『老楽力』(展望社,2006年4月)
4)『こんなにできる Paint Shop Pro ver.5J』(エヌディエヌコミニュケーション,1999年1月)
5)『世界一わかりやすい Photo Shop Elements, v.5.0』(講談社,2006^年12月)
6)(松竹ビデオ)『釣りバカ日誌v.16』

土曜日, 5月 01, 2010

備忘録(2010.5.1)






本日公共図書館で借りたもの
1)鶴見俊輔『思い出袋』(岩波新書n.1234,2010年3月刊)
2)『PaintShopPro6Jオフィシャル・テクニカル・ガイドブック』(秀和システム,1999年12月)
3)『釣りバカ日誌v.14(お遍路大パニック)』

午後ディズニー映画「アリス・イン・ワンダーランド」(ユナイテッド・シネマ浦和のスクリーン1)
・昨日インターネットで予約しておいたもの(映画の日なので1,000円)
・予想通り、女性や子どもが多く、小さくなって鑑賞

金曜日, 4月 30, 2010

備忘録(2010.4.30)






本日、JR西川口駅前のBOOK-OFFで入手した本(105円×5冊)

1)斉藤兆史『英語達人列伝』(中公新書n.1533,2000年)
2)石川恭三『入院を愉しむ本-ジョイフル患者学』(集英社文庫,1994年)
3)内田樹『下流志向-学ばない子どもたち、働かない若者たち』(講談社文庫,2009年)
4)阿川佐和子×檀ふみ『ああ言えばこう食う』(集英社文庫,2001年)
5)河合隼雄『'老いる'とはどういうことか』(講談社+α文庫,1997年)

土曜日, 4月 24, 2010

備忘録(2010.4.24)






公共図書館で借りたもの
1)ジル・ドスタレール(著)『ケインズの闘い-哲学・政治・経済学・芸術』(藤原書店,2008年9月)
2)小野寺健『英国文壇史-1890-1920』『研究者出版,1992年2月』
3)白洲信哉『白洲スタイル』(飛鳥新社,2009年8月)
4)『ウェールズ-イギリスの中の'異国'を歩く(第3版)』(日経BP企画,2005年9月)
5)緑ゆうこ『植物になって人間をながめてみると』(紀伊国屋書店,2010年2月)
6)マーク・ピーターセン『痛快! コミュニケーション英語学』(集英社インターナショナル,2002年2月)
7)『定年後-豊かに生きるための知恵』(岩波新書-赤n.1062,2007年2月)
8)(ビデオ)『釣りバカ日誌v.15(ハマちゃんに明日はない!?)』

土曜日, 4月 17, 2010

備忘録(2010.4.17)






本日公共図書館で借りたもの
1)マーク・ピータセン『英語の壁』(文藝春秋,2003年/文春新書n.326)
2)高橋哲哉『歴史/修正主義』(岩波書店,/2001年1月/「思考のフロンティア」シリーズ)
3)(ビデオ)『キャリントン』
*画家ドーラ・キャリントンと(同性愛者)リットン・ストレイチーの愛の物語(1995年英仏合作映画)

(2010.4.18 追記)
本日BOOK-OFF東川口で入手したもの(105年×3冊)
1)柳瀬尚紀『辞書はジョイスフル』(新潮文庫や41-1)
2)檀ふみ『ありがとうございません』(幻冬舎文庫あ14-1)
3)檀ふみ『どうもいたしません』(幻冬舎,2004年)

土曜日, 4月 10, 2010

備忘録(2010.4.10)





公共図書館で借りたもの
1)中見真理『柳宗悦-時代と思想』(東京大学出版会、2003年)
2)マーク・ピーターセン『心にとどく英語』(岩波新書・赤n.604)
3)外山滋比古『頭の旅』(毎日新聞社,2010年3月)
4)『(英和対照)朝日新聞「天声人語」2005年秋』(原書房)

JR大塚駅近く、BOOK-OFF大塚で購入したもの(105年×8冊)
1)小林泰夫,船曳建夫(共編)『知のモラル』(東京大学出版会,1996年)
2)宍戸修『イギリスは誘惑する』(勁草書房,1995年)
3)井形慶子『仕事も暮らしも3で割るイギリスの習慣』(新潮社,2005年)
4)ピーター・アスカ『揺れ動く大国ニッポン』(講談社文庫た59,1993年/単行本としての初版=1988年)
5)米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』(講談社文庫よ28,2001年/単行本としての初版=1998年)
6)阿川佐和子+檀ふみ『ああいえばこう(×嫁)行く』(集英社文庫あ45-2,2003年/単行本としての初版=2000年)
7)藤森照信(文),増田彰久(写真)『建築探偵東奔西走』(朝日文庫ふ15-1,1996年)
8)早坂隆『世界の日本人ジョーク集』(中公新書クラレn.202,2006年)

★2010.4.11追記
1.公共図書館で本日かりたもの
1)G>H.ハーディ『一数学者の弁明』(みすず書房,1975年)
2)『丸山眞男集v.9:1961-1968』(岩波書店,1996年)
3)(ビデオ)『釣りバカ日誌v.13(ハマちゃん危機一髪)』

2.県立図書館で借りた本
1)森川金寿『昭和人権史への証言』(時事通信社,1980年)

土曜日, 4月 03, 2010

備忘録(2010.4.3)

本日公共図書館で借りたもの
1)マーク・ピーターセン『続・日本人の英語』(岩波新書n.835)
2)土屋賢二『教授の異常な弁解』(文藝春秋)
3),4)「釣りバカ日誌」v.11+v.12





