沢村貞子『わたしの献立日記』(新潮社,1988年12月刊)
(「あとがき」より)わたしの献立日記には、22年間の我が家のお惣菜が書き留めてある。「あの頃はどんなものを食べていたかしら」などと時折自分でめくってみるのは楽しいけれど、他人様にご披露するなど、とても気恥ずかしくて出来ることではなかった。それを、出版して頂く気になったのは、満80歳という齢のせいである。
(p.7)お金や権力の欲というのは、どこまでいってもかぎりがないけれど、食欲には'ほど'というものがある。人それぞれ、自分に適当な量さえとれば、それで満足するところがいい。おいしいものでおなかがふくれれば、結構、しあわせな気分になり、まわりの誰彼にやさしい言葉の一つもかけたくなるから、しおらしい。
(p.9)二十年来、我が家(=私達夫婦)の食事は朝と夜だけ--お昼はおやつ程度になっている。従って、私達の今後の食後の回数は、残りの年月に2をかけただけである。そう思うと、いい加減なことはしたくない。うっかり、つまらないものを食べたら最後・・・年寄りは、口直しが利かないことだし・・・。
(p.56)どんなに忙しいときでも、我が家では、かならず朝食をとった。なんの仕事も、おなかがすいてはうまくゆかない。ことに俳優は、満腹もいけないけれど、空腹もダメ。腹「六分目ぐらい」でないと、芝居はできない。
(p.67)ほんとに、ほかに道楽はない。住むところはこぎれいなら結構。着るものはこざっぱりしていれば、それで満足。貴金属には興味はないから指輪ははめないし、貯金通帳の0を数える趣味もない。いわば、ごく普通のつましい暮らしをしている。ただ、食事だけは、多少ぜいたくをさせてもらっている。
(p.103)きれいに洗い上げた食器を乾いた布巾でサッサと拭くのは気持ちがいい。我が家の布巾40枚のうち、20枚はいつも台所の引き出しにいれてある。使ったものはすぐ、足許のバケツ(半分ほどの水に少量の粉石鹸をいれておく)につけて、翌日洗って干す。・・・。