土曜日, 10月 27, 2007
備忘録(2007.10.27)
本日公共図書館で借りた本
1)パトリック・デ・リンク著『西洋名画の読み方』v.1(創元社、2007年6月)
・西洋の絵画を「読む」あるいは理解するためには、キリスト教と西洋古典の伝統に理解が必要があるが、本書はそれらの理解の手助けをしようとするもの
2)ピーター・フランクル『(新装版)新ニッポン見聞録』(WAVE出版、1992年初刷、1993年6月に新装版)
3)E.クイーン(著)、井上勇(訳)『チャイナ橙の謎』(創元推理文庫)
4)『四字熟語ひとくち話』(岩波新書別冊n.10、2007年4月)
★ピーター・フランクル『(新装版)新ニッポン見聞録』
・200ページほどの分量なので、本日4時間ほどで読了。
ピーター・フランクルは、日本を深く愛しているが、端々で手厳しい日本「社会」批判をしている。個々の日本人というより、日本社会のあり方を批判しており、いずれも的確な批判である。褒められているところは日本人として心地よいが、自分たちのためになるのはむしろ批判されている部分である。以下、少し引用してみよう。
(p.29)いずれにしても、日本に来て、ぼくは初めて「自分の国」というものを発見したような気がした。そして、生まれて初めて、国のために何かしたいという気持ちが芽生えたのだ。それまでは、実に勝手な話だが、国というものは自分のために利用するものでしかないと考えていた。「日本のために何かしたい」--この本を書こうと決心したのも、そのためである。ぼくは、日本人には、「自信」というものが一番欠けていると思う。・・・。ただ、「自信をもつ」ということと「自慢する」ということは違う。「日本社会は優れているのだ」と自慢するばかりではいけない。・・・。
(p.52)ぼくは、トイレでお湯が出ないことと、豊かな国日本に潜在的に残る貧乏意識は、密接に結びついているような気がする。・・・。冷たい水で手や顔を洗わなければならないのは、決して快適なことではない。とりわけ冬場は水が冷たすぎて、ついつい手を洗うのを省略したくなってしまう。
(p.75)いずれにしても、即位の礼の時の「警備体制」で不愉快な思いをしたのは、ぼく一人だけではないはずだ。都内のあちらこちらがひっくり返され、調べられ、駅構内の自動販売機やロッカー、公衆電話は使用できなくなった。・・・。国民にそこまで大規模な迷惑をかけて大丈夫なのかと、逆に心配してしまったほどである。個人の自由を侵害するくらいなら、儀式そのものの規模を縮小させたほうがよいのではないか、と考えたのはぼくだけではないだろう。
(p.102)民主主義は外国から日本に移植されたが、多くの国民は、いまだに民主主義というのが何であるのかわかっていないような気がする。総理大臣や政治家よりも、本当は国民のほうがはるかに偉い。国民は政治家を(税金で)「雇って」いるのだ。税金を通して国民一人ひとりが、閣僚、政治家を雇っている以上、国民には当然のこととしてすべてを知り、判断を下す権利が委ねられているはずだ。
(p.117)日本では、個人が判断して決められる範囲がとても狭い。「責任」を逃れようとするあまり、個々人は言われたこと、命令されたことしかしようとしないのだ。そのことが、数々の無駄や不合理、タレントや部下の人形扱い、子ども扱い、軍隊のような上下関係の根本にある。
(p.141)要するに、頭は使えば使うほどよくなるのだ。科学の水準を比較すると、言語形態が複雑なところほど科学のレベルも高い傾向がある。たとえば、アメリカで数学の博士号を取得した人の半数を占めるのが、もともと漢字を使っている国の人、すなわち中国人、日本人、韓国人なのだ。また、西洋諸国で使用されている諸言語の中で、ハンガリー語は最も複雑な文法をもつ言葉のひとつ。そのためか、ハンガリーにはノーベル賞の受賞者がすでに11名もいる。子どもを甘やかし、漢字をなくすことによって負担を軽くしようとする動きは、必ずや日本の将来に悪い影響を及ぼすことになるだろう。
(p.157)ぼくは日本が好きだ。日本人も大好きである。ただ、日本の社会の形態そのもの、特に政治家や一般的に支配者階級と呼ばれる人々はどうしても好きになれない。まず第一に、これまでも述べてきたように、日本の政治はあまりに企業優先主義的である。弱い個々人を保護するよりも、強い企業を保護する傾向が強すぎる。
(p.195)強引に塾に通わせ、劣等感を覚えさせるよりも、母親が側についてあげて、「どんなに成績が悪くても、あなたは私の最愛の息子よ」「気にすることはないわよ、マイペースでいきましょう」と声をかけてあげたほうがよほど効果がある。
