土曜日, 2月 16, 2008

備忘録(2008.02.16)







本日公共図書館で借りたもの
1)谷沢永一『完本・紙つぶて』(文藝春秋,1978年8月刊)
・本に関する本(『大阪読売新聞』夕刊の書評欄に1969年3月25日から1972年10月まで139回にわたって連載された書評コラムと、その後『電波新聞』文化欄に掲載された続編をあわせて1冊の本にしたもの)
2)尾崎真理子『現代日本の小説』(2007年11月刊/ちくまプリマー新書)
・著者は、読売新聞東京本社の文化部次長で、約10年にわたって月1回の文芸時評を担当。
(目次)第1章 1987年、終わりの始まり/第2章 村上春樹のグローバリゼーション/第3章 変容する創作のシステム/第4章 パソコンから生まれる新感覚/エピローグ
3)鐸木能光『シンプルに使うパソコン術-傑作フリーソフトでつくる快適環境(講談社ブルーバックス,2007年8月刊』)
・著者は、小説家で作曲家のたくき・よしみつ氏(1955年生まれ)
4)岡崎武志『文庫本雑学ノート二冊目-文庫王のごひいき文庫ものがたり』(ダイヤモンド社,2000年5月刊)
5)『おもしろ図書館であそぶ-専門図書館142館完全ガイドブック』(毎日新聞社,2003年3月刊)
・巻頭インタビュー:井上ひさし「図書館は専門化していくべきなのです。/井上ひさしの私設図書館である「遅筆堂文庫(2003年現在約13万冊の蔵書)」の紹介もあり

6)(ビデオ)『男はつらいよv.8:寅次郎恋歌』(原作・監督=山田洋次/マドンナ=池内淳子/ロケ地=岡山県備中高梁/封切り日=昭和46年12月29日)

備忘録(2008.02.16)

本日公共図書館で借りたもの
1)谷沢永一『完本・紙つぶて』(文藝春秋,1978年8月刊)
・本に関する本(『大阪読売新聞』夕刊の書評欄に1969年3月25日から1972年10月まで139回にわたって連載された書評コラムと、その後『電波新聞』文化欄に掲載された続編をあわせて1冊の本にしたもの)
2)尾崎真理子『現代日本の小説』(2007年11月刊/ちくまプリマー新書)
3)鐸木能光『シンプルに使うパソコン術-傑作フリーソフトでつくる快適環境(講談社ブルーバックス,2007年8月刊』)
4)岡崎武志『文庫本雑学ノート二冊目-文庫王のごひいき文庫ものがたり』(ダイヤモンド社,2000年5月刊)
5)『おもしろ図書館であそぶ-専門図書館142館完全ガイドブック』(毎日新聞社,2003年3月刊)
6)(ビデオ)『男はつらいよv.8:寅次郎恋歌』(原作・監督=山田洋次/マドンナ=池内淳子/ロケ地=岡山県備中高梁/封切り日=昭和46年12月29日)






備忘録(2008.02.16)

本日公共図書館で借りたもの







1)谷沢永一『完本・紙つぶて』(文藝春秋,1978年8月刊)
・本に関する本(『大阪読売新聞』夕刊の書評欄に1969年3月25日から1972年10月まで139回にわたって連載された書評コラムと、その後『電波新聞』文化欄に掲載された続編をあわせて1冊の本にしたもの)
2)尾崎真理子『現代日本の小説』(2007年11月刊/ちくまプリマー新書)
3)鐸木能光『シンプルに使うパソコン術-傑作フリーソフトでつくる快適環境(講談社ブルーバックス,2007年8月刊』)
4)岡崎武志『文庫本雑学ノート二冊目-文庫王のごひいき文庫ものがたり』(ダイヤモンド社,2000年5月刊)
5)『おもしろ図書館であそぶ-専門図書館142館完全ガイドブック』(毎日新聞社,2003年3月刊)
6)(ビデオ)『男はつらいよv.8:寅次郎恋歌』(原作・監督=山田洋次/マドンナ=池内淳子/ロケ地=岡山県備中高梁/封切り日=昭和46年12月29日)

月曜日, 2月 11, 2008

備忘録(2008.02.11)






JR西川口駅東口前のBOOK-OFFで本日購入した本
・いずれも1冊105円
1)柳美里『石に泳ぐ魚(改訂版)』(新潮社,2002年10月刊)
・『新潮』1994年9月号に発表されたものは、小説のモデルの一人から出版差し止めの訴訟があり、柳氏と新潮社は敗訴。そこで、差しさわりのある部分は削除・訂正され、出版されたものが本書である。ザット見たところ、p.71にあった、ラッセルの『幸福論』についての記述はなくなってしまったおうである。
2)土屋賢二『われ大いに笑う、ゆえにわれ笑う』(文春文庫,1999年4月刊)
3)土屋賢二『哲学者かく笑えり』(文春文庫,2001年12月刊)

日曜日, 2月 10, 2008

備忘録(2008.02.10)






本日BOOK-OFFさいたま円正寺店で購入した本(いづれも1冊105円)
・郊外の、しかもわかりにくいところにあるため店に到着するまでに、また帰宅するまでにものすごく時間がかかってしまった!
1)土屋賢二『ツチヤの軽はずみ』(文春文庫、2001年10月刊)
・『週刊文春』連載エッセイを文庫化したもの
2)林望『イギリスはおいしい2』(文春文庫、2001年12月刊)
・『りんぼう先生、ディープ・イングランドを行く』を文庫化にあたり、改題したもの
3)鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』v.1~3(秋田文庫,1984年刊)
・懐かしいハチャメチャなギャグ漫画

土曜日, 2月 09, 2008

備忘録(2008.02.09)






本日公共図書館で借りた本

1)ブライアン・マッカーサー(著),大谷堅志郎(訳)『我が言葉を聴け-歴史をつき動かした50人のカリスマ』(講談社,2004年1月)
・pp.144-150:バートランド・ラッセル-私たちは死の道を選ぶのか(1954年12月30日、BBC放送演説から)」
2)『私の履歴書-昭和の経営者群像(2)』(日本経済新聞社,1992年)
・鹿島守之助のところに、ラッセルを愛読したとの記述あり。下記の引用を参照。
3)岡崎武志『文庫本雑学ノート』(ダイヤモンド社,1998年)
・続編があり。

