火曜日, 9月 29, 2015

★ ピーター・F・ドラッカー(著)上田惇生(訳)『(新訳)新しい現実-政治,経済,ビジネス,社会,世界観はどう変わるか』(ダイヤモンド社,2004年1月刊/ドラッカー選書n.10)(2015.9.29)
* P. F. ドラッカー(Peter, F. Drucker, 1909~2005):米国の著名な経営学者。
* 原著:The New Realities, by P. F. Drucker, 1989.

 次にご紹介する文章(ちょうど一段落分)は,本書(p.296)のなかでは,字下げがされ,引用の形になっている。しかし,どの本からとられたか,本書のどこにも書かれていない。おかしいと思い, Google Books で全文検索したところ、原書では字下げはなく,つまり,この段落は引用ではなく,ドラッカーの地の文であることが判明した。  初版本(初刷り)で,チェックが甘くて出版してしまった,ということならありうることであろうが,本書は,「新訳」となっていることから,それは理由にならず,お粗末である。(M) ===========================================================  コンピュータは、一七世紀末のドゥニ・パパンの時代に始まった機械的な世界という、分析的かつ概念的なプロセスの究極の表現だった。コンピュータは、パパンの同時代人で友人だった数学者ゴツトフリート・ライプニッツの、あらゆる数字はデジタルにつまり1と0によって表現できるという発見に端を発していた。その後、バートランド・ラッセルとアルフレッド・ホワイトヘッドの『数学理論』(1910-1913)【 Principia Mathematica は,ニュートンのプリンキピアにならっており,ラテン語からきていることから『プリンキピア・マテマティカ』と表記するのが標準となっている。あえて訳す場合は『数学原理』とすべきであろう。】が、ライプニッツの発見を論理に発展させた。その結果、あらゆる概念が1と0によって表現できることになった。 ============================================================

日曜日, 9月 20, 2015

(安倍内閣による)新日本国憲法制定

★新日本国憲法条文★ (平成*年*月*日制定)

前文
 なし(高邁な理想はないため)

 第1章 主権及び総理大臣の権限・職務 (天皇に関する条文はなし)

第一条 主権は総理大臣にある。
 ニ 憲法改正と同じく、総理大臣は国民投票によって国民の2/3以上の反対がない限りその職を解くことはできない。

第二条 総理大臣は,議会において最大多数をしめる政党の代表者をもってあて、原則として、選挙ではなく、派閥の調整により、決定し、指名する。

第三条 総理大臣は、閣議において、自らが任命した各大臣の意見を参考にして、国の重要政策について閣議決定し、決定後1年以内に国会(注:参議院は平成*年*月*日に,必要なしとのことから,参議院自らの決議により廃止された。)に報告しなければならない。

第四条 総理大臣は,(国政に関する権能だけでなく)軍事に係る統帥権を有する。

第五条 総理大臣は、日本国の経済的利益(いわゆる国益)拡大のため、また国威発揚のため、毎年50ケ国以上の諸国を訪問し、原発・鉄道・武器等の販売促進のための宣伝に努めなければならない。

第六条 総理大臣は、友好国(特に米国)の支援を得ながら、左の国事に関する行為を行う。
 一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること
 ニ 国会を招集すること(注:この新憲法の制定後、大相撲にならって、「国会は年5回招集し、それぞれ会期は15日間とする」という規定が、平成×年×月×日付で、新国会法に盛り込まれた。「1年を75日(15×5)で暮らすいい男」という流行語が生まれた。)
 三 国会を招集すること
 四 衆議院を解散すること(呟き:もう繰り返す必要ないだろうけど、参議院は廃止されてますからね。)
 五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること(注:新憲法制定後、◯家は,平家同様に繁栄することとなった。平家はその後滅亡したって? いや大丈夫、統帥権は総理大臣にあり、他の勢力はもってないから。平家物語にならって,籾井NHK会長のもと、NHKにより「◯家物語」が放映され、NHKの放送協会賞に選ばれたが、視聴率は1%と、NHKの大河番組史上最低を記録し、費用対効果の悪さでギネス記録に公認されることとなってしまった。)
 六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。(呟き:だからと言って、お中元やお歳暮はあまり送らないでね。そんなに物をもらってもしょうがないから、現金でお願いね。スイスの隠し口座を必要な方に私設秘書からそっとお教えします。)
 七  栄典を授与すること。(呟き:従順な人には叙勲者にエントリーしてあげるよ。それから、総理大臣賞や国民栄誉賞もあげるから、みんな頑張ってね。)
 八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること
 九  外国の大使及び公使を接受すること。(呟き:体調は必ずしもよくないけど、僕健啖家だからね。)
 十 儀式を行うこと(呟く:私を応援してくれるアーティストや学識経験者や芸能人は招待してあげるから、応援よろしくね。)