本日、秋葉原BOOK-OFFで入手したもの(105円/冊×8
=840円)
1)檀一雄『檀流クッキング』(中公文庫A69)
2)檀ふみ『父の縁側、私の書斎』(新潮文庫た-80-2)
3)『天声人語v.3(1954.7~1958.6)』(朝日新聞社)
4)河合隼雄『あなたが子どもだったころ-こころの原風景』(講談社+α文庫)
5)河合隼雄『子どもの本を読む』(講談社+α文庫)
6)河合隼雄『こころの処方箋』(新潮社)
7)ピーター・フランクル『諸国漫遊記』(増進会出版社)
8)井形慶子『イギリス式、時給900円ンから始める暮らし』(講談社)

土曜日, 3月 13, 2010

備忘録(2010.3.13)

西川口BOOK-OFFで9冊(合計1,140円)購入。野口悠紀雄『「超」リタイア術』の315円以外は全て105年





1)ポール・ジョンソン『インテレクチュアルズ』(共同通信社,1990年)
2)沢村貞子『わたしの三面鏡』(朝日新聞社,1983年)
3)吉田戦車『なめこ・イン・サマー』(太田出版,2005年)
4)吉田戦車『吉田電車』(講談社文庫,2007年/単行本での初出は2003年)
5)阿刀田高『夜の旅人』(文春文庫)
 *よい本なので2冊目
6)阿刀田高『ナポレオン伝』(講談社文庫)
7)野口悠紀雄『「超」リタイア術』(新潮文庫)
8)石川恭三『定年の身じたく』(集英社文庫)
9)石川恭三『定年ちょっといい話』

土曜日, 3月 06, 2010

備忘録(2010.3.6)






地元の公共図書館+渋谷BOOK-OFF

(1)渋谷BOOK-OFF (105円×3冊)
 1)吉田戦車『吉田自転車』(講談社,2002年7月)
 2)沢村貞子『老いの語らい』(岩波書店,1997年1月)
 3)ピーター・フランクル『新ニッポン見聞録』(WAVE出版,1992年4月)

(2)地元の図書館で借りたもの
 1)松竹ホームビデオ『釣りバカn.7』

金曜日, 2月 12, 2010

備忘録(2010.2.12)

本日池袋BOOK-OFFで購入
(105円×5冊)
1)『英語とわたし』(岩波新書・赤版702)
2)『NHKためしてガッテン』(NHK出版,2000年12月)
3)野口悠紀雄『超旅行術』(新潮文庫,2003年4月)
4)野口悠紀雄『ホームページにオフィスを作る』(光文社新書,2001年11月)
5)(株)アンク著『HTMLタグ辞典(第5版)』(翔泳社,2004年3月/初刷=2002年)

木曜日, 2月 11, 2010

備忘録(2010.2.11)

本日公共図書館で借りたもの

1)緑ゆうこ『イギリス人は「建前」がお得意』(紀伊国屋書店,2002年12月)
2)&3)(松竹ビデオ)『釣りバカ日誌』v.3及びv.4

土曜日, 2月 06, 2010

備忘録(2010.2.6)






本日公共図書館で借りたもの
1)森本哲郎『日本十六景-四季を旅する』(PHP文庫,2008年8月)
2)米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』(文春文庫,2003年6月』
3)鶴見俊輔『言い残しておくこと』『作品社,2009年12月』
4)早野透(インタビュー)『政治家の本棚』(朝日新聞社,2002年5月)
5)松竹ビデオ『釣りバカ日誌v.2』

土曜日, 1月 23, 2010

備忘録(2010.1.23)





本日公共図書館で借りたもの
1)『対談・座談1』(岩波書店,1982年6月/野上弥生子全集別巻1)
2)『HTML/XHTML&スタイルシート レッスン・ブック』(ソシム,2007年6月)
 *これは2度目
3)(ビデオ)『釣りバカ日誌v.1』(松竹ホームビデオ,1995)
4)(NHK-DVD)『五代目柳家小さん落語傑作選其の一』(NHKソフトウェア,c2004)

本日北浦和BOOK-OFFで購入(105円×5冊)
1)なかにし礼『人生の黄金律-なかにし礼と華やぐ人々』(清流出版,2003年8月)
2)『粗食のすすめ-旬のレシピ(4)冬号』(東洋経済,2001年12月)
3)加藤仁『定年前後の「自立」事始め』(文藝春秋,1997年12月)
4)佐高信,宮本政於(共著)『官僚に告ぐ!』(講談社文庫,2000年5月)
5)『ANSI C言語辞典』(技術評論社,1989年10月)

土曜日, 1月 09, 2010

備忘録(2010.1.9)






本日、公共図書館で借りたもの
1)Video:『釣りバカ日誌n.14-お遍路大パニック』(松竹ビデオ,2003年作品)
2)Video:黒澤明監督作品『悪い奴ほどよく眠る』(東宝,1960年度作品)
3)米原万里『言葉を育てる』(ちくま文庫,2008年9月)
4)宮本政於『お役所の精神分析』(講談社,1997年3月)