『私の履歴書-昭和の経営者群像(2)』から引用
(p.97)英国のバートランド・ラッセルの哲学はドイツ哲学にくらべると非常にわかりやすく、ラッセルの本はたいてい読んだ。そのうち強く印象に残っているのは、ラツセルが人間としては本能と知性と霊性の三つの結合が望ましい生活だといっていることである。普通の人は本能と知性だけで生きている。損得の勘定や動物的な本能だけで、霊性すなわち魂の問題にふれないような生活は人問ではない。そうかといって本能を全く押えた僧侶のような生活も望ましいものではない。本能と知性と霊性の三つが融合されねばならぬ。私は現在もそう思っている。それからまたラツセルは、人間の欲望を所有欲と創造欲に分けて後者を尊しとしている。私にはたとえば骨董を集めるとか、そういう所有欲はほとんどない。それよりも創造していく、人類に新しい価値を与えていく、これが尊い生活だと思っている。この創造の哲学はベルグソンの哲学と相通ずるわけだ。創造の生活、これほど尊いものはない。(注:ベルグソンの創造の哲学と一緒にするところはおおざっぱすぎますが、学者ではないので仕方ないところでしょうか。)

土曜日, 2月 02, 2008

備忘録(2008.02.02)






本日公共図書館で借りたもの

1)『東京古本とコーヒー巡り』(交通新聞社、2003年3月刊/散歩の達人ブックス「大人の自由時間)
・写真多数
2)牧眞司『ブックハンターの冒険-古本めぐり』(学陽書房、2000年4月刊)
・ビックハンターの本探しの日記。扉の献辞が面白い:「この本を妻・紀子にささげる-本書の印税はすべて古本代にあてられることになっている。君にあげられるのは献辞だけだ。あしからず。」
3)橋本治(文),田中靖夫(絵)『絵本徒然草』下巻(河出書房新社、1993年6月刊)
4)(ビデオ)『男はつらいよ・第7作ー奮闘篇』(原作・監督=山田洋次、マドンナ=榊原るみ、ロケ地面=越後広瀬、沼津、青森県鯵ケ沢、封切り日=昭和48年4月28日)

土曜日, 1月 26, 2008

備忘録(2008.01.26)





本日公共図書館で借りた本
1)土屋賢二『ツチヤ教授の哲学講義』(岩波書店、2005年12月刊)
2)阿刀田高『夜の旅人』(文春文庫、1986年刊)
・東京ゲーテ記念館の粉川忠氏の伝記小説
3)『(できる大事典)HTML&CSS:HTML4.01&HHTML1.1 CSS2対応』(インプレスジャパン、2006年5月刊)
・約800ページの大冊

土曜日, 1月 19, 2008

備忘録(2009.01.19)





本日公共図書館で借りたもの
1)土屋賢二『ツチヤ学部長の弁明』(講談社文庫、2006年10月)
2)橋元治(文)、田中靖夫(絵)『絵本徒然草』上巻(河出書房新社、1993年6月)
3)思想の科学研究会(編)『「思想の科学」50年の回想-地域と経験をつなぐ』(出版ニュース社、2006年8月刊)
4)『入門Wiki』(毎日コミュニケーションズ、2006年7月)
5)(NHK-DVD)『古典落語名作選』v.4(春風亭柳橋・六代目「こんにゃく問答」、金原亭馬生・十代目「笠碁」、桂小南・二代目「三十石」、橘屋〓蔵・八代目「寝床」)
6)(VIDEO)溝口健二監督作品『西鶴一代女』(新東宝ビデオ)
7)(VIDEO)『男はつらいよ』v.6「純情篇」(松竹ホームビデオ/マドンナ=若尾文子、ロケ地=長崎県五島列島福江島、封切日=昭和46年1月15日)


(2008.01.20追記)
土屋賢二『ツチヤ学部長の弁明』
(p.37)土屋氏の執筆活動は、五十歳のとき、ユーモアエッセイ集『われ笑う、ゆえにわれあり』を出版したときに始まる。氏のエッセイは、職場や家庭での苦しみを赤裸々に綴ったもので、同じ境遇にある少数の読者の共感と多数の人々の反感を呼び、続編を何冊か執筆したが、いずれも売れ行きは伸び悩んだ(←もちろん、これは冗談)
(p.58)普通の母親は、食事の時、肉や魚のいいところは夫や子供に食べさせ、自分は一番悪いところを食べるものだ。そして、自分ひとりになると、特上寿司をとるものだ。

土曜日, 1月 12, 2008

備忘録(2008.01.12)

本日図書館で借りたもの





1)筒井康隆(選)『人間みな病気』(ランダムハウス講談社、2007年11月刊)
・筒井氏が、ランダムハウス講談社編集部から、「気色の悪い話(小説)を集めてくれ」と言われ、面白そうだと引き受け編集したもの(収録作品例:内田春菊「田中静子14歳の初恋」及び「今月の困ったちゃん」、遠藤周作「役たたず」、坂口安吾「精神病覚書き」、筒井康隆「ポルノ惑星のサルモネラ人間」、島田雅彦「未確認尾行物体」。)
2)(NKH-DVD)『古典落語名作選』其の二(三遊亭〓生・六代目「八五郎出世」、三笑亭司楽・八代目「今戸焼」、三遊亭〓歌・三代目「品川心中」、入船亭扇橋・九代目「ねずみ」)
3)溝口健二監督作品『雨月物語』
(4)『男はつらいよ』第5作「望郷篇」(マドンナ=長山藍子、ロケ地=千葉県浦安、北海道札幌・小樽、封切日=昭和45年8月26日)

金曜日, 12月 28, 2007

備忘録(2007.12.28)






地元の図書館は今年は今日まで開館ということで、今日は年休をとって図書館へ。

本日借りたもの
1)『徒然草』(角川ソフィア文庫、2002年1月刊/ビギナーズ・クラシックス)
2)『図説・日本の近代遺産』(河出書房新社、2007年9月刊)
3)(NHK-DVD)『古典落語名作選』その3(三遊亭金馬「薮入り」、三遊亭〓遊「浮世床」、林家正蔵「中村仲蔵」、桂歌丸「お化け長屋」
4)同上その4(三遊亭〓生「火事息子」、雷門助六(八代目)「長短」、春風亭柳朝(五代目)「宿屋のあだ討ち」、山笑亭夢楽「反省魂」)

日曜日, 12月 23, 2007

備忘録(2007.12.23)

昨日公共図書館で借りた本





1)松岡正剛『知の編集工学』(朝日新聞社、1996年8月刊)
2)アラン・S.ミラー他『女が男を厳しく選ぶ理由』(阪急コミュニケーshジョン、2007年8月刊)
3)沢村貞子『私の浅草』(埼玉福祉会、昭和58年/大型活字本)
・底本=暮らしの手帖社刊『私の浅草』
・大きな写真追加した「豪華・大型本」と勘違いして借りたところ、弱視者用の「大型活字本」であった。
・本書は、第25回日本エッセイスト・クラブ賞受賞作であり、『貝のうた』とともにNHK朝の連続テレビ小説「おていちゃん」の原作となったとのこと。
4)藤井旭『(一日一話の星空案内)星空を見上げて365日』(誠文堂新光社、2007年10月)