(p.203)・・・。現在の日本社会は、上部の人間がなるべく管理しやすいように形づくられていて、そこから生じる弊害の責任も、そうした上層部の負うところが大きい。・・・。ただし、この先何十年も現在の社会が維持されるなら、それは上(層)部のみの責任ではなく、維持を許した日本人全体の責任といわざるをえないだろうが。
日曜日, 10月 21, 2007
備忘録(2007.10.21)
昨日、公共図書館で下記の1冊のみ借用
本日は、E.クイーンの『シャム双子の謎』(井上清訳/創元推理文庫)を一気に読んでしまった。面白くはあったが、訳文は日本語になっているとは思えず、非常にフラストレーションを感じた。
1)ピーター・フランクル『僕が日本を選んだ理由(世界青春放浪記n.2)』(集英社文庫、2003年)
・書き下ろし。すぐに読みたかったが、上記の本が途中だったために、本日は読めず。
(2007.10.24追記)
『僕が日本を選んだ理由(世界青春放浪記n.2)』
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・ハンガリーからフランスに亡命しフランス国籍を得た(ユダヤ人の)ピーター・フランクル。フランスを基点に、アメリカを始めとして世界中を(数学の講演方々)放浪した(している)が、結局は日本が一番心休まる国であることを発見し、フランスではなく日本を基点に世界を放浪することがしだいに多くなっていった。
・もちろん日本が好きだといっても、日本のいやなところや改善してほしいと思う点は多々ある。近年日本中を講演してまわっている(全県制覇!)が、日本人にない生き方や発想法のため、日本人は興味をもって耳を傾けてくれる。ピーター・フランクルが日本人に特に望むのは、余り杓子条規に考えないことと、日本人も人生をもっと楽しんでほしいという2点。以下、少し引用しておく。
(p.8)いつの頃からか、海外から日本に戻るとそんな風に感じるようになった。この国に惚れて、放浪生活に終止符を打ち、こうしてほっと心安らぐ自分の居場所をやっと見つけるまで、ずいぶん長いこと世界をさまよったような気がする。・・・。
(p.10)・・・。亡命後、数学者で本当によかったと心の底から思った。医者ならば、国が変るとまた資格を取り直さなければ仕事ができないが、数学は世界共通の学問であり、自分が書いた論文で評価を受ける実力の世界だ。すぐパリで定職を得て、研究員としていろいろな国をまわることもできた。
(p.171)自由を求めてフランスに亡命したぼくだが、決して親と縁を切ったわけではない。よく考えてみると亡命後でも、盆と正月だけ故郷の親元に帰省する日本人よりは、ぼくが両親と過ごした時間の方がずっと長いと思う。しょちゅう会っていたわけではないが、毎年、両親と共に一ケ月くらいの旅行をするようになったからだ。・・・。
(p.186)次に向かった京都では、目の覚めるような紅の色彩に迎えられた。事前に調べていったわけでもないのに、11月始めの京都は紅葉が一番きれいな時だったのだ。両親はこの光景に感嘆の声をあげた。実際それまでも、それからも、あんなに美しい紅葉をぼくは見たことがない。
(p.296)なぜ(彼女は)他の人種を差別するようになったのかというと、たぶん親の差別意識が伝わったからだと思う。それは一種、信仰のようにとても強く心に刻まれるようだ。つまり、その考えが正しいのか正しくないのか、自分の頭で判断しようともしない。キリスト教の敬虔な信者が、「もしかしたら仏教の考えが正しいのではないか」とは絶対に考えないのと同じである。親や周りの人が思っていることを、判断力のない幼い頃から聞き続けると、その考え方が刷り込まれて、宗教のように頭のなかに入ってしまうのだろう(フランクルは、恋人がはげしい反ユダヤ主義者であることを発見し、彼はその恋人と別れることになる。)
(p.310)もっとも馴染めなかったのは、価値観だ。「もしあなたに脳味噌があるなら、なぜお金がないのか?」という言い回しがあって、つまり、「金がない人はだめ」とういのが、アメリカ人の価値観だと感じた。
(p.315)ぼくから見た日本人には素晴らしいところがいろいろある。真面目で仕事を一所懸命にする。人との争いを好まない。優しい態度で人にのぞむ。ただ、あまり人生を楽しんでいないように見えることもある。だから、「今で通りきちんと仕事をしたうえで、その他の時間をもっと自由に社会の既成概念にとらわれずに、自分なりの判断をしてみましょう」と提案したいと思った。
土曜日, 10月 13, 2007
備忘録(2007.10.13)
本日公共図書館で借りた本
1)ピーター・フランクル『世界青春放浪記-僕が11ケ国語を話すわけ』(集英社文庫)
・目次をみたら面白そう。早く読みたい。
2)エラリー・クイーン『シャム双子の謎』(創元推理文庫)
3)エラリー・クイーン『間違いの悲劇』(創元推理文庫)
4)エラリー・クイーン『オランダ靴の謎』(『世界名作推理小説体系v.15』に収録されたもの)