【以下、総理大臣にかかる規定(ほとんど総理大臣ができることに関するもの)は百条におよぶが、しばる規定は皆無であり、読むに耐えないため省略】

第二章 国民の権利及び義務

 以下、内容に乏しく、義務教育では実質的に教えられることがなく、大学受験の日本史や政治経済でも教えられることがないと思われることから、省略。
 

公明党と創価学会の関係は?

 安保関連法の成立で声明や談話を出した主な団体や団体の代表の中に、宗教界からは、立正佼成会、真宗大谷派があった。公明党の支持母体である創価学会も(平和主義は現実にあわないとして)法案支持の声明をだしたらどうだろうか? そうして宗教ビジネスに徹したほうがより「信者」がふえるのでは? 世俗宗教にはそれが一番ふさわしいと考えるが・・・?

日曜日, 7月 26, 2015

『ラッセルの言葉366』をアマゾンの電子書籍(Kindle本)として本日(7月26日) 出版しました! 販売価格は,タイトルにちなんで366円にしてあります。  編集ノートに書いたことを以下,転載します。ご購読のほどよろしくお願いしま す。 ラッセルの言葉366  なお,1~3月分及び8月分をサンプルとして下記で無料公開しています。   http://russell-j.com/R366_CALENDER_TABLE.HTM ============================================================================  <編集ノートから>  日本だけでなく,世界的な傾向かも知れませんが,著名人の言葉を集めた本が最近 かなり出されています。白鳥春彦(訳・編)『超訳 ニーチェの言葉』(ディスカヴァ ー・トゥエンティワン ,2010)が100万部を越えるベストセラーとなったことが影響 しているように思われますが,いろいろな出版社が二匹目のドジョウをねらって,こ れでもかというほど,いろいろな分野の著名人の言葉を集めたものを出しています。  文学者や詩人の言葉を集めたもの(『超訳 ゲーテの言葉』,『超訳 ヘッセの言 葉』ほか),宗教家の言葉を集めたもの(『超訳 仏陀の言葉』,『超訳 ブッダの 言葉』ほか),科学者の言葉を集めたもの(『アインシュタインの言葉』ほか)・・・ その他多数。タレントまでが参戦するほどです(例:有吉弘行『毒舌訳 哲学者の言葉』)  特に日本人は毒舌家としてのニーチェが好きらしく,ニーチェの言葉を集めた本が 食傷気味になるくらい多数出されています。(『ニーチェ 勇気の言葉』,『ミッキ ーマウス決断する言葉 ニーチェの強く生きる方法』,『常識なんてにゃんセンス  人生を変えるニーチェの言葉』,『ハローキティのニーチェ 強く生きるために必 要なこと』,『ニーチェ愛の言葉 美女をつくる60の条件』,『日めくりニーチェ』,・・・)  白鳥春彦氏が出されているものには「超訳」というキャッチフレーズ(?)がつけ られています。そのまま直訳するとわかりにくいので,超訳というスタイルをとり, わかりやすい言葉で訳出すること自体望ましいことかも知れませんが,少し危険なニ オイを感じてしまうのは私だけでしょうか?    思想家の言葉は部分的に取り出してみても,たとえ原文もわかりやすい文章であっ ても,より広い文脈でみないと誤解してしまうことがけっこうあります。理想的には ,読者がわかりやすいように,超訳あるい意訳するとしても,該当の英文をあげるか ,あるいはたとえばネット上に英文(できれば対訳)を置いて,訳文に疑問をもった 読者に原文を参照する手立てを提供することだと思われます。  最近では,原文を添えているものも少しだされていますが,ほとんどが訳文だけと なっています。私が特に不満に思っているのはその点です。  このたび,『ラッセルの言葉366』を出すにあたって,ごく少数の例外を除いて ,ほとんどのラッセルの言葉(訳文)について、詳細情報にあげたURL(リンク)をク リックすることによって原文(英文)を閲覧できるようにしました。電子書籍ならで はの利点です。また,その英文も引用文(訳文)に該当する文章だけでなく,その前 後の文章(英文)も見られるようになっています。いずれも,私が1996年8月8日に開 設したラッセルのポータルサイトに掲載している情報です。  バートランド・ラッセルの研究者及びファンのためのポータルサイト:       http://russell-j.com  ラッセル思想及びラッセルの英語の学習に役立つものと確信しています。                                 (松下彰良)