本日、高田馬場のBOOK-OFFで購入(105円×8冊=840円也)
1)吉野俊彦『虚無からの脱出-森鷗外』(PHP研究所,1980年8月)
2)吉野俊彦『権威への反抗-森鴎外』(PHP研究所1979年8月)
3)文藝春秋(編)『立花隆のすべて』(文藝春秋,1998年3月)
4)佐々木千賀子『立花隆秘書日記』(ポプラ社,2003年3月)
5)沢村貞子『私の浅草』(暮らしの手帖社,1978年3月)
6)黒木登志夫,F・ハンター・藤田(共著)『科学者のための英文手紙の書き方』(朝倉書店,1984年8月)
7)エリザベス・クレア(著)『アメリカ人が怒り出す危険な英語』(講談社 Sophia Books,2001年4月)
8)TV朝日「人生の楽園」(編)『人生の楽園』(アーティストハウス,2006年4月)

月曜日, 1月 04, 2010

備忘録(2010.01.04)






本日は、1月16日(土)勤務の代休。
JR京浜東北線・赤羽東口とJR埼京線・十条駅前のBOOK-OFFに行き、下記の4冊(いずれも105円/1),2)が赤羽店;3),4)が十条店)でゲット。めぼしい本はあまりなかった。

1)野口悠紀雄『超「超」整理法』(講談社,2008年9月)
2)正井泰夫『この1冊で東京の地理がわかる!-地図と歴史から見えてくる東京の「面白雑学」』(三笠書房,2000年11月)
3)『吾妻ひでお逃亡日記』(日本文芸社,2007年1月)
4)尾崎哲夫『私の英単語帳を公開します!-尾崎式の秘密』(幻冬舎,2004年3月)

火曜日, 12月 29, 2009

備忘録(2009.12.29)






今年最後のBOOK-OFF詣で(秋葉原にて)
 下記の4冊を105年×4=420円で購入
 特に、『リーディング数学の哲学-ゲーデル以後』(勁草書房,1995年/定価=5,665円)が105円で入手できるとは信じられない。

1)『リーディング数学の哲学-ゲーデル以後』
2)『ホーキング、宇宙を語る-ビックバンからブラックホールまで』(早川書房,1989年6月)
3)高橋源一郎『いざとなりゃ、本ぐらい読むわ』(朝日新聞社,1997年11月)
4)橋本治『桃尻語訳・枕草子』中巻(河出書房新社,1988年12月)

日曜日, 12月 27, 2009

備忘録(2009.12.27)






 本日が今年最後の県立図書館開館日(市立の南浦和図書館も同様)

 本日、埼玉県立浦和図書館で借りたもの
1)(Vitorビデオ)映像でつづる20世紀世界の記録・第18巻(1954~1956)「深まる東西分裂」
2)同上、第19巻(1957-1959)「宇宙への挑戦」
3)『スノーボール(ウォーレン・バフェット伝)(上)』(日本経済新聞出版社,2009年11月)

土曜日, 12月 26, 2009

備忘録(2009.12.26)






本日公共図書館で借りた本
1)米原万里『打ちのめされるようなすごい本』(文藝春秋,2006年10月)
 *米原万里は、2006年5月、癌のため逝去
2)足立紀尚『定年後のただならぬオジサン』(中公新書ラクレ,2006年11月)
3)Thomas Cook European Rail Timetable, early summer 2008.

本日、大宮駅東口近くのBOOK-OFFで購入(105円/冊×4冊)
 → 其の後、西口のソフマップで、先日購入した Epson Calorio EP-802A 用インク購入
1)野口悠紀雄『無人島に持ってゆく本(「超」整理日誌2)』(ダイヤモンド社,1997年10月)
2)沢村貞子『わたしの脇役人生』(新潮社,1987年4月)
3)宮本政於『お役所のご法度』(講談社,1995年3月)
4)小池直己『放送英語と新聞英語の研究』(北星堂書店,1998年4月)

土曜日, 12月 19, 2009

備忘録(2009.12.19)






本日公共図書館で借りた本
1)高尾慶子『ぼやき、つぶやき、イギリス・ニッポン』(文春文庫,2008年3月/文庫版用に'書き下ろし')
2)サティシュ・クマール『君あり、故に我あり』(講談社学術文庫,2005年4月)

BOOKOFF(ブックオフ)JR川口駅東口前店にて購入(105円/冊×6冊)
1)『知の論理』(東大出版会,1995年4月)
2)S.ホーキング(著),佐藤勝彦(監訳)『ホーキングの最新宇宙論-ブラックホールからベビーユニバースへ』(日本放送出版協会,1990年12月)
3)緑ゆうこ『イギリス人は'理想'がお好き』(紀伊国屋書店,2002年3月)
4)小林淳宏『定年からが面白い』(文藝春秋,1988年12月)
5)石井苗子『わたしの偏差値ばなれ』(海竜社,1992年11月)
6)糸川英夫『一日一発想366日』(講談社+α文庫,1993年12月)

日曜日, 12月 13, 2009

備忘録(2009.12.13)






本日公共図書館で借りた本
1)リチャード・ディーコン(著),橋口稔(訳)『ケンブリッジのエリートたち』(晶文社,1988年1月)
2)『越前敏弥の、日本人なら必ず誤訳する英文-あなたならこれをどう訳しますか?』(でぃすかばー・トゥエンティワン,2009年2月)
3)『史上最強の投資家、バフェットの教訓』(徳間書店,2008年1月)
4)クラーク・カー(著)『アメリカ高等教育の大変貌、1960~1980年』(玉川大学出版部,1996年12月)

土曜日, 12月 05, 2009

備忘録(2009.12.05)