現在小森氏の『探偵小説の論理学-ラッセルの論理学とE.クイーン・・・』を読んでいる関係でクイーンの小説を読みたくなり借りたが、ピーター・フランクルの本を先に読みたくなったので、そちらを先に読むことにする。
(10月14日追記)
★ピーター・フランクル『世界青春放浪記-僕が11ケ国語を話すわけ』
これも今日1日で読んでしまった。
ピーター・フランクルは、ハンガリー出身のユダヤ人で、若い時にフランスに亡命している数学者。NHKなどのTV番組にも時々出演しているので、日本人で彼を知っている人も多いことと思われる。大道芸人であることも知られているが、ユダヤ人であるがゆえに大変な苦労やいやな目にあっていることを知っている日本人は少ないかもしれない。
彼の生い立ちはどのようなものか、彼はなぜ世界を放浪するようになったのか、なぜ無神論者になったのか、ハンガリーに残した両親との関係はどうなっているのかなど、詳しく率直に書き記している。若い頃の自己中心的な考え方や行動には少しいやな感じもするが、世界中の国々の市井の人々と接するうちに、知性も心も開かれ、名実ともの、コスモポリタンとなっていった。(私は真似ができないことが多いが)共感する点も多く、お薦めの書物である。以下、少し引用しておく。
(p.8)天気のいい休日、あるいは人々がほろ酔いかげんで歩く夜、色とりどりの大きな水玉のついた衣装にジュラルミンのトランクを持って、ぼくは街に出てゆく。トランクには芸道具一式が入っている。・・・。
(p.17)ユダヤ人の歴史は六千年におよぶ。最初の四千年は、ごく普通の農耕民族として現在のイスラエルに住んでいた。・・・。その後、イスラエルはローマ帝国に占領される。・・・。自分の国を持たずに二千年間も流浪をつづけた民族はユダヤ人の他にはない。・・・。ユダヤ民族はなぜ消滅しなかったのか。最大の理由は宗教である。このことは無神論者のぼくも認めるしかない。・・・。
(p.19)・・・。日本の被差別部落の人々が、人のいやがる仕事にたずさわったのと同様に、ヨーロッパでも、禁じられた職業にたずさわるのは被差別民族だった。金銭にかかわる商売をする人間は、ほとんどユダヤ人にかぎられていた。たとえば世界ではじめて銀行をつくったのはユダヤ人である。こうして一部のユダヤ人は大金持ちになった。
(p.35)この時期(1944年3月頃)になるとハンガリーのユダヤ人は、これまでの強制労働とは違ってもどるあてのない強制収容所に送られるようになる。からだの弱い人々はポーランドのアウシュヴィッツに送られ、そこで殺されていった。父の両親は早い時期に強制収容所に送られたが、このころはまだ生きていた。だがドイツの敗戦が決定的になると、ドイツの指導者たちは、ユダヤ人の大量虐殺を開始した。祖父と祖母はハンガリーが完全に解放されたあと、戦争が終わる1ケ月前にオーストリアで殺されてしまった。
(p.44)・・・。1953年3月26日、母は帝王切開で男の子を産んだ。それがぼくである。今度も父は亡くなった自分の父の名をつけたがったが、二人目は自分の番だと母が主張して、「ピーター」というハンガリー人の名前をつけてくれた。
(p.55)わが家にはいつも肉と卵があった。病気の治った患者さんが感謝の気持ちをこめて食料品を持ってきてくれたからだ。患者が医者にワイロを贈るのはハンガリーでもよくあることだが、父はけっして患者からお金を受け取ろうとはしなかった。
(p.63)ハンガリーでは戦後、ほとんどの人が教会に行かなくなった。教会に通っていることが会社に知れると、よい共産主義者でないと言われて出世が望めなくなる。・・・。戦争で両親を失った父は、もし本当に神さまがいるならこんな残酷な行為(=強制収容所での大量虐殺など)を許すはずがないと、どんな神も信じず、子どもたちも無神論者として育てた。「弱い者は宗教に頼る。強い者は自分に頼る」という父の教えを聞いて、ぼくも父のように強い人になりたいと思った。
(p.191)ほかの左翼の人々との出会いもあって、ぼくは共産主義を一つの宗教と考えるようになった。どんなに宗教の矛盾を指摘しても、信者は死ぬまで神さまを信じる。共産主義者も同じである。どんなに経済状態が悪くても信者は共産主義を信じつづけるのだ。(注:バートランド・ラッセルの指摘と同じ)
(p.306:あとがき)自分の生活や生き方が、人々に語るに値するとは思っていなかった。ぼくはただ心のおもむくままに日々を過ごしてきただけであって、自分の生活が他の人々とそれほど異なっているとは意識していなかったのだ。それが日本に来て、この国の人々と語りあううち、どうも自分の生活が彼らに驚きを与えるような一風変ったものであるらしいことに気づいた。・・・。(p.309)現在の日本が高い教育レベルを誇っているのは事実だ。しかし、生徒一人ひとりの可能性や才能の発掘に充分時間が割かれているとは思えない。・・・。より多くの「自由」を味わってほしい。この本がそのきっかけとして少しでも役立てば幸いに思う。