水曜日, 7月 01, 2015

『ロジ・コミックス-ラッセルとめぐる論理哲学入門』出版!

ついに、『ロジ・コミックス-ラッセルとめぐる論理哲学入門』出版!

 最初2009年にギリシャで出版され,その後欧米でベストセラーになった、(ラッセルの生涯を下敷きにした)論理学の歴史に関するマンガ本(Logicomix: An Epic Search for Truth)が,筑摩書房から7月23日に邦訳出版される予定です。
 

『ロジ・コミックス: ラッセルとめぐる論理哲学入門 』の出版情報

アポストロス・ドクシアディス 著 クリストス・パパデミトリウ 著
アレコス・パパダトス 画 アニー・ディ・ドンナ 画
松本 剛史 翻訳 / 高村 夏輝 監修
 筑摩書房,2015/7/23。 単行本: 352ページ(価格:2916円)

 内容紹介
 激動の20世紀,偉大な数学者・哲学者達はいかにして真理の探究に駆り立てられたか? 彼らの情熱を追う世界的ベストセラーのオールカラー・グラフィックノベル。

 監修者は高村夏輝氏ですが,訳者は松本剛史(まつもと つよし,1959年 - )という方です。ウィキペディアによれば,松本剛史氏は,「翻訳家。 和歌山市生まれ。東京大学文学部社会学科卒。英米の小説,評論を翻訳」とのことです。

 次のページから予約できます。

 ロジ・コミックス:
ラッセルとめぐる論理哲学入門 (単行本)
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金曜日, 5月 15, 2015

見かけ上の "as well ~ as" に要注意

 最近始めた(さくらインターネット上の)ブログ「ラッセルの英語」の宣伝を兼ねて、以下再掲します。

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 以下は,明日,『(ほぼ日刊)ラッセルの言葉366』(メルマガ)で配信する予定のものです。
 http://archive.mag2.com/0001626338/index.html
 前後を含めたものは以下に本日掲載しました。
 http://russell-j.com/beginner/OE11-080.HTM

 要注意な点は、"as well as" の構文ではないことです。"own thoughts as regards the attitude" を一塊ととらえる必要があります。そのようにとらえないと,魚津訳(みすず書房版)や堀訳(角川文庫版のような(「自分の思想をはっきりさせることが必要であるように,親に対するどのような態度を子供たちに期待スべきかについても,はっきりさせておく必要がある」といった)誤訳が生まれてしまいます。