本日公共図書館で借りた本
1)『HTML/XHTML&スタイルシート・レッスンブック(ソシム,2007年6月』
2)巻口勇次『永遠のジョン・レノン--愛と平和と音楽に賭けた男』(三修社,2008年11月)
3)土屋賢二『人間は考えても無駄である-ツチヤの変客万来』(講談社文庫,2009年10月)

川口市飯塚のBOOKOFFで購入した本(105円×4冊)
1)カズコ・ホーキ&フランク・チキンズ『カズコ・ホーキのまるごと案内-ディープなロンドン』(文藝春秋,1998年6月)
2)兼高かおる『私の好きな世界の街』(新潮社,1996年11月)
3)梅宮辰夫『梅宮辰夫の全国漬物図鑑』(小学館文庫,2004年3月)

土曜日, 11月 28, 2009

備忘録(2009.11.28)

本日地元の公共図書館で借りた本





1)『中野好夫集(IV)』(筑摩書房,1984年1月)
2)『ホーキング、宇宙のすべてを語る』(ランダムハウス講談社,2005年9月)
3)森昭(編著)『現代教育学思潮』(第一法規,1969年3月/教育学叢書第23巻)
4)高尾慶子『イギリス、ウフフの年金生活』(展望社,2005年2月)
5)林雄介『霞ヶ関の掟-官僚の舞台裏』(日本文芸社,2003年5月)
6)『情報システム監査実践マニュアル(第2版)』(工業調査会,2005年12月)

本日、大宮駅東口にある、BOOKOFFで購入した本(いずれも105円)
1)恒松郁生『こちらロンドン漱石記念館』(廣済堂,1994年)
2)『定義集』(筑摩書房,1990年9月/「ちくま哲学の森」別巻)
3)『アメリカの雑誌を読むための辞書』(新潮選書,1980年9月)
4)佐藤正忠『65歳からがおもしろい』(経済界,1994年3月)
(抜粋pp.19-20)・・・。現在私(注:雑誌『経済界』主幹・発行者で65歳)は、朝は午前3時に起床する。洗面してから書斎に向かう。そしてまず、前日の日記を書く。ついで手紙を書いたり、原稿を書いたりする。読書もする。1冊を15分くらいのペースで読んでいく。読むというより、見るというほうがいいかも知れない。まず週刊誌はすべてに目を通す。月刊誌もほとんど'見る'ことにしている。ここぞというベストセラーはすべて読んでいく。その楽しいことや! 私はこの2時間、3時間を'黄金の時間'と呼んでいる。 
 春、夏、秋は、近くの公園を散歩する。約40分は、歩いて歩いて、歩き回る。そのうち汗ばんでくる。・・・。それから自宅に戻って、シャワーを浴びる。仏間に入って読経する。そして「簡単な」朝食をとる。迎えの車が来て、約20分で虎ノ門のある本社に行く。この(車中の)時間を利用して書類を整理したり、新聞を読むのである。社に行くと、夕方まで、びっしりとスケジュールが詰まっている。・・・。さらには、夕方には宴会もある。これも私の場合、5時にはじめて、6時には(必ず)終了する。・・・。どんなに(相手が)偉い人でも、この正忠流がいやなら、こちらからおことわりする。・・・。

5)『天声人語4:1958.7~1963.4(荒垣秀雄』(朝日文庫,1981年4月)
6)『朝日新聞・声(1):1945~1947』(朝日文庫,1984年9月)

(追記:2009.11.29)
本日、埼玉県立浦和図書館で借りた本
1)藤原保信『政治哲学の復権』(新評論,2007年1月/藤原保信著作集第7巻)
2)『通史・日本の科学技術(第3巻)』(学陽書房,1995年6月)
3)白井吉見(編・解説)『日本のヴィジョン』(筑摩書房,1968年2月/「現代の教養」第16巻)
4)システム監査学会(編)『システム監査の理論と実践』(財団法人日本情報処理開発協会,2008年1月)

土曜日, 11月 21, 2009

備忘録(200911.21)






1.北浦和のBookOFFで購入
1)原仙作(著),中原道喜(補訂)『英文標準問題精講(2色刷新装5訂版)』(旺文社,2006年/初版は実に、1933年のこと。「原標」の愛称で親しまれており、ラッセルの英文が多数収録されている)→500円で入手。以下は全て100円
2)『ソフィーの世界-哲学者からの不思議な手紙』(NHK出版,1995 667pp.の大冊)
3)吉本隆明『読書の方法-なにを、どう読むか』(光文社,2001年)
4)宮本政於『ぶっとび'霞が関'事情』(講談社,1993年)
5)米原万里『不実な美女か、貞淑な醜女か』(徳間書店,1994年)

2.本日南浦和図書館で借りた本
1)高木慶子『わたしのイギリス、あなたのニッポン』(文春文庫,2003年/初版:展望社=2001年)
2)貝塚茂樹『古代の復活』(講談社,1967年)

日曜日, 11月 15, 2009

備忘録(2009.11.15)

本日埼玉県立浦和図書館で借りた本
1)小田実『壁を破る-世界の中の体験と思想』(中央公論社,1964年7月)
2)渡辺照宏『維摩経講話(改訂新版)』(大法輪閣,1972年10月)
3)『現代天皇制』(日本評論社,1977年2月/『法学セミナー』増刊号・総合特集シリーズ1)
4)吉田洋『情報システム監査』(税務経理協会,2002年6月)
5)『IT統制監査実践マニュアル(J-SOX対応)』(工業調査会,2008年2月)

土曜日, 11月 14, 2009

備忘録(2009.11.14)






(1)本日図書館で借りた本
1)高尾慶子『イギリス・ニッポン、言わせてもらいまっせ』(文春文庫,2004年10月/初出:展望社会,2002年6月)
2)高尾慶子『イギリス人はしたたか』(展望社,1995年11月)
3)上林三郎『定年欧州自転車旅行』(連合出版,2007年2月)
4)島田辰巳(編著)『情報システム監査』(学陽書房,2006年9月)

(2)アマゾン・コムで取り寄せ
・Logocomix: An Epic Search for Truth
ラッセルの初期の真理探究生活を題材にした a graphic novel (漫画の高級版?)