★沢村貞子『私の浅草』(装画=花森安治)
・浅草界隈に暮らす庶民の日常生活を活き活きと書き記した自伝的随筆約70篇(例:あたりみかん、銭湯、初詣、駄菓子屋騒動、たかが亭主の浮気、物売り、浅草娘、お花見役者、化粧、三社祭、ほおずき市、ヘチマの水、五黄の寅、萬盛庵物語、宮戸座、花屋敷のあたり、役者ばか、・・・)。当時の下町の(春夏秋冬、各月の行事や風習など)1年の暮らしぶりや風情を垣間見ることができる。
(p.76)観音さま附近、伝法院の庭、花屋敷の前の茶畑など、あっちこっちに空地があったのは、しあわせだった。
(p.90)浅草では、堅気の女はほとんど化粧をしかなった。土地柄で、水商売の女と毎日顔を突き合わせて暮らしているけれど、その濃化粧をうらやむもしないし軽蔑もしない。厚すぎる白粉も、赤すぎる口紅も、商売上のこと、と知っているからだった。だから、色を売らずにすむ女は、ヘチマの水で叩くぐらいがちょうどいいとこ、それ以上のお化粧は、味噌汁が白粉くさくなる、といやがった。
(p.97)(母は)「寝るほど楽があるなかに、浮世のバカが起きて働く・・・」とつぶやくくせに、夜が明ければもう、さっさとタスキをかけて、台所に立っていた。なぜそんなに働くのか、と聞けば、「こんにちさまに申し訳がないからさ」と、いとも答えた。
(p.237)この原稿を書き続けている間、何度も浅草へ出かけました。昔、お世話になった方たちや、幼馴染にもおおぜいお逢いして、遠い日の思い出を語り合い、時間を忘れる楽しいひとときをすごすことが出来ました。





★2008.01.06追記
アラン・S.ミラー他『女が男を厳しく選ぶ理由』
・(ダーウィニズムを基礎とし、発展しつつある)「進化心理学」によって、人間の本性(人間性)を解明しようとする意欲的な試み。進化心理学の啓蒙書あるいは入門書となることを目指して本書は執筆されている。遺伝子レベルにおける人間の繁殖行動が基本的動因となって、人間や社会の営みがなされているという基本的な考え方のもと、いろいろな人間や社会の現象を説明しようとしている。この考え方でかなりのものがそれなりに(合理的に)説明できるが、あくまでも仮説であり、大きな錯誤がないとは断言できない。本書においては、社会科学的な説明は、一応すべて排除し、進化心理学で可能な限り説明しようとしている。学問においては、それは正当な方法ではあるが、危険もいっぱい存在している。下記の引用にあるように、(事実を語っているだけで価値判断を下しているわけではないと主張しながら)強いもの(国家でいえばアメリカ、社会で言えばマネー・ゲームの勝者)が世界を支配するのは「自然なこと」であるということを暗に主張することにもなりかねない。
 以下、備忘録的にいくつか引用しておく。
(p.10)人間の行動を決定するのは、生まれ持った本性、それに各人の個人的な体験と育ってきた環境である。いずれも私たちの考え、感情、行動を大きく左右する。この本では、体験と環境の影響はほとんど無視して、人間の本性を重点的に扱う。これには理由がある。
(p.13)・・・。学者、とりわけ社会科学者にはリベラルな左派が多く、進化心理学の学問的な議論では自然主義的な誤謬おりも、道徳主義的な誤謬のほうが大きな問題となる。大半の学者は自然主義的な誤謬をおかすことはまずないが、道徳主義的な誤謬にはしばしば足をすくわれる。(自然主義的な誤謬とは、「~である」から「~であるべきだ」へと論理的な飛躍をすることであり、道徳主義的な誤謬とは、「~であるべきだ」から「~である」へと論理的な飛躍をすること)
(p.21)標準社会科学モデルの原則4:・・・、まっさらな書字板に文字が書かれるように、人間の本性は誕生後に形づくられることになる。標準社会科学モデルは、この人間形成を生涯にわたって続く社会化のプロセスとみなす。
(p.27)進化心理学の原則1:人間は動物である。/原則2:脳は特別な器官ではない。進化心理学にとって、脳は、手や膵臓と同じように人間の体の一部にすぎない。
(p.31)・・・。私たちの脳は、祖先の環境になかったものや状況を理解できず、私たちはそのうした状況に必ずしもうまく対処できない(←過去1万年の間に人間は急速に進化したために、あるいは環境を激変させてしまったために・・・)。
(p.33)私たちの脳は、食べ物がなかなか手に入らず、いつ手に入るか予測できない狩猟採集生活を今も続けているともりでいる(←裕福なアメリカ人などがなぜ健康に悪いような肥満になるかというと・・・)。
(p.145)子どもが生き残り、性的に成熟するには、父親ではなく母親が長生きして、子どもを物質的に支えることが重要になる。女が男と比べてリスクを回避する傾向が強いのはこのためだと、キャンベルはいう。
(p.159)男は20代初めまではライバルと競争し、勝とうとするが、子どもの誕生をきっかけに、そうした衝動は衰える。結婚し子どもができると、男性科学者は昼夜を問わず実験室にこもりたい気分ではなくなるし、男性の犯罪者は大きな危険を冒してまで違法行為をしようとは思わなくなる。・・・。進化心理学で言えば、目的は繁殖の成功(結婚と子どもの誕生)である。男がすることは、犯罪であれ科学研究であれ、すべてこの究極の目的を達成するための手段なのだ。
(p.193)そのため、一夫多妻制の下では、男同士の競争が激化する。とくに地位の低い若い男は、地位の高い年長の男が多くの妻めとっていれば、繁殖機会をもてない可能性がたかくなるため、死に物狂いの競争に灰sる。・・・。一夫多妻の社会では殺人やレイプなど暴力犯罪の発生率が高いことがわかっている。このように、イスラム社会では、一夫多妻であることが、自爆テロ犯を生み出す一つの誘引になっている。・・・。(p.194)一夫多妻に加えて、若い男を自爆テロに駆り立てる重要な要因は、コーランに書かれた約束である。殉教者は天国で72人の処女妻に迎えられるというものだ。これは、地上で繁殖機会を奪われた若いイスラム教徒の男にとって、自爆テロに走る強い動機付けとなる。