(原文)
It is as well to be clear in our own thoughts as regards the attitude we are to expect from children to parents. If parents have the right kind of love for their children, the children's response will be just what the parents desire. The children will be pleased when their parents come, and sorry when they go, unless they are absorbed in some agreeable pursuit; they will look to their parents for help in any trouble, physical or mental, that may arise ; they will dare to be adventurous, because they rely upon their parents' protection in the background -- but this feeling will be hardly conscious except in moments of peril. They will expect their parents to answer their questions, resolve their perplexities, and help them in difficult tasks. Most of what their parents do for them will not enter into their consciousness. They will like their parents, not for providing their board and lodging, but for playing with them, showing them how to do new things, and telling them stories about the world. They will gradually realize that their parents love them, but this ought to be accepted as a natural fact. The affection that they feel for their parents will be quite a different kind from that which they feel for other children. The parent must act with reference to the child, but the child must act with reference to himself and the outer world. That is the essential difference. The child has no important function to perform in relation to his parents. His function is to grow in wisdom and stature, and so long as he does so a healthy parental instinct is satisfied.

(訳例)
 親に対してどのような態度を子供に期待すべきかについて,私たちの考えをはっきりさせておくこともまたよいことであろう。親が我が子に対して正しい愛情を持っているならば,子供の反応は,まさに親の望みどおりのものになるだろう。子供たちは --何か楽しい遊びに夢中になっているのでないかぎり-- 親が自分の方にやってくれば喜び,行ってしまえば悲しむ。子供たちは,肉体的なことでも,精神的なことでも,困ったことが生じれば親の助けを求める。即ち,子供たちは,思いきって冒険をしようとするであろうが,それは,背後に親の保護を当てにしているからである。だが,この感情は,危機に陥った瞬間を除いてほとんど意識にのぼってこないであろう。子供たちは,親が自分の質問に答え,子供にとって困難な問題を解決し,骨の折れる仕事を手伝ってくれることを期待している。親が子供のためにしてやることは,大部分,子供にの意識にはのぼらない。子供は,親が好きになるだろうが,それは,食事や住むところを与えてくれるからではなく,いっしょに遊んでくれ,子供にとって目新しい事物のやり方を教えてくれ,世の中のいろんな話をしてくれるからである。子供たちは,両親が自分を愛していることをしだいに理解するだろうが,それは,あたりまえの事実として受け取られなければならない。子供が両親に対して感じる愛情は,よその子供たちに対して感じる愛情とはまったく異なるものであろう。親は子供のこととの関連で(念頭において))行動しなければならないが,子供は自分自身と自分の外の世界との関連で(念頭において)行動しなければならない。ここが本質的に違うところである。子供は,親との関連で果たすべき重要な役割をまったく持っていない。子供の役割は,知恵と身体において成長することであり,子供がそのように成長している限り,健全な親の本能は満足するのである。

月曜日, 5月 04, 2015

原子力発電推進あるいは許容(原発再稼働)の心理と論理

 (以下は,2015年5月3日にさくらインターネット上に掲載したブログからの転載です。
     http://russell-j.sblo.jp/article/126559588.html

 地震がほとんどないような国や地域においては,原子力発電は有力なエネルギー確保手段であろうが,自然災害(特に大地震)が多い日本のような国においては、大変リスキーなものとなっている。それでも,政財界で現在権力をもっている人達は,原子力は重要なベース電源であり,「世界一の安全基準」のもと、今後も維持していく必要があるとしている。
 しかし,この主張も,福島で起こったことがほかの原発で再度起こり、多数の死者や被害者がでた場合には、原発を擁護した(再開させた)政治家や財界人(電力会社のトップ及び直接の責任者)は死刑または無期懲役になる、ということであれば、そこまで言うのであればと、譲歩する用意はある。しかし,そのような事態が起こったとしても,せいぜい政治の世界から引退したり、役職をしりぞくだけであるならば,つまり厳しい責任をとらないというのであれば、無責任というよりないだろう。