土曜日, 11月 07, 2009

備忘録(2009.11.07)






本日、京浜東北線・蕨駅東口近くのBookOFFで以下の6冊を購入
(105円×6=630円)
中型書店だったので、探索が非常に効率的であり、大変お得な買い物ができた。

1)野口悠紀雄『時間旅行の愉しみ-「超」整理日誌3』(ダイヤモンド社,1998年10月)
2)赤瀬川原平『老人力』(筑摩書房,1998年9月)
3)ビル・ゲイツ『未来を語る』(ASCII,1995年12月)
4)藤田幸子『インターネットは介護主婦の救い主』(藍書房,2001年6月)
5)岩谷宏『コンピュータ用語の哲学-ラジカルなコンピュータ用語辞典(第3版)』(SoftBank,2002年1月)
6)Terra著『簡単CGIでつくるインタラクティブWebページ(改訂版)』(エーアイ出版,2001年5月)

(11.14 追記)
『老人力』は面白かった。以下少し抜書き
(p.108)挫折の効用は何かというと、力の限界がわかってくること。若いときは何でも出きると思っているけど、挫折をめぐって、自分の限界が見えてくる。・・・。でも自分は生きている。何かやらないと生きていけないわけで、金を稼ぐこともそうだけど、生きる楽しみもそうだ。・・・。どんな小さなことでも何か楽しみがないとやっていけない。晩ご飯への期待、ビールへの期待、おかずへの期待、・・・、そう小さな楽しみでも'つなぎつなぎ'しなければ、なかなか簡単には生きていけない。自分の限界が見えた後になって、そういう小さな楽しみが切実に感じられてくる。
(p.110)若い頃は人生の先がまだ遠くて、有限性がわかりにくい。だから自分の人生への切実さが少なく、思想の世界のために自分の人生を'寄付'できるとも考えてしまう。振り切ってしまえれば、それはそれで自分の人生を愉しんだということもできるけれど、ちょっと苦しい。

日曜日, 11月 01, 2009

備忘録(2009.11.01)





★映画「沈まぬ太陽」(原作=山崎豊子)鑑賞
 浦和ユナイテッド・シネマ:12:50~16:20(実に3時間半!)
 ・映画の日なので、1,000円とかなりお徳
 (昨日インターネットで席を予約・カード決済)
  劇中曲:ダイアナ湯川「ダイアナ・エフェクト」
  エンディング曲:福原美穂「Cry No More」 
 ・「クリスマス・キャロル」が11月14日から公開上映されることを知る。(本はもっていても読んでいない。映画を見たほうが手っ取り早く、よく理解できるのではないか。) 

土曜日, 10月 31, 2009

読書メモ(沢村貞子『わたしの献立日記』から)






沢村貞子『わたしの献立日記』(新潮社,1988年12月刊)

(「あとがき」より)わたしの献立日記には、22年間の我が家のお惣菜が書き留めてある。「あの頃はどんなものを食べていたかしら」などと時折自分でめくってみるのは楽しいけれど、他人様にご披露するなど、とても気恥ずかしくて出来ることではなかった。それを、出版して頂く気になったのは、満80歳という齢のせいである。

(p.7)お金や権力の欲というのは、どこまでいってもかぎりがないけれど、食欲には'ほど'というものがある。人それぞれ、自分に適当な量さえとれば、それで満足するところがいい。おいしいものでおなかがふくれれば、結構、しあわせな気分になり、まわりの誰彼にやさしい言葉の一つもかけたくなるから、しおらしい。

(p.9)二十年来、我が家(=私達夫婦)の食事は朝と夜だけ--お昼はおやつ程度になっている。従って、私達の今後の食後の回数は、残りの年月に2をかけただけである。そう思うと、いい加減なことはしたくない。うっかり、つまらないものを食べたら最後・・・年寄りは、口直しが利かないことだし・・・。

(p.56)どんなに忙しいときでも、我が家では、かならず朝食をとった。なんの仕事も、おなかがすいてはうまくゆかない。ことに俳優は、満腹もいけないけれど、空腹もダメ。腹「六分目ぐらい」でないと、芝居はできない。

(p.67)ほんとに、ほかに道楽はない。住むところはこぎれいなら結構。着るものはこざっぱりしていれば、それで満足。貴金属には興味はないから指輪ははめないし、貯金通帳の0を数える趣味もない。いわば、ごく普通のつましい暮らしをしている。ただ、食事だけは、多少ぜいたくをさせてもらっている。

(p.103)きれいに洗い上げた食器を乾いた布巾でサッサと拭くのは気持ちがいい。我が家の布巾40枚のうち、20枚はいつも台所の引き出しにいれてある。使ったものはすぐ、足許のバケツ(半分ほどの水に少量の粉石鹸をいれておく)につけて、翌日洗って干す。・・・。