日曜日, 12月 16, 2007

備忘録(2007.12.16)

昨日公共図書館で借りたもの




1)四方田犬彦『人間を守る読書』(文藝春秋、2007年9月)
・四方田氏によれば、「人間を守る読書」というのは、ジョージ・スタイナーが言っていた言葉であり、「アウシュヴィッツの絶滅収容所の所長が夕べにはリルケの詩を鑑賞し、朝になるとガス室へ出勤していた」という事実を前に、人間は文化を再定義しなければならないとのスタイナーの思いに由来するとのこと。本書は、第1章「生のもの」(最近のもの)、第2章「火を通したもの(時間が経過してある程度評価が定まったもの)」、第3章「発酵したもの」(評価が定まって古典になったもの)、第4章「読むことのマニアのための100冊」の4章構成となっている。他人に対し不寛容になってきている現代日本。書物を読むということは、他人の声に耳を傾けることであり、今こそ必要だと著者は主張する。
(p.11)わたしにとって書物を読むということは、実際にその場所に足を踏み入れることと平行した、対等な行為なのであって両方とも不可欠なのです。(即ち、四方田氏は、旅行に行く前と行った後にその土地に関する本をたくさん読んでいるとのこと)
2)『(NHK)古典落語名作選(DVD)』其の一(NHKソフトウェア、c2002)
・古今亭志ん生(五代目)「風呂敷」、古今亭今輔(五代目)「もう半分」、桂文治(十代目)「源平盛衰記(パロディ版)」、三遊亭〓弥(えんや)「七段目」
3)(ビデオ)「(新)男はつらいよ」第4作(原作=山田洋次、監督=小林俊一/マドンナ=栗原小巻/ロケ地=とウイキョウ葛飾柴又/封切日=昭和45年2月27日)

土曜日, 12月 08, 2007

備忘録(2007.12.08)

本日公共図書館で借りたもの
1)テオニ・パパス(著)、ピーター・フランクル(監修)『ねこでもわかる数学-ペンローズの不思議な冒険』(PHP、2003年8月刊)
2)『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか-親日家8人からのメッセージ』(明石出版、2006年2月刊)
3)早稲田大学理工学部(編)『理工文化のすすめ-早稲田大学理工学部自主挑戦科目「理工文化論」講義』(東洋経済新報社、2002年2月)
4)桂文珍対談集『世界万華鏡はいかが?』(潮出版社、1993年6月刊)
5)「男はつらいよ(フ-テンの寅)」v.3(マドンナ=新珠三千代/ロケ地=三重県四日市市、湯ノ山温泉/封切日=昭和45年1月15日)

(2007.12.09追記)




★『世界万華鏡はいかが?』
・桂文珍が日本人びいきの外国人13人と対談した記録を本にしたもので、最初の対談者がピーター・フランクル
(p.24)一度、僕は中曽根総理の教育に関する演説を聞いて、すごいショックを受けたことがあるんです。中曽根さんは、「難しいことなんか教えなくていい。先輩や両親を尊敬する程度でいい。」といっていた。たしかに、それで十年や二十年は困らないでしょうが、五十年先、百年先のことを考えたら、今よりずっと教育を優秀にして、国民の能力をあげなければいけない。でないと、これから出てくる機械はもう自分で使いこなせなくなりますよ。

★『理工文化のすすめ』
・オウム真理教徒のなかに理工系の人間が多かったことやバブルが崩壊して日本の発展が10年以上止まったことなどを契機に、理工系の人気がかなり下がってしまった(学生の応募も減ってしまった)。しかし、今後日本が延びていくためには、理工系の文化を普及させることが大事だとして、早稲田大学理工学部は本書を編集した。10人の講義録が収録されているが、ピータ・フランクルの講義「生活の中の数学・英語の数学的勉強法」は本書の最初にあげられている。
(p.3-4)第二次世界大戦中に米国で300万人の召集兵に対し梅毒検査をおこなわなければならなかったが、ひとり検査するのに約1ドルもかかった(当時の物価では1ドルでコーラ20本が買えた)ので、工夫してかなり経費を削減できた(方法:300万人を10ずつのグループにわけ、それぞれ10人の血液を混合し、梅毒検査をし、ひっかかったグループに対してだけ、全員の検査を行った→実際の検査は1/10ですんだ。)
(p.6)・・・。僕がいろんな国で自由に活躍できたのは、世界各国どこへ行っても同じ数学を自分の専門として選んだからなのです。だから(両親の職業と一緒の医者にならずに)数学者になって本当によかったと思います。

『なぜニッポン人は美しい風習を捨てるのか-親日家8人からのメッセージ』

ピーター・フランクル「日本人はそろそろ「足る」を知るべきだ」
・日本及び日本人は、近年自信をなくし、マイナス思考に陥っており、いい目を見ている人間の足を引っ張ることばかりやっている。
(p.100)日本人は、アメリカ人には劣等感を抱き、その裏返しでアジア人に優越感を抱いている-今の日本人は、ぼくの目にはそう映る。これはとにかくナショナリズム(やあやまった愛国心)が悪い。
(p.111)かつての一億中流も、いまでは「勝ち組」「負け組み」というアメリカ的な思想に完全に変わっていった。それはとても残念だ。
(p.113)アメリカでは、一人勝ちしたら家を売り払って別の土地に引っ越して暮らすという構図だから、人間関係で悩む必要はない。新しい引越し先でさらにお金を稼いだら、さらに別の土地に引っ越すし、失敗したら元の場所の戻ったりする。アメリカの場合、人間関係は消耗品だ。だから大事ではない。大事なのは自分自身であり、自分と神の関係だ。なぜならアメリカ人はけっこう信仰心が篤いから。逆に、信仰が篤いから他の人間との関係はそんなに必要としない。だから同じ宗教、同じ教えの団体における人間関係は、直接の人間関係ではなく、同じ神を同じように崇拝するという人間関係になる。・・・。日本人はそうではなく、幼馴染や同窓会、郷土愛がある文化。だから一割か二割成功し、残りの九割や八割はどんどん生活がきつくなるといった環境はこのましくないのだ。




