水曜日, 6月 23, 2010

『ラッセル幸福論』から(n.003)





 対外的興味・関心は、いかなるものでも全て何らかの活動を刺激・促進し、(また)それらの興味が消えないかぎり、倦怠(感)を完全に予防してくれる。反対に、自分自身に対する興味は、進歩的な活動に導くことは決してない。そういった興味は、日記をつけるとか、精神分析を受けるとか、もしかすると修道士になることに導くかもしれない。しかし、修道士になったとしても、修道院の日常業務(ルーティンワーク)のために自分の魂のことを忘れてしまうようになるまでは、幸福にはなれないだろう。彼が宗教のおかげで得られたとする幸福は、やむをえず交差点掃除人(注:crossing sweeper 当時のロンドンにはこのような職業があったそうです!)になっていたとしても得られたことだろう。極端に自己没入しており、他のいかなる方法でも治療のしようがないような不幸な人びとにとって、外(面)的な訓練こそ幸福に至る唯一の道である。  
(And every external interest inspires some activity which, so long as the interest remains alive, is a complete preventive of ennui. Interest in oneself, on the contrary, leads to no activity of a progressive kind. It may lead to the keeping of a diary, to getting psycho-analyzed, or perhaps to becoming a monk. But the monk will not be happy until the routine of the monastery has made him forget his own soul. The happiness which he attributes to religion he could have obtained from becoming a crossing-sweeper, provided he were compelled to remain one. External discipline is the only road to happiness for those unfortunates whose self-absorption is too profound to be cured in any other way.)

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