土曜日, 10月 17, 2009

備忘録(2009.10.17)






本日図書館で借りた本
1)C.K.ステッド(著),大島銀作(他訳)『小説マンスフィールド-愛と友情の変奏曲』(文化書房引博文社,2005年10月)
2)小林章夫+ドミニク・チータム『イングリッシュ・ジョークを愉しむ(CD-Book)』(ベレ出版,2005年1月)
3)金子務『アインシュタインショック(1):大正日本を揺るがせた四十三日間』(河出書房新社,1981/新版=1991年)
4)沢村貞子『わたしの献立日記』(新潮社,1988年12月)

月曜日, 10月 12, 2009

備忘録(2009.10.12)






連休中に図書館で借りた本
1)金子務『アインシュタインショック(2):日本の文化と思想への衝撃』(河出書房新社,1981/新版=1991年)
2)高杉良『不撓不屈』(新潮社,2002年)
*ラッセルの Principles of Social Reconstruction, 1916 からの引用あり。
3)『グーグル・ジャパンで働く11人の英語勉強法』(中経出版,2009年1月)
4)マークス寿子『本当の英語力をつける本』(PHP,2003年7月)
5)原克『図説・20世紀テクノロジーと大衆文化』(柏書房,2009年7月)
6)K.ホフマン『オットー・ハーン --科学社の義務と責任とは』(シュプリンガー・ジャパン,2006年9月)

土曜日, 10月 03, 2009

備忘録(2009.10.03)






地元の公共図書館で借りた本

1)マークス寿子『大人の国イギリスと子供の国日本』(草思社,1992年7月)
2)『イタリアの田舎町-旅先で見つけた魅力的な街並み(第2版)』(日経BP企画,2004年6月)

土曜日, 9月 26, 2009

備忘録(2009.09.26)






★寅さんの故郷、柴又散策
 ・若い頃は寅さんの'ガサツさ'が気に入らず、「寅さん映画」は特に好きだということはなかった。しかし、最近になって図書館でビデオを借り、全作品を通して見て、良いシリーズだと思うようになった。何度見ても寅さんのガサツさは好きになれないところがあるが、好きになったのは、いつも変らない寅さんの反応が安心して気楽に見られるということが'心地よい'のかもしれない。いや、妹の桜(倍賞千恵子)の魅力が大きく、その次にいれかわりたちかわり現れるマドンナの魅力も大きいのだろう。もちろん、おいちゃんやおばちゃんも魅力的ではあるが・・・。
 ということで、本日午後、寅さんの故郷の柴又までいってみた。参道、帝釈天、荒川の土手(葛飾柴又公園/'矢切の渡し'のところ)をめぐってみたが、次のような感想をもった。
・寅さんブームに便乗して、帝釈天の参道両側のみやげもの店のおみやげの価格は(下町だというのに)かなり高め。
・参道の道路は映画でみて思っていたよりかなり狭い!
・駅前の寅さんの銅像(全身)は小ぶり。
・荒川の土手はかなり広くて開放感がある。視界が広く遠くまで見えるので、視力回復に役立つのではないか。(標高ゼロメートル地帯なのだろうか? 荒川の土手がとても高い!

追記(9月27日)県立浦和図書館で借りた本
1)ヴェド・メータ『ハエとハエと壺-現代イギリスの哲学者と歴史家』(みすず書房,1970年1月)
2)アンドレ・ヴェイユ『アンドレヴェイユ自伝・下巻(ある数学者の修行時代)』(シュプリンガー・フェアラーク東京,1994年5月)

日曜日, 9月 20, 2009

備忘録(2009.09.19)






公共図書館で借りた本
1)立花隆『ぼくの血となり肉と成った500冊、そして血にも肉にもならなかった100冊』(文藝春秋,2007年)
2)立花隆『思索紀行』(書籍情報社,2004年)
3)巌谷国士(文・写真)『図説・ギリシア歴史・神話紀行』(河出書房新社,2004年)

本日埼玉県立浦和図書館で借りた本
1)『新版イギリス人の日本観』(成文堂,1993年10月)
2)鶴見俊輔×黒川創(ききて)『不逞老人』(河出書房新社,2009年7月)

日曜日, 9月 13, 2009

備忘録(2009.09.13)






県立図書館で借りた本
1)井上ひさし『ドン松五郎の生活』(新潮文庫,1978年5月)
2)小谷野敦『恋愛の昭和史』(文藝春秋,2005年3月)
3)鶴見俊輔×長田弘『旅の話』(晶文社,1993年4月)
4)多田道太郎『日本人の美意識』(筑摩書房,1994年4月刊)
5)入江昭『二十世紀の戦争と平和(増補版)』(東京大学出版会,2000年5月)
6)『混沌』(東京大学出版会,1991年6月 東大公開講座n.53)

土曜日, 9月 05, 2009

備忘録(2009.09.05)






)駒城鎮一『探偵・推理小説と法文化』(世界思想社,2009年8月刊)
2)『思想への望郷-寺山修司対談集』(講談社,2004年6月 文芸文庫)
3)開高健『開高閉口』(新潮文庫,1979年)

★本日BookOFF(西川口店)で購入した本(
 105円/冊×3冊=315円
1)高尾慶子『イギリス人はおかしい-日本人ハウスキーパが見た階級社会の素顔』(文藝春秋,1998年 文春文庫)
2)『立花隆のすべて(上)』(文春文庫,2001年3月)
3)堺屋太一『団塊の世代、黄金の十年が始まる』(文春文庫)