(p.115)そうした社会環境を変える方法は、求めることだと思う。日本とアメリカが対象的であることの一つに、何を重んじるのかということがある。つまり、結果を重んじるのか、それとも過程を重んじるのか。/アメリカの考え方では、いくら苦労してもどんな手段を講じてもいいから、とにかく勝つべきである。だからヒロシマ、ナガサキに原爆を落としたことに関してアメリカ人は罪の意識をもっていない。それによって戦争が早く終わったのだから、意味のあることをしたと思っている。原爆を投下されて多くの人が死んだり、苦しんだり、あるいはいまだに原爆症の後遺症に苦しんでいる人たちが大勢いるということは関係ない。結果だけが大事なのだ。/一方、日本人は本来、過程を重んじる文化である。そのことをぼくに最もわかりやすく説明してくれるのは茶道だ。結果だけを見ると、茶の湯のわずかの量の抹茶を飲んで、小さな和菓子をだべるだけで、たいしたことはないじゃないか。だが実際は、茶室に入り、・・・。そこにあるのはまさに過程であって、結果ではない。

土曜日, 12月 01, 2007

備忘録(2007.12.01)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『学力を伸ばす親力ー今すぐできる家庭教育の34のヒント』(実業之日本社、2005年9月刊)
2)小森健太朗(作)『駒場の七つの迷宮』(カッパノベルス、2000年8月刊)
・東大駒場寮は最近取り壊され、コミニケーションプラザやキャンパスプラザなどが新しく建設されたので、昔の面影はない。
3)(ビデオ)『男はつらいよ』v.2(マドンナ=佐藤オリエ;ロケ地=京都及び三重県拓殖/封切日:昭和44年11月15日)


★2007.12.02追記




昨日と本日の2日で読了(カッパブックス上下2段組で312ページの長編)
・私自身は比較的面白く読むことができた。しかし、東大関係者(特に駒場関係者)には興味深くよめるであろうが、学外者にはどうであろうか?(東大に強い関心をもっている人であれば別であろうが・・・。) アマゾンの書評(一つだけ書評が掲載されているがコメントする人は今のところゼロ)には、「本格トリックの醍醐味を十分に堪能できる傑作。特に女子高校生の自殺事件の真相はこの作者でなければなしえないトリック。目から鱗が落ちるという表現がこれほどぴったりくるのも珍しい。 」と手放しの賛辞をしているが、東大の某学生は、以下のように酷評している。
 http://nyaiki2.blog16.fc2.com/blog-entry-429.html
フィクションであるからどのような奇抜なストーリーでもかまわないわけであるが、探偵小説の場合は、事実としてありそうもないことはやはりしっくりいかない。(まずい例:たとえば、皆川博子のある小説で、1970年にJALのジャンボジェットに搭乗したと書いてあるが、1970年にはまだ日本の空をジャンボは飛んでいなかった。) この小説でも3ケ所ほど違和感がある記述があった。1つだけ例に挙げれば、下記のような記述。20年以上前の1984年の頃は、個人情報に対する考えが甘かったとはいえ、大学の公的なデータベースに「学生個人の信じている宗教や犯罪歴などのデータが入力されていることはありえないはずである。
[引用:・・・。こないだたまたまね、セキュリティシステムを一つ破って、一段奥の情報網にアクセスできたのよ。・・・。親族の犯罪歴の有無、入信している宗教の情報、・・・。]

(2007.12.04 追記)




★『学力を伸ばす親力(オヤヂカラ)ー今すぐできる家庭教育の34のヒント』
・ますます日本人以上に日本のことに詳しくなりつつあるピーター・フランクル。本書で彼は、子供の教育や躾において、日本人の親は、何をどうすればよいか、様々な提案をしている。
 子供の教育を考えるにあたって、今後の日本がどうなっていくかの見通しは重要。今後日本は、次のようになっていくとピーターは言います。
(p.18)どちらかというと、ほとんどの人が40歳ぐらいになると生産性が上がらなくなるので、給料は下がるのではないかと思います。つまり、中高年の人の可処分所得はどんどん減る時代になるのです。
(p.20)では、これからはどんな時代なのでしょうか。ぼくは、何かを新しく構築する時代ではなく、メンテナンスしながら活用する時代だと思います。
(p.21)資源、それによって消費できる物が限られてくる21世紀には、もっと内面的な消費、知的な消費を通して幸せになるべきです。
(p.186)繰り返しますが、外国語を上達するためには、どうしても自分で読み書きする必要があります。ぼく自身も近年、日本語が急速に上達したきっかけは自分で文章を書くようになったからです。最初はとても苦労しました。400字詰原稿用紙を一枚書くのに2時間もかかったのです。漢字を一つ一つ調べたり、自分の考えをうまく表現する言葉を探したり、大変な苦労が必要でした。しかし、この段階を踏まなければ、外国語の学習は決して先には進めません。このように、外国語の学習では一人で行う作業がとても大事なのです。(英会話学校にいってもあまり進歩しないことがあるのはそのせいです。)
 そのような日本及び日本人にとっては、勤勉だけでなく、もっと個性を大事にして、自由に生きることを学ばなくてはならない。たとえば、以下のようなことは参考になる。
(p.23)父が母と結婚したのは40歳を過ぎてからであり、ぼくが生まれた時には45歳でした。父は結婚するまで、ハンガリーの首都ブタペストに住んでいました。・・・。でも、母と結婚して家庭をもうけようとした時に、家族と過ごす時間を最優先させるため、ぼくが生まれた人口5万人の田舎町、カポシュバールに引っ越したのです。勤務先の病院は、家から歩いて10分もかからなかったし、ぼくの通った小学校、中学校、高等学校は、どれも歩いて5分のところにありました。
(p.25)どんなに親が忙しくても、週末だけでも、あるいは毎朝のわずかな時間だけでも、子どもと一緒に過ごす時間を作ることができるはずです。そしてその時間は、積極的にわが子と会話をすべきです。すると、親子の絆が強くなるのはもちろんのこと、子どものさまざまなことを伝えられて、必ずよい影響を与えることができるでしょう。
(p.43)時間はおそらく人間にとってもっとも重要な資源です。そして貧富の差はありません。総理大臣でも国王でも庶民でも、一日は24時間で、一時間は60分で、一分は60秒です。子どもの人生は、大人よりもとても長いのです。だから、その資源を子どもたちがどれだけ有効に利用できるかによって、将来の人生は大きく左右されます。この大切な資源の有効活用を、子どもにもっと強く伝えるべきです。
 それから、日本人に対し、次のようにもっと広い視野をもてと提言します
(p.52)もうそろそろ、国語を日本語と読んでいい時代ではないでしょうか。
(p.54)ただ、日本のすべての子どもに「富士山が日本一美しい」という考えを押し付けてほしくありません。自分の地域の里山が一番美しいと思っている子どもの気持ちを奪ってほしくないのです。
(p.55)また、地元で採れる野菜や魚、その地方の名物に親しむべきなのです。全国チェーンの店が広がって、均一的な料理を子どもが一番おいしいと思っていることは、とても残念なことだと思います。