 現在,日本政府は,原発を日本のベース電源として位置づけ,自然エネルギー(22~24%くらい)に続いて2番目の主要電源(20~22%くらいを確保)としている(その心は,22%として同等としたいが、それでも国民の非難が沸き起こるかもしれないので,形だけ自然エネルギー優位にしている?)。
 しかし,個々の原発の再開においては,政府が再開を押し付けたと言われるとこまるので,原子力規制委員会の「厳しい」安全審査のもとに,電力会社が自発的(表向きは国民に安価な電力を供給するため)に停止中の原発の再開させる、という姿勢(=たてまえ)をとっている。ところが,電力会社としては、「国からの要請(国策に協力」ということを全面に押し出しており、事故が起こった場合も国からの全面的な支援や救済を期待している。現政府や原発企業は、「世界一の安全基準」のもとに原子力規制委員会の審査をパスできたのであれば、もしも大地震が起こり大事故が起こったとしても「想定外」として扱うことができると内心考えている。 つまり,原発企業も、国も、原子力規制委員会も、いずれも再び大事故が起こったとしても、自分には第一の責任がないか、あるいは三者の共同責任にすることができると踏んでいる。「国が全面的にバックアップ」するといっても、「国民の血税を使います」、と言っているだけであり,結局は国民全体が責任を引き受けるということにすぎない。

 できるだけ自分の方に「実質的な」責任が及んでこないように,言葉を選んでいるが,原発による大事故が起こり、多くの死者がでた場合には、原発を再開させるのに力を注いた政治家や企業経営者(日頃記録にとどめておきましょう。)は終身刑や無期懲役も十分ありうるということがなく,結局は役職を去るだけ(あるいは政治の世界から引退)ということだけであるならば、誰もまともに向き合うことはないだろう。
 長い間刑務所にはいるといった,厳しい実刑が担保されないかぎり,今後も、無責任な言動しかしないだろう。
 今後、どこで大きな地震が起こるとも限らない(遠い昔に,川内原発のあるところもまで、火砕流が流れた跡があると言われれいる。)日本において原発を維持することは無理であり,「国民に易いの電源を確保するため」,と言い続けるだけの政治家や企業経営者は「不道徳」だと言わざるをえないだろう。
 最後に、気になることを少し列挙しておきます。

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・地表に断層が現れていなくても,地下10~15kmのところに断層があり、それが動くということもあるということ(淡路‥阪神大震災における淡路島の断層?)
・過去200年くらい大きな地震が起こっていない(=実際は記録がないだけ)からと言って安心できないこと。1万年前は中国大陸と日本はつながっており、日本海は大きな湖であったこと、また日本列島全体が東に向かって移動しつつあり,それだけの巨大な力が働いていること。日本列島全体が現在火山活動期に入っているらしいこと(京大の鎌田教授の証言)
・テロによって,運転中の原発が破壊されることがありうること。広島型の原爆であれば、個人がバズーカで発射できるくらいになっていること。いや核兵器などをもちださなくても、強力な爆弾をつんだ小型ロケット(or高性能のドローン!?)をテロリストが原発に打ち込むことはそれほど難しくなさそうである。
・原発維持のかくれた(第一の)目的は防衛のためであり,日本のエネルギー源確保ではなく、原発で生み出される使用済核燃料によって、プルトニュームを確保して、いつでも核兵器をつくれるようにしておくことかもしれない。
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火曜日, 1月 28, 2014

創刊!『(ほぼ日刊)バートランド・ラッセルの言葉366』


l創刊しました! 『(ほぼ日刊)バートランド・ラッセルの言葉366』
http://archive.mag2.com/0001626338/index.htm
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 戦争,虐殺,迫害は,すべて退屈からの逃避の一部(→逃避から生まれたもの)であ
 り,隣人とのけんかさえ,何もないよりはましだと感じられてきた。
 それゆえ退屈は,人類の罪の少なくとも半分は退屈を恐れることに起因しているこ
 とから,モラリスト(道徳家)にとってきわめて重要な問題である。
 (出典:ラッセル『幸福論』第4章「退屈と興奮」
     http://russell-j.com/beginner/HA14-030.HTM
  Wars, pogroms, and persecutions have all been part of the flight from
  boredom; even quarrels with neighbours have been found better than
  nothing. Boredom is therefore a vital problem for the moralist, since
  at least half the sins of mankind are caused by the fear of it.
       The Conquest of Happiness, 1930.
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