(2007.10.21追記)
★『シャム双子の謎』よりも『間違いの悲劇』の方が面白かった。
『シャム双子の謎』の邦訳(井上勇訳)は、1960年に初刷、1999年に55刷がでておりかなり売れているといえるが、訳文が日本語になっているとはいえず、意味の取れない(意味が確定しない)ところがかなりあった。原文をみてないので断定できながい、誤訳も少なくないように思われた。逐語訳(直訳)になっているところが多く、文を2つか3つにわけないと誤解したり意味がとりにくいものも、長い一文になっているところが多く、読みにくかった。
土曜日, 10月 06, 2007
備忘録(2007.10.06)
本日公共図書館で借りたもの
1)ピーター・フランクル『ピーター流わくわく旅行術』(岩波ジュニア新書)
・子供向けの本だが、多分面白いだろうと思い借用
2)ピーター・フランクル『日本人のための英語術』
・検索したらひっかかったので、1)のついでに借用
3)福田恆存『現代の悪魔』
( ・ふくだ・つねあり氏のバートランド・ラッセル批判の「自由と平和」「現代の悪魔」の2点を含む/若い時に読んだはずだが、忘れてしまったのでもう一度読むべく借用
4)『週刊朝日』2007年9月28日
・安倍首相関係記事を立ち読みしようとしたらすぐに書店から消えてしまったので、図書館で借用(新しい号が出ると、その前の号は貸出可能となるルール)
(2007.10.07 追記)ピーター・フランクルの Official site
★『ピーター流わくわく旅行術』
・さすがに「ジュニア」新書ということで、わかりやすい(読みやすい)うえに、活字が大きいのであっという間に読了。ピータは基本的に無神論者で、国や宗教よりも一人ひとりの人間の自由と責任を大事に考える。ピーターの主張にはほとんど共感。他の著書も何冊か読んでみたいと思うようになった。少しだけ、本書から下記に引用。
(p.3)だからたとえば、道や公園で新しく出会った人と話をするのも旅の一種だと考えます。・・・。そう、「人との出会い」が「僕の旅」と言いかえられそうです。そして、頭を柔らかくして心を開き、他人の話を寛容的に受け入れること(開眼開心 open mind and open heart)が旅の条件です。
(p.11)人は皆、洗脳がいかに恐ろしいものかを知っていても、自分が洗脳されていることには「外に」でなければ気づきません。自由の国に住んでいると思っているアメリカ人も、自国で2001年に起こったテロとその後の戦争について、マスコミが皆同じことを言ったり書いたりしていることや、それによって洗脳されていることに気づいていません。テロ事件はたしかにひどいけれど、アメリカ自身が招いた部分もあるという一部の意見を理解しようとしません。別の国に行けば、気づく可能性があります。
(p.27)「語学のため」ではない留学のほうが、実際には語学の勉強になるということを指摘しておきます。語学留学すると、クラスの人たちは自分と同じようにその国の言葉が下手な人ばかりです。その人たちと友達になって週末を一緒に過ごしたり、場合によってはつきあったりするようになっても、決して高いレベルの語学の勉強にはなりません。
2007.10.08 追記)
★P.フランクル『日本人のための英語術』
・30ケ国語を理解し、(日本語も含め)11ケ国語で大学の講義(といっても主として数学)ができるという語学の達人による、日本人のための英語によるコミニケーション指南書。数学者らしくユニークな視点でかかれており、参考になる。特に、よく使う、重要な3文字or4文字単語についての言葉遊び(ゲーム)の効用について述べているところは、(大道芸人でもある)フランクルならでは。
(p.i)これは英会話の本ではありません。世界中で英語を多少できる人々と、自由に楽しくコミュニケーションをとるための指南書です。
(p.ii)完璧主義は日本経済を支えていますが、外国語で話すときは足かせになってしまいます。
(p.40)ダイニング・キッチン(DK)を英語で書いてみてください。dining kitchen という答えがふつうでしょう。おそらく living room の類推から、-ing 形にしたのだろうと思います。しかし、正しい英語では、dinner を食べる(dine)という意味から、dine-in kitchen なのです。・・・。同じように、walk-in closet も walking closet ではないのです。
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