金曜日, 11月 23, 2007

備忘録(2007.11.23)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『よい日本、だめな日本』(扶桑社、1998年2月刊)
・本書は、産経新聞の「異文化フォーラム」、東京新聞「言いたい放題」、週刊読売「ピーター・フランクルの週刊ジパング情報」に連載されたものから抜粋し、加筆・修正して編集したもの。
2)同上『美しくて面白い日本語』(宝島社、2002年2月刊)
3)左近司祥子『ソクラテスになった猫』(勉誠出版、2005年10月刊)
4)『詳解HTML&XHTML&CSS辞典』(秀和システム、2005年2月)


(同日追記)
★『よい日本、だめな日本』
・この前読んだ『ぼくが地球であった愉快な人たち』だったか、何篇かは重複している。新聞に掲載されたものであるため、どれも2ページほどの短いエッセイであり、気楽に読める。
(p.18)日本の問題はその間、つまり6歳と60歳の間の年齢層である。その時まで楽しく学習してきた子供は、小学生になると突然勉強がつまらなくなる。原因はもちろん、日本の集団生活を重んじる学校制度にある。ランドセルや通学路をはじめ、すべてがきめ細かく決められ、しかも学校で過ごす時間も欧米より永井。子供の個性と一緒に、その興味や好奇心も撃ち殺されていく。明治時代の遺産であるこの軍隊主義教育の結果、高校卒業の時は既に、型にははまった人間ができあがっている。このような、命令に逆らわない人材は確かに企業にとっては扱い易い。
(p.42)人間は独りでいて孤独に耐え、自分のこと、人生、世界のことをじっくり考えるのが、精神的に成長するために非常に大切である。しかし、子供の時から学校や塾で過ごす時間の極めて長い日本人は、独りでいることが苦手である。一例をあげると、フランス人は基本的に喫茶店で待ち合わせをする。先に着いたほうは、他の客を見たり外の景色をみながらあれこれ考えながら時間をつぶす。しかし、日本人の場合、外で待ち合わせをすることが多い。たった5分の時間をもてあまし、飛びつくように携帯電話か公衆電話からだれかに電話をかける。
(p.93)・・・。だから学校で正しい歴史観を教えてもらいたい。そのためにも日本史と世界史を分けないほうがよい。
(p.171)(思考も感情も)ストレートの国、アメリカにも住んでみた。スポーツをたくさんしているせいか、健康にあふれた、立派な体の持ち主である女性が多かった。でも、友達になってからも、男女対立が続く。表面的な討論は、すぐ喧嘩になり、男女間の壁がなくなるはずのベッドも、レスリング・マッチになってしまう。一緒にいる間は、リラックスできなくて疲れるのだ。

(2007.11.26追記)
★『美しくて面白い日本語』

・世界的な数学者にして世界を放浪する大道芸人(12ケ国語を話せる国際人・自由人)であるピーター・フランクルは、日本が気に入り定住するようになった。日本が気に入り、日本語を楽しみながら集中的に勉強するうちに、『美しくて面白い日本語』のような達意の日本語が書けるようになるとは驚きである。

(p.10)・・・。そんなことから、もう日本語を勉強する必要はないと考えるようになった。知らない単語が出てきたら、その都度、覚えれば充分だと思うようになっていた。そんな時期に、僕の人生を大きく変える出来事が起こった。それが『たけし・逸見の平成教育委員会』というテレビ番組への出演だった。
(p.177)当時から僕は渋谷に住んでいたけれども、賃貸アパートで、土地やマンションはとても変えなかった。近年は地価も大分下がり、三年前に(注:この本の出版が2002年であるので1999年のことか?)、バブル期の約七分の一の値段で土地を買って事務所を建てたが、決して投資目的ではない。税金が高くなるだけなので、地価が上がることを決して望まない。
(p.184)僕の子供の頃は、父に勉強を教えてもらったり、母と一緒に料理を作ったりした。とにかく、愛している人たちと一緒に長い休暇を過ごすということが大事なのだ。そのようが、精神的に裕福ではないだろうか。
(p.210)数学者であり大道芸人である僕が、考えてみればこの二つを除いて一番たくさんの時間をかけて勉強したのが日本語である。他にもいろいろ言語を勉強したけれども、ここまで徹底的に学んだものはなかった。

土曜日, 11月 17, 2007

備忘録(2007.11.17)


本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『ぼくが地球であった愉快な人たち』(講談社、1997年1月刊)
・本書は、増進会出版社(いわゆるZ会)の会員向け情報誌『Azest』に連載されたものに加筆し、書き下ろしたものを加えて1冊にしたものとのこと
2)『図説・古事記と日本の神々』(学習研究社、2007年7月刊)
3)[Video]『男はつらいよ』(原作・監督=山田洋次/マドンナ=光本幸子/ロケ地:京都、奈良/映画封切日:昭和44年8月27日/松竹ホームビデオ)
・中学の時に(父親と大喧嘩して)家出し、テキヤ家業(露天商)で20年放浪した後(両親と兄は死に、親戚の世話になっているたった一人の妹にあうために)故郷・柴又にもどってくる(寅さん)という不自然な設定。ビデオのジャケットには、「(この映画が放映されるや)寅さん旋風が起こり、以後シリーズ化、国民的ヒーローとして数知れないファンを魅了し続ける記念すべきシリーズ第1作」と書かれているが、40年近く経過した今から見ると、時代の経過による人々の考え方や感性の違いが実感される。寅さんのような人間は身近にいてもらいたくないが、それでも郷愁を感じるところもあり、くだらない映画と一刀両断に切り捨てる気にはなれない、といったところか。