土曜日, 8月 29, 2009

備忘録(2009.08.29)






公共図書館で借りた本
1)斉藤孝『退屈力』(文春文庫)
・第3章「ラッセルの『幸福論』で「退屈力」を考える」
2)勝間和代『勝間和代のインディペンダントな生き方・実践ガイド』(ディスカバー携書n.22)
3)土田杏村『象徴の哲学』(新泉社,1971年)
4)堺屋太一『団塊の世代「黄金の十年」が始まる』(文春文庫n.571)
5)井形慶子『イギリス式小さな部屋からはじまる「夢」と「節約」』(講談社+α文庫)
6)北村元『日本人には思いつかないイギリス人のユーモア』(PHP,2003年)

土曜日, 8月 22, 2009

備忘録(2009.08.22)

本日公共図書館で借りた本
1)加藤周一『梁塵秘抄』(岩波書店,1986年2月刊/古典を読むn.23)
2)桑原武夫(編著)『新井白石集』(筑摩書房,1970年5月刊)
3)ポール・ジョンソン(著),別宮貞徳(訳)『インテレクチュアルズ』(共同通信社,1990年9月刊)
4)町山智浩『アメリカ人の半分はニューヨークの場所をしらない』(文藝春秋,2008年10月刊)

土曜日, 8月 15, 2009

備忘録(2009.08.15)






本日公共図書館で借りたもの
1)林達雄『歴史の暮方-新編・林達雄評論集』(筑摩叢書n.127,1968年11月刊)
2)日高六郎『戦後思想と歴史の体験』(勁草書房,1974年10月刊)
3)東田千秋『直訳という名の誤訳-英語読書作法』(南雲堂,1981年)
4)小川環樹『談往閑語』(筑摩書房,1987年1月刊)
5)福原麟太郎『文学的人生』(研究社,1970年3月刊)
6)~8)(NHK-DVD)『古典落語名作選』其のニ~四(NHK)

県立浦和図書館で借りた本
1)内田弘『三木清-個性者の構想力』(御茶ノ水書房,2004年8月刊)

木曜日, 8月 13, 2009

備忘録(2009.08.13)






午後、昔住んでいた荻窪駅の周辺を散策した後、駅北口前にある BookOFF で棚をブラウジング。
以下の4冊(200円×4)購入。750円の値札が200円に張り替えられている。1冊百円のものよりも、良い本が入手できそうな気がする。
1)『定年-もう一つの人生』(岩波書店,1999年1月刊 定価1,800円+税)
2)立花隆『東大生はバカになったか-知的亡国論+現代教養論』(文藝春秋,2001年10月刊)
3)川上あかね『ケンブリッジの贈り物』(新潮社,2003年3月刊)
4)土屋賢二『ツチヤ学部長の弁明』(講談社,2003年10月刊)
 *これは既に文庫版を読んでいるが、単行本で写真付きのため購入)

日曜日, 8月 02, 2009

備忘録(2009.08.02)






本日埼玉県立浦和図書館で借りた本
1)立野信之『黒い花(下)』(ぺりかん社,1974年)
 *大杉栄を描いたノンフィクション小説(ラッセルと大杉栄との対談)
2)今川憲次『もんく・もんく・もんく』(中日新聞社,1979年)
3)北岡寿逸(編)『友情の人鶴見祐輔』(北岡寿逸発行,1975年)

土曜日, 8月 01, 2009

備忘録(2009.08.01)





本日公共図書館で借りた本
1)『居酒屋の加藤周一-「夕陽妄語」はみだし』(かもがわ出版,1991年)
2)外山滋比古『短詩型の文学』(みすず書房,2002年12月刊/外山滋比古著作集第6巻)
3)後義輝『死刑論の研究』(三一書房,1993年9月刊)
4)東大社会科学研究所(編)『20世紀システム1:構想と形成』(東大出版会,1998年1月刊)
5)イアン・ジェイムズ『アスペルガーの偉人たち』(スペクトラム出版社,2007年7月刊)
6)大江健三郎『持続する志』(文藝春秋,1968年10月刊)
7)宇沢弘文『現代経済学への反省-対談集』(岩波書店,1987年5月刊)

日曜日, 7月 26, 2009

備忘録(2009.07.26)





本日公共図書館で借りた本
1)『書物の宇宙誌-澁澤龍彦蔵書目録』(国書刊行会,2006年)
2)『岩波講座・文学4:表現の方法1(世界の文学・上)』(岩波書店,1976年)
 ・加藤周一「文学の擁護-教義の文学概念から広義の文学概念へ」を含む
3)鶴見俊輔『期待と回想』上巻(晶文社,1997年)
4)山崎安雄『岩波茂雄伝』(時事通信社,1961年)
5)『高群逸枝全集第5巻:女性の歴史二』(理論社,1966年)
6)天野正子『'つきあい'の戦後史-サークル・ネットワークの拓く地平』(吉川弘文館,2005年)
7)荒正人『思想の流れ』(毎日新聞社,1963年)
8)青木薫久『保安処分と精神医療』(社会評論社,1975年)