★2007.11.18 追記
『ぼくが地球であった愉快な人たち』
・母国を含め15ケ国(東ドイツ、ポーランド、ソ連、スウェーデン、西ドイツ、バンングラデシュ、台湾、タイ、アメリカ、フランス、スペイン、ポルトガル、スイス、母国ハンガリー、日本)の放浪記。以下、引用
(p.21)ぼくがとくにロン(ロナルド・グラハム米国数学会会長にして、ジャグラー)から学んだのは、ものごとの習得法だった。それは、なんでも全体をいくつかの部分に分けて考えるとうまくいくということだ。こまかい部分の証明を積み重ね、最終的に全体を証明するという数学的で論理的な手法は、いろいろなことに応用できる。
(p.47)第一次大戦後、ハンガリーでも反ユダヤ主義が高まったとき、ユダヤ人はオール5でないと大学に進学してはならないという法律ができた。父の弟は高校時代にたった一つだけ4の科目があったため、進学できなくなった。
(p.49)(ハンガリーが)共産主義時代はみんなあんまり一生懸命に働かなかったから、ニ週間とか三週間の休暇をとることも可能だったが、資本主義経済のもと、働いただけお金になるようになると、みんな休暇もあまりとらなくなった。それにつれて、心にゆとりもなくなった
(p.149)多くの日本人は、一人でいることがすごく苦手のようだ。仕事や家庭環境の問題などで、一人でいる時間がなかなか持てないという事情もあろうが、ぼくの目には、日本人は一人になる機会を意図的に避けようとする傾向があるように見受けられる。しかし、それでは自分で決すべきこと、たとえば大切な自分の進路についてまで、周囲の意見に流されてしまいやすい。日本人は自分の意見を正面切って主張しないといわれるのも、そんなところに原因があるのではないだろうか。
(p.157)日本では、旅先でもみんながテレビから目を離せないらしい。携帯用のゲーム機を持参して、それに熱中している若者もいる。耳からウォークマンなどのヘッドホンをはずせない者もいる。こうした場面は、ぼくらには実に奇妙な現象に映る。非日常な雰囲気の中での新しい出会い、未知の人との交流のほうがずっと楽しいと思うのだが・・・。

土曜日, 11月 10, 2007

備忘録(2007.11.10)

本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『ピーター・フランクルの諸国漫遊記』(増進会出版社、1998)
2)ピーター・フランクル『旅ゆけば日本』(世界文化社、1994)


(2007.11.11)追記
★『旅ゆけば日本』(世界文化社、1994)

・本書の内容は、1992年4月~1993年3月まで、NHKの『ミッドナイト・ジャーナル』で放送されたピータによる取材に基づいたものであり、ピータはこの取材により、日本の全ての県でいったことのないところはなくなったよし。ピータの観察眼はするどく、日本の最近のタレントによる表面的な取材などは顔色なし。
(p.8)・・・。ところが向こう(NHKの某ディレクター)の意図は、そんな僕の密かな願望とはだいぶ異なるものだった。ディレクター氏が考えていたのは、僕を日本全国のさまざまな地域に送り込んで、その場所とそこで暮らす人々についてレポートさせる、という内容なのだった。
(p.67)一般に日本人は、一人ひとりはサービス精神が旺盛なのに、企業やお役所など組織の一員になったとたん、まるで正反対にドケチで柔軟性の欠如した人間になったしまうようだ。何をするにも上司の判断を仰ぎ、規則に外れた行いを恐れ、事なかれ主義に徹する人がほとんどだ。
(p.196)故郷ハンガリーで、僕は大学卒業後、25歳のときに兵役についたことがある。普通より短い半年で除隊を許されたものの、そこでの思い出はあまり良いものではない。だから日本の学校や企業で普通にみかけられる、こういった「命令一下で動く人々」に出会うたび、かつての軍隊生活を思い出し、違和感を覚えるのだと思う。
(p.226)ほぼ1年かけて、こうして日本各地を訪ねた結果、僕が足を踏み入れたことのない都道府県はもはやなくなった。もちろん以前にもずいぶんあちこちと回ったけれども、こんなにいろいろな職業の人たちに出会えた旅は初めてだ。そのうえ、彼らの仕事をほんの少しだが自分も体験させてもらえたことは、どんなにお金を払っても手に入らない宝を授かったような気持ちだ。

★『ピーター・フランクルの諸国漫遊記』(増進会出版社、1998)
(p.7)僕が日本で東京以外に住みたい町は二つある。一つは福岡、そしてもう一つは札幌だ。いいまでもなく、冬は福岡、夏は札幌で過ごせたら最高だ。この二つの町は交通の便も良く、訪れてみてとても楽しかったからだ。
(p.36)・・・。番組も最後に毎回、諺をひねって教訓を作っているのだが、この時は「人の振りみてわが振りなおせ」を「蜂の振りみてわが振りなおせ」とした。とかく働きすぎの日本人。蜂を反面教師として、もう少しゆっくりと人生を楽しんでほしい。
(p.60)父は母よりも19歳年上で、長崎を訪れた時も78歳という高齢だったが、その好奇心の旺盛なことは僕にも母にも見劣りがしないものだった。「それは何?」「そこには何と書いてあるの?」と絶えず質問をしていた。父の口癖は、「自分の財産は心と頭だけ」というもので、これは僕の座右の銘にもなっている。医者として働いてきた父は、自分の財産を築こうなどということには無頓着で、家も建てずに、亡くなったのも賃貸住宅だった。
(p.210)この本はZ会で続いている連載の、ほぼ二年分のまとめである。ここ数年、僕は講演会で全国津々浦々回っていて非常に誇りにしていることは、全国47都道府県すべてを4回以上訪れていることである。おそらくこう言える日本人は、そう多くないだろう。

日曜日, 11月 04, 2007

備忘録(2007.11.04)


本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『新ニッポン見聞録2:ニッポンたてヨコ斜め』(WAVE出版、1994年)
・前回借りたものの続編。本書の裏表紙の折込内側カバーに「超多忙のなか、テレビ出演、全国各地での講演会と東奔西走しながら、地元渋谷を中心にジャグリングを(大道芸として)披露」と書かれている。
2)セシル・ベルジュ著『世界の名作シネマを読み直す』(いそっぷ社、2007年7月)
・カラフルかつ簡潔な記述で面白そう。

(2007.11.05 追記)
★ピーター・フランクル『新ニッポン見聞録2:ニッポンたてヨコ斜め』

・ピーター・フランクルの好奇心はつきない。ピーターは人間の創造性や自由を非常に大切にする。したがってピータは、(日本という国家ではなく)日本人を愛しているが、個人の創造性や自由を抑圧する日本の官僚主義や日本の教育のあり方に手厳しい批判を加える。良い方向に、日本人自らが努力して、直していってほしいと切実に思う。
以下少し引用する。
(p.8)・・・。高校、大学が一生を通してつきあえる友人を作る大切な場になるのだ。友人を作るためには一緒に過ごす多くの時間が必要だからだ。日本にとって不利な点は、日本の学校は遅い時間まで授業があって、その後には塾などあって、集団で過ごす時間が多い。僕の考えでは、友人と一緒にいる時間こそ多く必要なのだ。
(p.12)僕は大学時代に、その人が何回自分の家に呼んでくれたかどうかで、本当の友人なのかを計ったことがある。大学だけで話をしたり、映画とかを一緒に見に行ったりしても、家に呼んでくれない人は単なる仲間。
(p.14)ところが最近、日本人の時間にかなりルーズな点に気がついた。確かに、打ち合わせにも取材にもきちんと時間通りに来る。けれどもあらかじめ約束した時間にはなかなか帰らない。・・・。
(p.45)・・・。早く食べると太るし、胃腸にかかる負担も多くなる。日本人の場合、西洋人と比べると胃がんが非常に多いが、理由のひとつに、日本人が急いで食べることにあるのではないだろうか。急いでしかも熱いものをそのまま食べれば、口の中ではそうは感じないかもしれないけど、胃の中は熱いに決まっているのだ。
(p.46)・・・。宗教が違った、生まれた国が違う友人を作れば、それだけで国際人になれる。
(p.82)僕はときどきおもうのは、日本人は普通の国の人よりも風邪をひく人が多い。その理由のひとつは、もしかすると、部屋にあまりヒーティングをかけないからではなかろうかと思う。
(p.164)僕が驚くのは、小学生や中学生はまだしも、高校生や大学生も全然質問しないことだ。私立学校など、親はかなり高い授業料を収めている。つまり、間接的であれ、親は先生を雇っているわけだ。そうであれば、子どもだって親を通してお金を払っているのだから、質問の権利があるとおもう。
(p.202)・・・。しかし、違う場所で講演するからといって、同じことを話すのは嫌で、それぞれに何か新しいことを話したいというのが僕の気持ちである。講演先の希望を取り入れて、毎回内容を工夫して作ろうとすると、さきほど書いたようなテーマが集中する勉強や教育問題について、自らいろいろ考えることになった。

土曜日, 10月 27, 2007

備忘録(2007.10.27)


本日公共図書館で借りた本
1)パトリック・デ・リンク著『西洋名画の読み方』v.1(創元社、2007年6月)
・西洋の絵画を「読む」あるいは理解するためには、キリスト教と西洋古典の伝統に理解が必要があるが、本書はそれらの理解の手助けをしようとするもの
2)ピーター・フランクル『(新装版)新ニッポン見聞録』(WAVE出版、1992年初刷、1993年6月に新装版)
3)E.クイーン(著)、井上勇(訳)『チャイナ橙の謎』(創元推理文庫)
4)『四字熟語ひとくち話』(岩波新書別冊n.10、2007年4月)

ピーター・フランクル『(新装版)新ニッポン見聞録』
・200ページほどの分量なので、本日4時間ほどで読了。
 ピーター・フランクルは、日本を深く愛しているが、端々で手厳しい日本「社会」批判をしている。個々の日本人というより、日本社会のあり方を批判しており、いずれも的確な批判である。褒められているところは日本人として心地よいが、自分たちのためになるのはむしろ批判されている部分である。以下、少し引用してみよう。

(p.29)いずれにしても、日本に来て、ぼくは初めて「自分の国」というものを発見したような気がした。そして、生まれて初めて、国のために何かしたいという気持ちが芽生えたのだ。それまでは、実に勝手な話だが、国というものは自分のために利用するものでしかないと考えていた。「日本のために何かしたい」--この本を書こうと決心したのも、そのためである。ぼくは、日本人には、「自信」というものが一番欠けていると思う。・・・。ただ、「自信をもつ」ということと「自慢する」ということは違う。「日本社会は優れているのだ」と自慢するばかりではいけない。・・・。
(p.52)ぼくは、トイレでお湯が出ないことと、豊かな国日本に潜在的に残る貧乏意識は、密接に結びついているような気がする。・・・。冷たい水で手や顔を洗わなければならないのは、決して快適なことではない。とりわけ冬場は水が冷たすぎて、ついつい手を洗うのを省略したくなってしまう。
(p.75)いずれにしても、即位の礼の時の「警備体制」で不愉快な思いをしたのは、ぼく一人だけではないはずだ。都内のあちらこちらがひっくり返され、調べられ、駅構内の自動販売機やロッカー、公衆電話は使用できなくなった。・・・。国民にそこまで大規模な迷惑をかけて大丈夫なのかと、逆に心配してしまったほどである。個人の自由を侵害するくらいなら、儀式そのものの規模を縮小させたほうがよいのではないか、と考えたのはぼくだけではないだろう。
(p.102)民主主義は外国から日本に移植されたが、多くの国民は、いまだに民主主義というのが何であるのかわかっていないような気がする。総理大臣や政治家よりも、本当は国民のほうがはるかに偉い。国民は政治家を(税金で)「雇って」いるのだ。税金を通して国民一人ひとりが、閣僚、政治家を雇っている以上、国民には当然のこととしてすべてを知り、判断を下す権利が委ねられているはずだ。
(p.117)日本では、個人が判断して決められる範囲がとても狭い。「責任」を逃れようとするあまり、個々人は言われたこと、命令されたことしかしようとしないのだ。そのことが、数々の無駄や不合理、タレントや部下の人形扱い、子ども扱い、軍隊のような上下関係の根本にある。
(p.141)要するに、頭は使えば使うほどよくなるのだ。科学の水準を比較すると、言語形態が複雑なところほど科学のレベルも高い傾向がある。たとえば、アメリカで数学の博士号を取得した人の半数を占めるのが、もともと漢字を使っている国の人、すなわち中国人、日本人、韓国人なのだ。また、西洋諸国で使用されている諸言語の中で、ハンガリー語は最も複雑な文法をもつ言葉のひとつ。そのためか、ハンガリーにはノーベル賞の受賞者がすでに11名もいる。子どもを甘やかし、漢字をなくすことによって負担を軽くしようとする動きは、必ずや日本の将来に悪い影響を及ぼすことになるだろう。
(p.157)ぼくは日本が好きだ。日本人も大好きである。ただ、日本の社会の形態そのもの、特に政治家や一般的に支配者階級と呼ばれる人々はどうしても好きになれない。まず第一に、これまでも述べてきたように、日本の政治はあまりに企業優先主義的である。弱い個々人を保護するよりも、強い企業を保護する傾向が強すぎる
(p.195)強引に塾に通わせ、劣等感を覚えさせるよりも、母親が側についてあげて、「どんなに成績が悪くても、あなたは私の最愛の息子よ」「気にすることはないわよ、マイペースでいきましょう」と声をかけてあげたほうがよほど効果がある。
(p.203)・・・。現在の日本社会は、上部の人間がなるべく管理しやすいように形づくられていて、そこから生じる弊害の責任も、そうした上層部の負うところが大きい。・・・。ただし、この先何十年も現在の社会が維持されるなら、それは上(層)部のみの責任ではなく、維持を許した日本人全体の責任といわざるをえないだろうが。