本日埼玉県立浦和図書館で借りた本
1)久米井束『日本の文学教育-その形成過程と志向』(鳩の森書房,1975年)
2)限界小説研究会(編)『社会は存在しない-セカイ系文化論』(南雲堂,2009年)
3)武田芳一『熱い港-大正十年・川崎三菱大争議』(太陽出版,1979年)
4)小田晋(他・編)『変態心理と中村古峡-大正文化への新視覚』(不二出版,2001年)
5)三菱化工機株式会社(編)『環境エネルギー技術への挑戦-三菱化工機四十周年を記念して』(三菱化工機株式会社,1975年)

土曜日, 7月 25, 2009

備忘録(2009.07.25)






本日図書館で借りた本
1)土屋賢二『純粋ツチヤ批判』(講談社,2009年5月)
2)冨田達彦(著)『(小説)科学哲学者柏木達彦の春麗ら-心の哲学、言語哲学、そして生きるということ、の巻』(ナカニシヤ出版,2000年)
3)矢野暢『国際化の意味』(日本放送出版協会,1986年/NHKブックス)
4)『ヒロシマ四十年-森滝日記の証言』(中国新聞社,1985年7月)

土曜日, 7月 18, 2009

備忘録(2009.07.18)






本日公共図書館で借りたもの
1)『加藤周一著作集v.24(歴史としての20世紀)』(平凡社,1997年)
2)『科学哲学者・柏木達彦の秋物語(事実・対象・言葉をめぐる4つの話、の巻)』(ナカニシヤ出版,1998年)
3)『あざみの衣-西脇順三郎エッセイ集』(大修館書店,1961年)
4)『ジャパン・クロニクル紙ジュビリー・ナンバー:神戸外国人居留地』(神戸新聞総合出版センター,1993年)
5)富岡多恵子『表現の風景』(講談社,1985年)
6)加藤秀俊『余暇の社会学』(PHP研究所,1984年)
7)いいだもも(他・編著)『検証内ゲバ PART 2』(社会批評社,2003年)
8)中村隆英(他・編)『現代史を創る人びと』(毎日新聞社,1971年)

日曜日, 7月 12, 2009

備忘録(2009.07.12)






昨日公共図書館(南浦和図書館)で借りた本
1)英語音声学研究会『大人の英語発音講座』(NHK出版,2003年9月刊/生活人新書n.080)
本日埼玉県立浦和図書館で借りたもの
2)『科学哲学者・柏木達彦の冬学期-原子論と認識論と言語論的転回の不思議な関係、の巻』(ナカニシヤ出版,1997年8月刊)

日曜日, 7月 05, 2009

備忘録(2009.07.05)






本日図書館で借りた本
1)伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』(文藝春秋,1974年8月刊)
2)鶴見俊輔『悼辞』(編集グループSURE発行・発売,2008年11月刊)

土曜日, 6月 27, 2009

備忘録(2009.06..27)






公共図書館で借りたもの
1)稲垣瑞穂『夏目漱石ロンドン紀行』(清文堂,2004年10月)
2)テッド・ネルソン『リテラリー・マシン-ハイパー・テキスト原論』(ASCII,1994年10月)
3)高野秀行『ワセダ三畳青春記』(集英社文庫,2003年10月)
・ワセダ大学正門徒歩五分、路地裏胡桃木古木造二階アパ野々村荘三帖
4)富田恭彦『科学者柏木達彦の多忙な夏-科学ってホントはすっごくソフトなんだ、の巻』(ナカニシヤ出版,1997年1月)

土曜日, 6月 20, 2009

備忘録(2009.06..20)






本日公共図書館で借りたもの
1)西垣通(編訳)『思想としてのパソコン』(NTT出版,1997年5月刊)
2)高野秀行『異国トーキョー漂流記』(集英社文庫,2005年2月刊)

・本日は中学生と思しき数人が図書館の閲覧席を占拠し(図書館の資料を利用せずに)宿題をやっていたが、コソコソ話をずっとしていており、不愉快だった。(図書館資料を閲覧しない場合は閲覧席を利用できないルールになっているが、(図書館所蔵の)読まない本をそれぞれ1冊置いておく小賢しさはみなもっていた。)
・『異国トーキョー漂流記』の紹介文(アマゾン)を読んだところ良さそうだったので本日図書館で借り、読みはじめたが、非常に面白い! 高野氏の他の著書も予約することにする。

土曜日, 6月 13, 2009

備忘録(2009.06.13)






本日公共図書館で借りたもの
1)(ビデオ)『映像でつづる20世紀世界の記録v/18:1954-1956(深まる東西分裂』
2)(CD)田辺洋二『英語ヒアリングの決め手』ステップ1+2(NHK)
3)新井二郎『高尾自然観察手帳』(JTBバブリッシング,2009年4月)
4)上野千鶴子『おひとりさまの老後』(法研,2007年7月刊)

土曜日, 6月 06, 2009

備忘録(2009.06.06)






本日公共図書館で借りたもの
1)小森健太郎『英文学の地下水脈:古典ミステリ研究-黒岩涙香翻案原典からクイーンまで』(東京創元社,2009年2月刊)
2)乙訓稔『西洋現代幼児教育思想史-デューイからコルチャック』(東信堂,2009年4月刊)
3)リータ・レーヴィ・モンタルチーニ『老後も進化する脳』(朝日新聞出版,2009年3月刊)
4)山田隆太『この1冊ですべてわかるSEの基本』(日本実業出版社,2009年3月刊)
5)土屋賢二『ツチヤの'貧'格』(文藝春秋社,2008年12月刊)
6)(ビデオ)『映像でつづる20世紀の世界の記録v.17:1951~1953(戦後秩序の再編)』